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1999年9月中旬〜10月上旬 『S工業』の2DKアパート寮同室先輩同僚は私より3つ年上で愛知県名古屋市北西部に位置するT市で生まれ育ち『S工業』に派遣勤務入寮迄ずっと実家から 大学卒業→就職→退職→暫く無職迄過ごしていて大学卒業後の仕事も営業職と言う事で『S工業』から『D工業』勤務は初めての派遣社員&工場勤務&実家以外での住まいとの事でした。 営業職を数年間やってたとの事で最初接した時の穏やかなで社交的な印象で私に対しても人当たり良く&腰低い態度で私は最初好感と親しみが持てました。 その同室先輩同僚とは同じシフトでしたが先輩同僚はエアコン本体組み立てライン勤務で建屋が違い駐輪場も離れた場所にあり先輩同僚が自転車で私が原チャリ通勤だったので通勤時に行動を共にする事はありませんでしたが私が住んでた 『S工業』2DKアパート寮近くに『餃子の王将』があったので私の勤務開始後最初の土曜に一緒に昼飯を食べに行き色んな話をして交流を深めたつもりでしたが 私が『D工業』勤務開始後3週間目の週末土曜夜に同室先輩同僚のエアコン本体組み立てラインの同じ班の他の派遣社員の数人が遊びに来ました。 先輩同僚はにこやかに同職場の派遣社員仲間を迎えて部屋内へ招き入れました。 その時私は自分用の晩飯を作ってました。 私はそれ迄の同室先輩同僚との良いコミュニケーションから訪ねて来た先輩同僚の仲間とも気安く話す事に遠慮無いだろうとの思いで部屋に入って来た先輩同僚の同職場派遣社員に気安く 『エアコン組み立てラインはなんか楽しそうやね!俺もそっち入りたかったなぁ!今の仕事も悪う無いけど同期の4分の3はそっちの本体組み立てライン入っとんねん!』と言いましたがその話してる間訪ねて来た数人は私を冷たい視線で見遣るだけで私が話終わるなり 『こいつ?』と同室先輩同僚に聞き先輩同僚はその時私に対して見せた事の無い蔑む目付きで私を見遣り頷いて私をそのまま無視し先輩同僚の部屋に入りドアを閉めるなりケラケラ笑いながら楽し気に話始めました。 その態度の流れから同室先輩同僚が職場では私の悪口を言ってるのが明らかでした。 私は唖然としながらも晩飯を自室で食べながら『なんやねんな!あいつ(同室先輩同僚)あんな奴やったんかいな!何か幻滅やな』と思いました。 |
派遣勤務-だって稼ぎたいんだもの
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1999年9月中旬 翌朝当時は何にしてもやる気満々で取り組めて居た私は充実感満々で『D工業』正門前に向かいました。 受入教育を確か2時間位して各自配置現場を知らされました。 私とあと1〜2人以外はエアコン本体組み立てラインでしたが私はエアコン本体組み立てライン工場建屋とは違う建屋のエアコン室外機内にあるコンプレッサー(空気圧縮機)製造工程現場でした。 私はエアコン室外機内コンプレッサ−製造工程現場管理職の人に連れられ勤務現場休憩所で少しの時間面接を受けました。 私に与えられた作業は工場勤務がある程度以上の勤務経験してる人には分かるでしょうが『モートラ』(モーター・トラックの略称)と言うモーターで動く小さな牽引車を運転し 必要に応じて1台から最多で確か5台の荷台車に様々なエアコン室外機内コンプレッサー部品やその他関連部品をコンプレッサー各組み立てラインや機械加工場所に運搬する内容でした。 運搬する部品は随時無くなる前に組み立てor部品加工現場からの要請があり次第持って行くのや決まった時間に決まった数だけ持って行くのや組み立てラインのネジ類その他小物部品等は私自ら随時運搬中に残りを確かめ無くなる充分前に補充したりしてました。 その作業内容自体に何ら不満は無かったんですが『モートラ』を扱ってる現場で働いた事のある人は分かるでしょうが原チャリ免許しか所有してない私には本来『モートラ』運転資格が無い筈なんですが 現場管理職の人は『原付バイク長く運転しとるからまぁええやろ!』との事で労働基準法か何かに違反してるの承知で私に『モートラ』運搬の作業を任せた様です。 実際資格無いとは言え私には初めての『モートラ』運転作業でしたが『モートラ』運転には数日で運転技術自体は正社員や他の派遣社員レベル同様に出来る様になりました。 当然数多くある私担当部品全部やストック場所や運搬現場先を全てベテラン並レベルになる迄には1ヶ月は掛かりました。 私がエアコン室外機内コンプレッサー製造工程現場に配属され与えられた作業を教えてくれる担当は既に10年以上『D工業』に勤務してた他の派遣会社の人でした。 勤務現場先でのこの先輩派遣社員も勤務開始当初表面上は穏やかに思えたんですが・・・ |
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1999年9月中旬 『S工業』2DKアパート寮に入寮後私含め数人でエアコン製造会社『D工業』に派遣現場面接に行きました。 翌日の勤務開始日にあたり大きな確か2棟ある製造工場建屋内で全工程を見学後『D工業』面接官の人と面接しどの工程現場も土日定休2交替勤務(日勤は土曜休出の場合アリ)で翌日の勤務開始日にどちらのシフトに入るかに関わらず最初の週は日勤と決まってる様でした。 翌日の朝一少しの時間受け入れ教育を受けその後各勤務現場先を知らされてその勤務現場管理職の人が迎えに来ると言う事でした。 そして翌日『D工業』正門前での集合時間の確認をしてその日の用事は終わりアパート寮に戻りました。 自宅通勤者は最寄駅その他数ヶ所からの『D工業』送迎バスで入寮者には各自自転車が貸与されそれでの通勤でしたが私は原チャリ所有だったので原チャリ通勤にさせて貰いました。 『D工業』には確実に翌年2000年6月途中か末日迄働くつもりだったのでその日の内に実家に預けてた家財道具を宅配便で送って貰う様に電話してその中に内に必要となろう日用品は スーパーである程度のストック飲食物と共に買い揃えてアパート寮に戻り翌日からの勤務にやる気満々で夜を迎えました。 アパート寮は2DKの間取りで2人住まいなので自由加減が先輩同僚がどんな人間かによって違って来るのでその週日勤だった先輩同僚がもう直帰宅するその時間は少し気になりました。 それ迄の入寮工場派遣勤務での同室先輩同僚や集合寮での先輩同僚の一部に嫌な思いをしたので・・・ 程なくして同室先輩同僚が帰宅しましたが表面上穏やかで私は『あんまし警戒したり気ぃ使こたりせんでよさそうやな』と思い安心しました。 実際気性が激しいとか盗み癖とか精神的におかしい先輩同僚では無く私はアパート寮に居る時間ピリピリしたり何かされないか警戒する事は一切ありませんでした。 しかしその先輩同僚は少し日和見的タイプで暫くした頃から『私の生活のある状況変化』に至る迄少し嫌な思いをさせられる事になりました。 2DKアパート寮自体は築年数が少ない非常に綺麗な設備的にもエアコン無し以外は共同ですが2ドア冷蔵庫&電子レンジ&ガスコンロ&各部屋にTV&寝具があり問題無かったです。 |
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『ある日の出来事-14』から数日後3週間ちょい通った大阪難波千日前のパチスロ専門店の潮時が来て私は翌年6月途中か7月1日出発予定の『第5回北海道原チャリツーリング』迄の入寮工場派遣の求職活動に入りました。 この時の求職活動ではいきなり初日に実際働く事になった入寮工場派遣の仕事が見付かりました。 どういう事かと言うとその派遣会社の本社は大阪市の南側に位置するS市にありましたがそこに応募電話を掛けた所『現地事務所の電話番号教えるから直接応募してるか?聞いて!』と言われ少し前にイジメ自殺問題で話題になった滋賀県の県庁所在地であるO市の東隣の K市にある現地事務所に応募電話した所親分肌っぽい事務所長が『おぅ!今人材の空きが何人かあるから明日にでも来れるんやったらアンタが納得したら即決で働けるよ!』との事で私は即断で働く気になり『明日行きます!』と即答し実質勤務決定となりました。 その時はそれだけの電話で作業内容は知らされて無かったんですが募集広告に日勤定時10000円と当時としてもなかなかの日勤の良さだったので当時はどんな作業内容でも最低平均レベルの作業をやる自信と実績のあった私が即断した理由です。 翌日現地事務所長に言われてた時間に充分間に合う様に西成あいりんの安宿を原チャリで出発し言われてた時間の3時間以上前に到着してしまったので現地事務所の直ぐ隣にあったパチ屋でパチスロをやって時間つぶしをしました。 ちょうどいいタイミングでパチスロの引き際パターンが来て確か2万位勝てました。 当の入寮工場派遣会社は『S工業』と言いそれまでに何度も大阪や名古屋で求職活動してて募集広告を見た事はありましたがこの時に初めて大阪府S市に本社があり滋賀県K市に入寮勤務先の現地事務所のある『S工業』で働くべく面接に臨みました。 作業内容は『S工業』現地事務所と同じ滋賀県K市にあるエアコン製造会社『D工業』でした。 他数人と『S工業』現地事務所での面接で即決採用だったので即『D工業』見学となりましたが先に『S工業』現地事務所長独断で数人の面接者の2DKで2人住まいのアパート寮の部屋も決められてしまいましたが 私は待遇の良い派遣会社に採用された事で嬉しい気持ちだったのですが同室先輩同僚がちょいとばかし『くせ者』でした。 |
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1999年6月中旬 私と同期同僚が『W・プラン』事務所に呼び出され『M仁丹』から解雇と言い渡されましたがそれ迄の2人の勤務実績とその日『M仁丹』工場内決まり事破りの理由がウッカリしてた上での事で その決まり事破りがその日が始めてと言う事で『W・プラン』所長は温情として即勤務出来る派遣先を紹介すると言って来ました。 勤務先は『W・プラン』事務所と同じ滋賀県H市内にある現在は社名が『Pソニック』となってますが当時は『M電工』と言う社名のマッサージ機製造工場で土日定休日勤専門日給8500円との事で翌日勤務先見学&面接に行く事になりました。 と言う事で私と同期同僚は帰されて『W・プラン』事務所前で同期同僚は安心した様子で『良かったわ!俺もうW・プランで5ヶ所で働いて来たからもう働くとこ無いと思うた!』と言ってましたが私には『M仁丹』解雇のタイミングが悪過ぎました。 何故なら既に記してる様に『M仁丹』勤務はこの月末迄の勤務予定でその時既に『第4回北海道原チャリツーリング』の日程が決定済みで往路7月1日京都府舞鶴発小樽着&復路は夏の甲子園開幕に間に合う様に8月上旬小樽発福井県敦賀着フェリーの予約済みで『W・プラン』の 雇用契約書に『退職時は最終勤務日の遅くとも2週間前にはW・プラン事務所に知らせる』とあり正にその日から3〜4日以内に『W・プラン』に退職届を出す予定だったからです。6月末日退職は幾度も食事を奢って貰ってる手前同期同僚にも知らせてませんでした。 私は当然『M電工』で働く気は無く持ち金は有り余る程あった事で往路フェリーの予約を『M仁丹』解雇の翌日の『M電工』工場見学&面接の翌日に変更して『第4回北海道原チャリツーリング』はより長く楽しむ事を決めました。 『W・プラン』退職の理由は『M電工』見学&面接後に『此処の仕事僕に合わなさそうやから辞退します』と言う事で形式上の円満退職と言う形にしようと思いました。 その日の内に往路フェリー予約変更を電話して決めて翌日『M電工』見学&面接後『M仁丹』同期同僚は働く意思表示して『M電工』勤務が決まりましたが 私は予定通り『仕事合わなさそうやし辞退しますわ』と告げ『W・プラン』の円満退職手続きを済ませ翌日『第4回北海道原チャリツーリング』へと・・・ 【終わり】 |



