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ペダルをこぐ
息を切らせながら精一杯にこぐ
夏のうだるような暑さに汗が流れ
照りつける強い日差しに、目がくらみそうになる
それでも懸命にペダルをこぎ続ける
これは、前から決めていたこと
街を見下ろせる展望台
その展望台に続く、長い、長い坂道
ここを、一度も足をつけることなく登り切る
それが、この夏
僕が立てた目標の一つだった
何度か挑戦したことはあったけれど、未だ達成されていない目標
我ながら些細な目標だと思わなくもないのだが
けれど、そんな些事すら達成できないことは、どうしようもなく屈辱だった
運動ができないわけではない
高校でも、そこそこできる方の部類だと思う
足の速さについては、特に自信がある
なのに、こんな程度の坂道を登りきれないことが許せなかった
「でもっ、今日、こそ、はっ!!」
そう
今日こそは、登ってみせる
なぜならテンションが違う
装備が違う
新品のクロスバイク
前のがお釈迦になってしまい、それでもようやく手に入れた新装備
一学期の中間、期末
それと、塾での試験結果が良ければ考える、という約束の下で達成された努力の結果
6ヶ月分の小遣い前借は、まぁ確かに痛かったけれど
でも、そんなものがあって、この坂を登れないわけがない
いや
登り切れなくて何が男なものか
「くっ!ふっ!はぁっ!」
とはいえ敵もなかなかに然るもの
ゆっくりと、ゆっくりとしか進めない
真っ直ぐに登っていた車体も、今は斜め斜めの蛇行運転
徐々に重くなっていくペダルは、さらなる誘惑を仕掛けてくる
だけどこれは決めたこと
今日は登ると決めたこと
だったら、自分との約束くらい
守り通せず他の何ができるのかっ!
そして
ようやく
「たっっ............
僕は
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ...」
仇敵ですらあった目標を静かに
ただ静かに、達成していた
自転車から降りることなく下を向き、そして息を吐く
盛大に盛大に息を吐き、矢継ぎ早に空気を吸い込んだ
気だるさに包まれた体は、ハンドルに体重をかけさせ、少しでも楽になれと懇願してきている
「ははっ...」
だけど、僕の心には、そんな気だるさなんてどうでもよくなる位の喜びに満たされていた
「やった...」
ついに登りきった
今まで、何度も何度も挑戦してきてダメだったことを、ついにやり遂げた
顔がにやける
口のはしっこが持ち上がって仕方ない
息を切らしつつも、込みあがってくるこの感情は、自分ではどうしようもないものだった
「ふぅぅ...」
上がっていた息が落ち着いてくる
心臓の音は、まだいつもより少し早いが、気にするなと答えてくれている
酸素も、そこまでいらないと肺は教えてくれた
そこでようやく、前のめりになっていた体を起こし、自転車に乗ったままの体制で、目の前の風景を眺める
「...はぁぁ」
清々しい光景だった
夏の日差しと入道雲
どこか遠いセミの声が、まだまだ続くこの季節を祝福している
遠目には、海がその顔を覗かせ、キラキラと白く海面を輝かせていた
「いい景色だなぁ...」
別にこれが初めてという訳ではないが、やはり今日は格別
見るもの全てが、祝福されているなんて錯覚すら引き起こされている
なんて、まぁそれは言い過ぎとして
「ん?」
そこで、そんな世界の中にに、妙に低い音が紛れ込んでいることに気づく
低く、振動した......うん、そうだ、これは...
エンジン音
多分だが、これはバイクの音だろうと思う
「どこだ?」
音からして、結構近い
というか、近づいてきている?
でも、この近辺には民家なんてない
また展望台と銘打っていても、ここは別に特質した何かがあるわけでもない
あるのは、一台のベンチと自販機が一台くらい
そんな場所が、人気スポットになどなろうはずもない
だがそれなのに、どうやらそのバイク?はここを目指しているらしかった
「ふむ」
妙に気になったので、自転車から降りて確かめることにした
展望台の欄干から、身を乗り出して確認する
すると、一瞬キラッと光る何かが見えた
それは、一度ではなく、何度も何度も太陽の光を反射しながら、こちらに近づいてきている
「やっぱり、バイク、みたいだな」
どうやら赤い車体のように見えるそれは、僕が必死こいて登ってきた坂道を、楽々と登ってきている
さすがは性能の差
自転車とは比べ物にならないくらいの走りである
まぁ、カッコいい、と思わなくもない
だが同時に、正直むかつく光景でもあった
「相手はバイクだって、分かってるけど、さ」
でも生憎、自分より優れているものを、あっさり認められるほど僕は大人じゃない
僕は基本、負けず嫌いなのだ
「ったく、どんな奴だ?あんなゴっツい、しかもあんな真っ赤で派手なバイクに乗ってる野郎は」
しかし、予想は付く
きっとバイクの通り、ゴっツいおっさんが、田舎のヤンキーみたいな奴なのだろう
「よし」
どうせだから、そいつの顔を拝んでやろうと思った
こんなことを呟いている内に、そいつはやってくるに違いない
もしかしたら、暴走族のような奴って可能性もあったが、その時はその時
無視を決め込んで、さっさとおサラバすればいい
「っと、来やがったな」
バイクの轟音が、すぐそこまで近づいてきている
そして案の定、赤いバイクは俺のいる展望台まで登ってきていた
「ん?」
だが、その第一印象に、僕は思わずギョッとしていた
いや正しくは、唖然、としていた
ぶっちゃけ、目を見張らずにはいられなかった
なぜなら
(長い、髪...)
そう
そのバイクに乗った奴は、やけに長い髪を、風になびかせていたからだ
いや、それだけじゃない
ゴっツいと予想していたわりには、随分と細い
いや、ライダースーツを着込んでいるとはいえ、もはや華奢とすら言えるスタイル
どうやら僕より少しだけ背は高いようだが、それはどう見ても
「おや?先客がいたんだ」
そう言って、ヘルメットをとる...その人
そして、左右に首を振って、その長い髪をさらさらと大きく揺らしていた
さらさらと
さらさらと
「...ぁ」
その瞬間を、思わず...見入っていた
その綺麗さに、というよりは、目の前にいる
その『女の人』の
とても格好のいい、一挙一動に
「や、こんにちは」
「............」
「ん?挨拶は...なしかな?ふむ、そう怪しいつもりはないんだが...」
自分の格好を確認するように見回すその女の人
ご丁寧なことに、足の裏まで確認している
恐らくは3、4歳は年上だろう人のはずだが、何というか、随分とお茶目というか、妙にフランクな人だ
「あっ!いえ!すみません!ええと、こんにちは、です...」
「ん?ああ、こんにちは。今日も暑いね」
僕の返事に満足したのか、その口元を微笑ませ、彼女はバイクを降りようとする
その長い足で、さもコンパスで円を描くようにして、その両足を地面につけた
そしてそのまま、何気ないように、自然に展望台の端に歩いていく
「ぁ...」
そんな何でもない姿さえ、僕には洗練されたものに見えていた
何て、妙な感じなんだろう
バイクの彼女は「ふぅ」っと息を吐きながら一瞬だけ景色に見入って、その欄干に両手を添える
そこには、真っ直ぐな眼差し
どうやら、その大きな瞳は、遥か先にある海を見つめているようだった
「ぁ」
その時、海の方から風が吹いた
その緩やかな向かい風が、彼女の髪をなびかせて、僕の側を通り抜ける
わずかに、甘い柑橘系の香りが鼻先を掠めた
周囲を囲む緑の山々と、青く広がる空の間の...紅一点
赤いライダースーツと黒めのジーンズが、自然の中に映えて、僕にものすごい違和感を覚えさせる
何なんだろう、この人は
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