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ガタンゴトン
夏休みの8月初旬
俺は一人、のんびりと走っているローカル線に揺られていた
目的地までは、まだ一時間近くかかるはずだ
しかし、やることもないので、せめてもの暇つぶしに窓の外を眺める事にする
透明なガラスの先には、真っ青な海と、白くて大きな入道雲
少し開けた窓の隙間からは、気持ちのいい風が入り込み、その風の中には少しだけ潮の匂いを感じる事が出来た
(懐かしいな...)
ふと、そんな言葉が頭に浮かぶ
夏の潮の匂いは、昔の事を思い起こさせる
うだる暑さ
セミの鳴き声
風鈴の涼やかな音色
扇風機の駆動音
木漏れ日の光
小川の冷たさ
あったかい風
でも、それと一緒に浮かんでくる記憶もあった
オレンジとネイビーブルー
二色のグラデーションの世界
風になびく長い髪
その真っ直ぐな瞳
そして、彼女の...最後の言葉も...
(またね!)
一瞬、その言葉が頭の中に響いたが、俺はそれを鼻で笑ってしまう
そんな遠い昔の思い出に浸って列車に揺られていると、だんだんと眠気が襲ってきた
俺は一度だけ海を眺めてから、静かに目を閉じることにする
あの日、見た...
世界の全てを思い出すために
『グラデーションの夕暮れ』
終業式を終えて、俺はいつもの帰り道を歩いている
真っ直ぐに続くなだらかなアスファルトの坂道
道の両側にはブロックやコンクリートで出来た壁が連なり、その上からは少しだけ木の緑が覗いている
坂の上には陽炎がゆらめき、夏の暑さを物語っていた
「ふぅ...」
俺は少しだけ右肩を上げる
すると、肩に担いでいる教科書の入ったカバンと、手に持っている画材道具が少しだけ揺れた
いつもより少しだけ重い荷物は歩き方を変え、夏の陽射しは容赦なく俺を照らし、いつもより少しだけ多く俺を疲労させた
今日で一学期が終わり、明日から待ちに待った夏休みが始まる
中学における最後の夏休みだ
教師達は、高校入試に向けて、この夏が頑張りどころだなんて言っているけど、俺はそんな言葉で動かされはしない
受験勉強なんて2、3ヶ月くらい集中してやれば、大抵のところに受かる事が出来るだろう
それなのに、中学最後の貴重な時間を勉強だけに費やすなんて、まさに愚の骨頂というものだ
なので、俺のこの夏の予定としては、この町の至る所の風景を描こうと思っている
青い海
緑の山々
一面に広がる草原
通いなれた学校
古びた商店街
そんないつも見てきた風景の全てを徹底的にスケッチブックに納めていく
それが俺のこの夏の目標だ
なぜ今さら、長年住んできたこの町の風景を描くのかと言うと...
それは俺が、この町から離れた場所にしかない高校に行ってしまえば...もう、この町で描くことは最後になるはずだからだ...
翌日から早速、俺の計画は動き出した
ということでまず俺は、家から近い場所にある草原に行くことにした
その場所は、俺が小さい頃からずっと空き地のままで、何かの建物が立つ気配など一向に無い所で
家から近いという事もあり、その場所は俺にとって思い出深い秘密基地のような場所だった
だから、一番最初に描くには丁度いい場所だと思ったんだ
絵を描き始めてしまえば、時間が経つのは早い
朝は少し遅めに起きてしまったので、草原に着いたのは昼少し前になってしまったが、それでも夕方までに、鉛筆による下書きは、ほぼ仕上げる事が出来た
「うっ...くぅ〜〜〜っ...」
俺は思いっきり背を伸ばし、動かしていなかった体をほぐす
そして軽く首を動かしてから、周囲の風景を改めて見た
時刻は既に、5時を過ぎている
辺りは、燃えるような橙色に染まり、草原は昼までとはまったく違う様相を呈していた
橙の空の上には紺色の空が現れ始めている
この分だと、もうすぐに夜となってしまうだろう
「今日の所はここで終わっとくか...」
俺は誰にという訳でもなく呟いてから、その場を立ち上がる
画材道具をカバンにしまい
折りたたみ式の椅子を折りたたんで
今書いていたスケッチブックを一度眺めてから
それらを持って俺は家に向かって歩き出した
その帰り道
俺は、渇いた喉を潤そうと道沿いにある自動販売機で、お茶を買っていた
ガタン
大きな音を立てて、下の取り出し口に缶が落ちてくる
俺は、それを取り出そうと腰をかがめた...
「あ...」
その瞬間
目の端に、一つの影が差し込んだ
俺は缶を取り出すのをやめて、その影の見える方向に目を移す
するとそこには...
オレンジとネイビーブルーの空
夕方と夜の狭間
紫の雲と赤い雲
遠くに見える歪んだ夕日
遥か上空の星の瞬き
地上に一番近いところにある町の明かり
その世界の中心に
そんな...俺が見ているグラデーションの世界の中心に...一人の女の子が立っていた
優しい海風にその長い髪をなびかせ
何かを悟りきったような物憂げな表情を浮かべ
その真っ直ぐな瞳に世界を映して
その場所でたった一人
とても淋しげに佇んでいた
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