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朝
まだ少しだけ夜の闇が残っている薄暗い静かな世界
そんな朝の都心から少し離れた環状線上
そこには黒く平らなアスファルトが敷き詰められて
幾つも立ち並ぶ信号機が無言で俺の事を警告している
道の両側には、俺がよく行くコンビニや牛丼屋があり
その奥には、十階以上のマンションが軒を連ね、そのもっと遠くには高層ビル街が見えている
こう見れば、どこからでも人が姿を現しそうな日常の風景だ
そんな日常であるはずの風景の中で
俺はたった一人で...この道路の真ん中に佇んでいた
閉ざされた朝
俺のよく知っている道
俺が朝と夜、通学やバイトのためにバイクでいつも通っている道だ
だけどここは、俺の知っている場所じゃ無い
いつも見ている風景だけど、俺はこんな場所のことを知らない
例え、俺のよく行くコンビニや牛丼屋があっても
何度もこの道路をバイクで走り抜けたことがあっても
俺は全くこの場所を知らなかった
それは、この場所に立っているだけで分かる
風が冷たく重い
空気の匂いが違う
音が無い
匂いが無い
それ以前に、ここには...時間が無い
時計は秒針も一ミリ足りと動かなくて
いくら待っても昼も夜も訪れず、ずっとずっと朝のままなのだ
この世界は狂っている
もはや普通とか日常なんてものが、どこにもありはしない
...いや、それだけだったら、俺は耐えられたのかもしれない
風や空気がいつもと違っても
音も匂いが無くても
時間が止まっていたとしても、それが何だと言うのだ
それよりも怖いこと。それは...
人がいないことだ
生き物がいないことだ
どこまで行っても誰も、何も存在していないことだ
道路には一台の車も通らないし
歩道には誰一人歩いていない
もちろん、コンビニや牛丼屋にも店員がいなくて、いくら待っても誰もレジの前に立つ事はない
いつも見ていたはずの場所には、誰も、どこにもいなくて
それどころか、イヌやネコといった動物達、それにもう虫の一匹だって見かけたことはない
俺だけが...世界に一人きり取り残されている...そんな感じ
どうして俺だけが、こんな場所にいるのか
どうして、俺の他には誰もいないのか
そう何度も誰かに問い掛けてきた
でも、誰も答えてはくれなくて
誰も、俺に話し掛けてはくれなくて
発狂しそうになるくらいに淋しくて苦しくて
だから俺は、せめて出来る事はと
自分を保つ何かをしようと考えて
俺のよく知る場所で
でも、俺が全く知らない場所で
今日も...いるはずのない誰かを探して
たった一人で、誰もいないこの環状線を、この赤いバイクで走り抜けている
あれはいつのことだっただろう
気がついたら、俺はこの無人の世界にいた
初めてこの世界に立った時、俺はただ茫然とする事しかできなかった
これは「夢」なのだ...と、何度も目を瞑って眠ろうとした
でも、何度も目を閉じても眠れなくて、他に何をやってもこれが「夢」ではないと思い知るだけだった
時には、自分自身すらも虚構なのではないかと思った事もある
この無人の世界に、俺という人間がたった一人だけ
だとすれば、おかしいのはこの世界なのではなく俺の方なのかもしれない、と...
でも俺には、ちゃんと名前も思い出もある
ここに来る直前のことはあやふやなままだけど、まだすがっていられるものがある
今坂 一樹(いまさか かずき)
それが俺の名前だ
大学二年の二十歳
昔から乗り物が好きで、特にバイクが好きだった
だから幼い頃の俺は、大型二輪の免許を持っていた父親に「一緒に乗せて」といつもせがんでいた
だけど父親は一度も俺をバイクに乗せてくれたことは無くて
俺は仕方なく、いつもただの自転車でしかないマウンテンバイクで我慢していた
そのせいかもしれない
俺はこうやって、バイクで乗り回すことを小さい事からずっと夢みていた
自分のバイクで、まだ知らないどこかに、どこまでも遠くに行ってみたかった
アクセルを全開にして、こうやって思いっきり風を切ってみたかった
スピードを出せるだけ出してみたかった
だけど...俺は...
だ...か―――っ
「え?」
キキィィィ―――ッ!
全速で走っていたのにも関わらず、俺は急ブレーキをかけた
「うっ!!」
その反動で車体が横を向き、危うく投げ出されてしまいそうになる
それを全身でバランスをとって、どうにか堪え、そしてすぐに、首を上げて周囲を見回す
「はぁ...はぁ...こ...」
(こえ...?)
確かに『声』を聞こえた
ずっとずっと聞いていなかった『誰かの声』を聞いた気がした
「誰か...誰かいるのか...」
俺はすぐさまバイクのエンジンを切って、音を聞き逃すまいと静かに耳を澄ませる
幻聴だったのかもしれない
俺が頭の中で思い浮かべた空想の産物だったのかもしれない
(だけど、もしかしたら...)
(もしかしたら本当に...)
静寂
俺がいつも感じている静寂
でも今はそこに...
「だれか―――っ!!」
「っ!!」
聞こえた
確かに聞こえた
幻聴なんかじゃない
空想の産物なんかじゃない
「いる...人だ...人がいるんだ!」
俺以外の誰かがここにいる
俺以外の誰かがそこにいる
そう思ったら、俺は居ても立ってもいられずに駆け出していた
もうどれくらいの間か分からないほど聞いていなかった、人の声
そこに人がいる証
俺以外の誰かが存在しているっていう安心感
「誰か、誰かいませんか―――っ!!」
(また聞こえたっ!)
俺はそれだけで嬉しくなって、顔がほころんでしまう
「誰かああぁ―――――っ!!!」
それは、とても悲愴な声だった
この場所が何なのか分からず
誰もいないがらんどうの世界に放り込まれて
不安で
恐くて
淋しくて
とにかく大声を張り上げていないと、自分がどうにかなってしまう...そんな声
「...この人も...俺と...」
俺はそんな悲愴に満ちた声を聞いて、この人も俺と同じなのだと確信する
それでも、この声の持ち主が俺の希望になってくれるはずだ
だって、俺以外には誰もいないと思っていた世界に、人がいてくれたのだ
こんな安心感が他にあるわけがない
「お願いっ!!誰かいるなら返事して――――っ!!!」
「お――――いっ!!」
俺は、その声の主も望んでいる声を張り上げた
すると、その声が少しの間だけ途切れ
「だ...誰かいるんですか―――っ!!」
悲愴に満ちていた声に、わずかな希望が含まれた声が返ってきた
「ここだっ!俺はここにいるっ!!」
俺も希望に満ちた声を出す
そうして俺達は、何度も何度も大声で呼び合って、互いの存在を確かめ合う
俺はその声を頼りに走り続けた
その声に向かって走り続けた
そして、大通りを抜けたところの大きな駅の前に...
「っ!!」
「あっ!」
その駅前には...高校生くらいで制服姿の一人の女の子が立っていた
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