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す、するどい・・・

福岡市の男女共同参画推進サポーターの講座での1コマ。
この日のテーマは「DV」

講座の後、ある男性が「うちはDVなんて、無縁だね」と。

ところが、フェミニズム運動家の別の女性が、
「それは奥様に尋ねてみないと分からないことでは?」。。。

いや〜、するどい

言われた男性は、勿論、言葉が出ず・・・

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メッセージ♪

*:・'゜☆。.:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:・'゜:*:・'゜☆。


生きるとは呼吸することではない。
行動することだ。
       (フランスの思想家 ルソー)


*:・'゜☆。.:*:・'゜★゜'・:*:.。.:*:・'゜:*:・'゜☆。

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奈良県出身の吉本伊信という心理学の先生が発案した、
【内観法】という心理療法がある。

うまくいかないと感じるとき、
つらいとき、
気持ちがすぐれないとき、
生きることの意味を見失ったとき・・・

今までの人生で深くかかわりをもった人たち、1人ひとりについて、
「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」
この3つを自分に問いかけながら、ひたすら思いだすという方法。

大抵は15時間程かけて行うのだが、
最近は、6〜8時間、あるいは、4時間程×3日間という構成で
セミナーやカウンセリングを行っているカウンセラーが増えている。

そう聴くと、かなり特別な方法のように感じる人も多いだろう。

しかし、私は日々の生活の中で、
一日の最後、あるいは朝一番に行うことをクライエントに勧めてきた。
マイクロ内観法といったところだろうか・・・

一日の最後の場合は「今日」の中での↑の3点、
朝一番の場合は「昨日」の中での↑の3点を
思い出すように勧めている。

正直、自分にとって、
思い出したくない過去の出来ごともココロの中に浮かび上がってくる。

そうしているうちに、
自分がこれから人に対して、どういう態度で接するのが良いか、
物事をどう解釈するように気をつければ良いか、
誰も教えてくれない気づきが湧いてくる。

私の場合、初めて内観法を受けたとき、
自分には、周囲への感謝が足りないという
大きな気づきを得ることが出来た。

そう、私は周囲への感謝が足りなかったのだ・・・http://img.mixi.net/img/emoji/206.gif

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基点

なぜ、自分がグリーフカウンセリングに関わるようになったのか・・・

考えてみると、私は幼い頃から、
「死」と接する機会が多かったように感じられる。
幼い頃、毎年のように身内や知人が亡くなった時期があった。

特に、小学4年生のとき、地域のボランティア団体で知り合った
知人女性が焼身自殺し、
何故かお葬式で、焼け焦げた彼女の顔を見てしまったことが
今も強烈な記憶として残っている。

そして、高校1年生の夏・・・

その春、中学時代から仲の良かった友人と叔母が立て続けに亡くなり、
罪悪感を含んだ喪失感に襲われていた私は、
人生とは何か、
生きる意味とは何かという自問自答を繰り返す日々を送っていた。

彼女らが死んで、自分だけが生きている矛盾を、
罪悪感として捉えていたのかもしれない。

友人も多く、楽しいはずの高校生活の中で、
生きることに対しての空虚感を感じている自分が常にいた。

そのような折、ある人との出会いをきっかけに、
ホスピスと児童施設にて、傾聴ボランティアに参加する機会に恵まれた。
「ホスピス」「傾聴」という言葉さえ知らなかったため、
最初はあまり興味を抱けなかったが、
声をかけてくれた人からにじみ出る魅力に
誘われるようにして参加することとした。

まず、最初にホスピスを訪問することになった。
もちろん、ホスピスへ入るのは初めての体験。
事前に研修を受けていたため、
自分でも十分な覚悟をして臨んだつもりだった。
しかし、病室へ入ると、想像を超えた光景が目に飛び込んできた。
震えて、入口から中に入ることが出来ない16歳の私がいた。

病室には、余命宣告を受けた患者が8人寝ていた。
最強の鎮痛薬も効かなくなった人たちだ。

全身に走る激痛で眠れないと訴える人、
痛みに耐えられず殺してくれと懇願する人、
言葉を発せられないほど気力を失っている人、
抗がん治療により肌がドス黒く変化した人・・・
今にも生命の灯が消えそうな人達を目の当たりにした。

しかし、その動揺も先輩の
「はい、行くよ!」の声でハッと現実に引き戻された。
そこから、私の本当の衝撃体験が始まることになる。

先輩が慣れた様子で担当している患者様のベッド横にすっと座る。
声は発しないものの、先輩が来たことが分かったよという意味だろう、
弱弱しくも深くうなずく患者。
先輩が患者の手を握る。
すると、患者は少しだけ口角が上がって、ゆっくり眠りに落ちた。
眠りに落ちたあとも、先輩はずっと手を握り、2時間ほど、そばにいた。

そう、私が本当の衝撃体験と前述したのは、
瀕死の状態の患者の姿ではなく、
人の存在が現代医療を超えるという事実のことだ。

私達傾聴ボランティアスタッフや
クリスチャンの訪問ボランティアの方々が
言葉をかけるわけでもなく、
そばに座り、手を握り、呼吸を合わせていく。

すると、あれほど痛みで眠れないと訴えていた患者が
その間だけ、すやすや眠るのだ。
特別な言葉をかける訳でもない。
ただ、横に寄り添っている私達の存在を感じると、
精一杯の笑顔で応え、穏やかな表情で眠りにつく。

ホスピスに続き、児童施設へも同じ先輩と一緒に訪問することになった。
様々な事情を背景に持ちながら
児童施設で暮らすことになった子供たちは、
他人への不信感でいっぱいで、
会ってすぐには、なかなか打ち解けてくれない子が多かった。
顔に表情のない子も多かった。

その中に、小学校高学年になっても、
夜尿症をして先生たちを困らせている子がいた。
先輩が行くたびに、その子を抱きしめた。
すると、夜尿症はおさまったと先生たちから報告を聞いた。

もう一人、小児ぜんそくの女児がいた。
その子も先輩が行くたびに抱きしめたり、褒め言葉をかけていた。
すると、あんなに酷かった咳が減っていった。
この子たちには、寂しさがストレスになり、
身体が色んな反応を出しているのかもしれないからと先輩は教えてくれた。

これらの経験から、私は多くの気付きと感動を与えられた。
人にしかできないことがあること。
心と身体はつながっていること。
人にとって一番の恐怖は、孤独、不安、疎外感といった
心の奥深い領域の感情であること。

そして、人は人の存在を感じることで、
痛みの先にある、死への恐怖、不安、孤独感といった
心の奥深い領域のマイナスの感情から開放されるのだと。
この体験以前から知っていた「人にとって、一番の恐怖は孤独」
というマザー・テレサの言葉も
知識としてではなく、体感として自分の中に染み込んだ。

この夏の経験を通し、生きることに空虚感を感じていた私に、
今を生きることが出来る感謝の気持ちが自然に沸き起こってきた。
私が生きている今は、今日は、
昨日亡くなった誰かが生きたかった今であり、今日であるのだと。

同時に、命は限りあるものであるがゆえ、今日を大切に生きよう、
今日の出会いを、今日の言葉を大切にしようと自分に誓った。

この経験のあと、私は社会人になってカウンセリングや心理学等を学び、
カウンセラーという生き方を選ぶに至った。

カウンセリングに携わり始めたころ、
人は、人1人さえ幸せにすることが難しいという葛藤が度々私を襲った。
葛藤というよりも苦悩に近いものだった。

そして現在。

私は人を幸せに出来る力を有していないことを悟った。
その人の心、存在に寄り添うことしか出来ない。

今はただ、私の関わった人が幸せに生きる
“きっかけ”を投げかけることが出来たら、
暗い曲がりくねった道でも一緒に走ることが出来たら・・・と願いながら、
今日も誰かの心の声を聴かせて頂けることに感謝している。

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基点

誰もが直面する死。

人生最大の旅である死は、多くの場合、前ぶれもなく突然やってくる。
心の準備も無い状態で愛する人と別れなければならない。
だからこそ、悲しむことに時間をかけなければ、
悲しみから回復し、再び未来へと向かう時間を手にすることはできない。

悲嘆の中にこそ、生に向かって回復する力がある、
最悪の状況の中でも、人間は希望の糸をつむぐ力をもっている。

愛する人との別れを経験すれば、
生きることがむなしく、無意味になるかもしれない。

しかし、悲嘆に直面して悲嘆をごまかすことなく生きるとき、
そこに宿る治癒の力が、人生を無意味から意味へと変容させる。

ある人が死に、ある人が生きている理由は、人間が問うべき問いではない。
その事態を決定するのは神または宇宙である。
その問いには誰も答えを出せない。
それでも理由があるとすれば、生き残った人が助命された理由は、
それが「生きなさい」という意味だと考えるしかない。

喪失の苦しみと亡き人への愛とは永久に繋がっている。
喪失の悲しみと共に横たわっているのは、愛の絆。
だからこそ、しっかりと悲嘆と向き合ってしっかり味わう必要がある。

悲しみに浸る自分を回避してしまうと、
逆に失った者に対する思いに心を奪われて、
自分の心の安らぎは遠くに置かれたまま時計は止まったまま。
理性が邪魔をして、心的現実性に帰る心の中の喪の浄化作業を
しなくてもいいように振舞ってしまう。

だからこそ、悲しみぬくことが癒しの力になる。

恥もプライドも捨てて、
泣き叫んでも亡くした存在は、返事をしてくれない。
まだ伝えていない気持ちが沢山ある。

この辛い現実を知っているのに、
どうしようもないせつなさ、むなしさを感じ、
無情に過ぎ行く日々の中で、ただうずくまる。

悲しみに浸る自分を無視してはいけない。
後ろを振り返っているのではなく、
この先の道がよく見えるようになるまで、
立ち止まる自分へのいたわりを覚えることも時には必要なのだ。

失うことは 多くを教えてくれる。
悲しみは理屈でないこと、すべて吐き出さなければ前に進めないこと。

離別・死別・離婚・離職・・・
人生のなかで喪失は尽きないが、何も感じずに人は前に進めない。

「グリーフセラピー」「デスエデュケーション」・・・
喪失感から立ち上がるために、
私がカウンセリングに出会ったきっかけは、そこにあった。
そして、私のゴールもそこでありたいと願う。

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