「夫が脳で倒れたら」 三澤慶子(2019年、太田出版、1600円) 脳梗塞闘病記としては、鈴木大介 「脳が壊れた」 が最近の話題本です。
さほど大きな後遺症のなかった鈴木氏とは異なり、 著者の夫 轟夕起夫 (映画評論家、50歳で発症) には、重い右半身麻痺が残ります。 妻の目から見た夫の闘病記。 すばらしく良く書けていて引き込まれます。
『書かれている内容が何であれ、文章が良ければ読んで楽しい』 というのがわたしの持論ですが、まさにその好例と言うべき本でした。 元々のお人柄なのでしょう、イキイキした明るくユーモラスな語り口 が大きな魅力です。
*発症前のさまざまな徴候に、本人も妻も気づけなかったこと
*入院した病院での、不適切な医師と看護師に (ごく一部ではあっても) 傷つけられたこと *麻痺の進行が止まるのを、祈る思いで見まもったこと *一時は絶望で落ちこんでいた夫が、少しずつ前向きになっていったこと などなど、同じ境遇の妻たちは、どんなにか深い共感とともに読むことでしょう。
急性期の治療が終わって、リハビリ病院への転院が近づきます。
その際、ネット等でしらべて4つの候補病院を絞り込んだ著者、 「下見は不可」 とされているのに、実際に4病院に行き、チラ見程度でも雰囲気を探ります。 ここ、とても共感をおぼえました。
わたしも、そういうことをすると思います。 『大事な家族のために、規則の壁を多少乗りこえる』 くらいのことは。 たいへんに魅力的な闘病記でした。
オススメです! |
闘病記
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「うつ病九段」 先崎学
(2018年、文藝春秋、1250円)
うつ病という病気に対して世間が抱くイメージは、 「もともと生真面目な性格のひとが、
長引く苦悩に直面して心が弱り、ついには立ち直れなくなる」 的なものだと思います。
が、なかには 『急性型』 というものがあるらしく、この本はそのタイプの闘病記です。 著者は、プロ将棋界では最高段位の九段をもつ棋士です。
勝負人生は順風満帆、家庭生活は円満幸福、生真面目というより鼻っ柱のつよい自己主張型性格。 そんなかれがある日、とつぜん 「うつ病」 を発症するのです。
前日は47才の誕生日でした。
仕事のあと、行きつけのボクシングジムで汗をかき、夜は家族とレストランで食事。 そんな楽しい一日を過ごした翌朝、異様な疲労感と不快感を自覚する著者。 体調は悪化するいっぽうで、まもなく、将棋も満足に指せなくなります。
胸苦しさや不眠が強まり、 (恐ろしいことに)、 電車のホームに立っていると、飛び込み衝動が起こります。 ここで、著者の兄 (優秀な精神科医) が登場します。
弟をひと目見て事態の深刻さを悟った兄は、すぐに、知り合いのいる慶應大学病院に入院させます。 入院生活で、著者の苦しさは少し落ちつきます。
面白いと思った箇所があるので、引用します。 (教授回診の際の、教授への質問と答えです。) 「それで...治るんですか」 「もちろんです。 ここは慶應病院ですよ」 およそ医者の発言とも思えない、科学性のかけらもないふたつの言葉である。 だが、私はこれを聞いて全身の力がへにゃっと抜けたのだった。 それは、入院してはじめて感じた安心感といってもよかった。 私は一生、ここは慶應病院ですよ、といって笑った時の顔を忘れないだろう。 そうは言っても劇的な回復があるわけではなく、退院後も、つらさ苦しさでへたばりがちな著者。
そんな弟を、兄から頻繁に送られてくる 「必ず治ります」 というラインメッセージが支えます...。 わお! ひじょうにすぐれた本でした!
文章良し、内容良し。 闘病記として第1級です。 うつ病に興味があるひと、将棋が好きなひと、または単にイキイキとした本が読みたいひとに、オススメです!
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「上を向いてアルコール」 小田嶋隆 (2018年、ミシマ社、1500円) 「『うつ病』 が...」 のハチャメチャ感 (けっこう面白かった) にくらべ、
こちらの本はずっと知的で、文章はこびもスッキリしています。 著者小田嶋氏は文筆業 (コラムニスト) ですからね。 もともと酒好きな人が、自由業という立場に身を置くのは、危険です。
会社づとめの制約がない分、いつでも・いつまでも、飲んでしまうことになります。 著者小田嶋氏も、そのようにして、徐々にアルコール依存の坂を転がりおちていくわけですが、
その状況を自分で振り返り、理路整然と分析している様子が頼もしいです。 その点、 「脳は回復する」 と同様、有意義な闘病記と言えると思います。 自助グループへの参加体験なども、興味深いし。 さて、死に至るような難病とちがって、アルコール依存症の闘病なんて、わたしから見ると、
「なーにやってんだか」 と、あまり同情心もわきません。 でも、この病、再発率90%以上らしく、そういう点では深刻かもしれません。 あと、家族の人生をも巻き込んでしまうとか。 小田嶋氏自身も、 「いちおうの治癒」 と自負しつつ、多少の不安は禁じ得ないようです。
再発なしの完全治癒に到達するといいですね。 タイトルが 「上を向いて歩こう」 に引っかけてあること、先日ようやく気づきました。
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「『うつ病』が僕のアイデンティティだった」 山口岩男(2018年、ユサブル、1600円) 前記事でご紹介した 「脳は回復する」 は、ベストオブ闘病記s、という感じの本でした。
明快で、前向きで、ユーモラスで、明るくて、...。 それにくらべてこの本は、ダメダメ感が強すぎて、読みながら脱力してしまいます。 著者山口さん (現在54歳) はミュージシャンです。
ギターとウクレレの奏者で (ウクレレは日本で第一人者だとか)、 有名バンドに呼ばれて演奏したり、ウクレレ教室を主宰したりと、活躍しているようです。 30代後半、弟が心臓発作で突然死したのがきっかけで、かれはパニック発作を発症します。
日常生活がままならないほどの恐怖感に押しつぶされて、心療内科を受診すると、 処方された精神安定剤で、パニック発作はただちに治まります。 大いに安心した山口さんですが、その後、薬 (頓服を含む数種類) を手放せなくなります。
薬をつねにお守りのように持ち歩き、忘れると、出先からわざわざ家まで取りに戻ったり。 やがて、もともと好きだったアルコールと併用するようになり、
数々の副作用が出始めて 「ヤバイ!」 と思いつつも、酒も薬もやめられません。 その後うつ病の診断が下って薬はさらにふえるし、アルコールのほうは 「連続飲酒」 状態にまで。
(連日、夕方5時から明け方までの12時間、家でひとりで酒を飲みつづけ、昼間はぼーっと過ごす。) 何てダメなひとなんだろう! と赤の他人のわたしでさえイライラするのですから、
もちろん、妻は愛想をつかして去って行きます。 でも不思議なことに、妻が去ると、すぐにべつの女性があらわれて、かれをサポートしてくれます。 (2度の離婚と3回の結婚...。 モテるひとなんですね。) そして、これほどの生活破綻者に、仕事をまわしてくれるひともいます。
心身ボロボロの修羅場生活のなかでも、かれは、 NHK番組への出演を果たしたり、サザンオールスターズコンサートのバックバンドで武道館ステージに立ったりするのです。 まるでジェットコースターのような闘病記でした。
著者の 『ダメなひと感』 に何とも言えぬユーモアがあって、かなり面白く (失礼!) 読みました。 アルコール依存と薬物依存の二重苦、迫力満点です。 |
「脳は回復する」 鈴木大介 (2018年、新潮新書、820円)<脳梗塞の入院生活から日常生活に復帰して、メデタシメデタシのはずが...、そうでもない>
という微妙なニュアンスで終わった 「脳が壊れた」 ですが、 続編にあたる本書は、その微妙なニュアンスの正体 『高次脳機能障害』 との闘病がテーマです。 最近よく耳にするこの病名。
重大な障害ではないけど、けっこう困るのよね、治りにくいのよね、みたいなイメージ。 この、何だかよくわからない病気 (脳系疾患や交通事故などの後遺症で起こるらしい) について、 著者の説明のなんと明快なこと! まるで、眼前の霧が晴れるようです。 まず、高次脳機能障害の代表的な症状を、ひとつひとつ、実体験をもとに具体的に紹介します。
*視線をうまくコントロールできない (一点凝視) *ひと混みのなかを、うまく歩けない *ひとの話がよく理解できない (とくに、早口なひとやまわりくどい話し方のひと) *感情抑制がきかない (すぐ泣く、すぐ怒る) *パニック発作が頻発する ああなるほど、それはつらいだろう、と、読者が前のめりになるほどの、みごとな文章力です。
そして著者は、これらの障害ひとつひとつについて、じっくりと考察し、
原因と対処法を、試行錯誤しながら探求していきます。 (← すごくあたまの良いひとです。) 著者が文筆業という一種の自営業であったこと、妻のサポートが適切だったこと、などもあり、
高次脳機能障害との数年にわたる闘病のあと、著者はいちおう、以前の自分を取りもどしたようです。 じつにじつにすぐれた闘病記でした。
いきいきとして、具体的な示唆に富んでいます。 高次脳機能障害に苦しむ患者や家族に、ひじょうな参考になると思います。 |
「夫が脳で倒れたら」 三澤慶子
「うつ病九段」
「上を向いてアルコール」 小田嶋隆 (2018年、ミシマ社、1500円)
「『うつ病』が僕のアイデンティティだった」 山口岩男
「脳は回復する」 鈴木大介 (2018年、新潮新書、820円)



