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与論島2

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2006.10.28(土)
朝、漁協でのセリを見物。
あと与論島の歴史を訪ねる観光
次に美しい与論の海を見に回る。
5時間はあるいたか。今戻って、4時半。

9時15分の南回りバスで中学校前で降りる。この与論島南部の高台から海にかけては古代よりの伝説が多くのこる聖地であり史跡が豊富な地域である。徒歩開始。

6〜7分のところにある高千穂神社に参拝。明治の3年に明治政府の政策として鎮座。
次にバイクでとおり過ぎる町の人に道を聞きながら30分程で按司根津栄(アジニッチェ)神社に至る。15世紀初めの豪傑で与論出身者で唯一の按司(琉球から認められた国主にあたるか)である。ただ、最後は琉球王朝間の争いで果てる。鎮西八郎為朝の子孫である等、多くの伝説を持っている。その最後はただ一人命を助けて上げた飯炊き老人が放った矢が頭にあたり命を落としたとか戦いに関連する伝説が多く残る。神社には矢の跡が残る頭蓋骨が収められている。

次に、屋川(ヤゴー)に向かう。屋川は15世紀初めに王舅[おおしゃん]が築城した当時から最近まで用水として使われてきた。
農作業をしている人に道を聞きながら行くがなかなか行き着かない。40分ぐらい歩いてこのへんだろうと思うところで調度車を降りて来た人に場所を訪ねるとそこですよと目の前の小さな集会所のようなところの脇を示す。会話はあたりが軟らかく皆親切。そこを降りて行くと、暗い穴が空いたくぼ地へと続いている。霊地の赴きがある。与論にはハブはいないのでだいじょうぶだろうと、降りていき穴の中へ進むと全くの暗闇となり何も見えない。ただ、水の音がする。奄美地方は今年雨が降らず水飢饉に近くなっている。それでも確かな水の音が聞こえる。水音の源を求めて漆黒の中を少し進む。カメラを音の方に向け何枚もシャッターを切る。岩の間から流れる湧き水を捕らえた貴重な写真をとることが出来た。ここは台地で高いところなのに何故水が湧くのか不思議だ。この一帯の高台は遠くから見ても緑の木々が茂っている。

与論城跡。屋川から5分ぐらいで着く。観光用に整備されている。奄美の神社にある土俵のところが天守閣であった。15世紀初めに琉球三山時代、北山王の孫、王舅[おおしゃん]により建てられ、王朝の争いに伴い、完成せずに終わった。高台から南の海を見下ろす台地となっている。

地主神社。明治維新の廃物希釈に伴い高千穂神社が建立された。この際、従来の与論島の原始信仰である拝所(ウガン)の神々を合祀し、地主神社を建立した。城跡にある辺後地(ピグチ)拝所の傍らに建つ。
旧暦三、八、十月の15日に行われる豊年祈願祭典は数百年続く伝統行事で奉納踊りは国の重要無形民族文化在に指定されている。

辺後地拝所(ピグチ・ウガン)。太古より伝わるシュニグ・ウンジャ祭の拝所が座倉(サークラ)毎に島内各所に点在する。中でも最も高い聖地がこの辺後地拝所である。南方に安田(あんだ)離れ、水平線の彼方にはニライカナイを祭る久高島が位置し、天の神「太陽」の礼拝所である。豊年際は元々は辺後地拝所の祭典であった。

琴平神社。文政7年(1824)代官鎌田新之丞により辺後地岩石の場所に建立された。明治42年に島内の厳島神社と酢側和道真公の2社を合祀し、地主神社の境内に移転された。

サザンクロスセンター:展望台を備え、与論の歴史文化を学ぶ施設。森瑤子の与論島への愛が良く伝わる。

ここで12時になり、2時間半も歩いたので、車を呼び、大金久へ移動し、レストラン味咲で食事。
12半ごろ、徒歩開始。

庵水(アマンジュウ)。大金久海岸から戻る感じで赤崎海岸方面へと海岸沿いに進むと30分ほどにある。説明版に与論に初めて人間が渡来して来たときにここに湧き水を見つけて定住したと伝えられる幽邃です。とある。これは伝説なのか、考古学的なものなのか。あまり手入れされておらず、道路下のくぼ地といった様子である。井戸らしきものが見えるだけでくさぼうぼうの状態であった。

与論民族村:円錐形の茅葺屋根の昔の民家や民具を展示している。入園料400円。私一人のために全体を説明して回ってくれる。その後、備え付けのお茶とつまみで与論島の観光というより地域開発について説明してくれた人と話す。少しまじめすぎる感じではあった。ただ、ドンチャン騒ぎする若者が押し寄せてくれれば良いといった考えではなく、確りとした長期視野の意見を持っており、安心し期待できた。

大金久海岸、皆田海岸、黒花海岸、寺崎海岸。
与論民族村から大金久海岸までもどり、海岸沿いに寺崎海岸まで歩く。レストラン味咲のマスターが寺崎海岸は与論島で砂が白く最も細かい。是非見てみてくださいと言っていたのでそこまでは行ってみる。かなりの長丁場であった。砂浜沿いでは歩けず、脇の散策路や散策路が無いところは少し海岸から離れた細い車道を行く。海岸入口標識から海岸へ入る。どの海岸も優劣つけ難い良さ美しさであった。
皆田海岸の手前に森瑤子を偲ぶ建築物があり、誰でも入れる。きれいな良いところ。脇に入口がありPRIVATEと書かれている。門の中に沖縄の祭り用の船らしきものが置いてあった。昨日、ヨットまでやって来た森瑤子の旦那が住んでいる別荘がその奥にある。沖縄風の屋根が遠目に見える。絶好の別荘地である。寺崎海岸は少し小ぶりで好みが分かれると思う。砂は白く細かくきれいであるが、どの海岸もきれいで特に違ってはみえなかった。砂浜を歩いていると突然真っ黒な犬が2匹飛びついてくる。どこか別荘の人の犬らしくきれいな毛並みと首輪をしている。泳いだところらしく黒い毛並みから水が滴っている。道路へ出てもづっとついてくる。4時過ぎとなってしまったので車を呼ぶ。車に乗り込むまで側に寄ってくる。
運転手の話では森瑤子他、海に沿った別荘地はプライベートビーチを持っているものもあるらしい。

今日は歩きすぎたので食事を作る気が起きず、ビールも飲みたかったので池田さんが連れて行ってくれた居酒屋やぐらで生3杯、サザエの刺身、手羽、おにぎり2個で夕食。今日も民宿南海荘で風呂に行き寝る。

写真:
・今朝獲れ、セリに出された魚。食べたかったシャチガイ。
・按司根津栄(アジニッチェ)神社。琉球統治以前に与論島を治めた按司(豪族)を祀る。
・屋川(ヤゴー)。与論世之主の築城時代から使われている地下湧水。最近まで使われていた。
・大金久海岸
・皆田海岸
・黒花海岸
・寺崎海岸
・按司根津栄(アジニッチェ)神社鳥居額
・拝殿
・本殿
・説明
・高千穂神社境内
・参道
・額
・拝殿、本殿
・辺後地拝所
・説明
・右に琴平神社、左に地主神社
・地主神社
・琴平神社拝殿
・庵水(アマンジュウ)
・解説

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