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2007.7.25(水)
奈良尾港から九州本土、面高港に移動する。
広瀬さんが出港時に舫いを渡して送ってくれる。
出港してみると叉、濃い霧に包まれる。濃霧警報が出ていたのだろうか。
ズット立ち続けでワッチをする。
奈良尾港から奈留島港に移動する時より濃霧が続く。
晴れてきたのは12時半過ぎからであった。多分またジェットフォイルは運行中止になっただろう。
今、面高港のポンツーンに船を舫い終わり、ザット整理をし、食器を洗いコーヒーをのみながらこれを書いている。
1時半。着いたのは1時ごろ。暑い。

面高港は港湾案内には載っていない。
この港に入るには針尾瀬戸を越えてハウステンボスに入る為の待ち港として非常に近いこともあるが、
以下の長崎県の港紹介に動かされたことが大きい。

長崎県の文化百選港編の紹介文:
“黒船”並んだ最盛期
 「荷積みの順番を待つ3本マストの大きな帆船が港内に何隻も並び、それはもう壮観だった。
  地元ではそんな船を“黒船”と呼んで親しんだ」。
  面高漁協理事の太田金之助さんは、昔の面高港を振り返り、
  懐かしそうに語る。
  西彼杵半島の北端にあり佐世保湾口に近い面高港。
  外海に突き出た二つの岬、曲り鼻と松山崎に挟まれた深い入り江が、天然の良港を形づくっている。
  道路網が整備される前の“陸の孤島”の時代、同半島北部の玄関口として多くの人や物資が行き来した。
  一度荒れ狂うと船の航行を拒んだ外海。岬が天然の防波堤となった港内は、少々の暴風には影響を受けない。
  古くから避難港としても知られ、航行中の船はあらしが過ぎ去るのをこの港で待った。
  大正時代から昭和にかけ、佐世保が軍港として多くの船が出入りしたころ、
  面高港は佐世保に向かう帆船や機帆船が帆を休める場だった。
  また西海町の農産物を積み込むため帆船が次々と入港。崎戸や大島の石炭運搬船も寄港し、港は相次ぎ船が出入りした。
  海上交通の要衝としてのにぎわいは、町に多くの潤いをもたらした。海岸通りは船員相手の旅館や商店などが並んだ。
  最盛期には遊郭も13軒を数えたという。三味線や太鼓の音色が夜遅くまで続いた。
  戦後、船の大型化で港は手狭となり、寄港する船は次第に減少。陸上交通の進展も、
  農産物などの積み出し港としての価値を失わせた。
  今、港内には漁船や養殖いかだが静かに浮かび、かつてのにぎわいは見られなくなった。

写真:
・面高港に舫うECHO POINT
・対岸に竈門(かまど)神社を見る
・竈門神社参道
・鳥居額
・拝殿
・本殿?
・近く寄って見る

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