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2007.9.10(月)
筑前大島から遠賀郡芦屋港に移動しました。
9時45分ごろ到着しましたが、漁協に挨拶に行くと別の場所を指示され、
移動を今完了したところです。11時。

神武東征の折、日向を出立したかむやまといわれひこのみこと(後の神武天皇)が、
宇佐を経て寄港したのが筑紫の国崗水門(おかみなと)ですが、これが現在の遠賀郡芦屋です。
何ゆえに神日本磐余彦尊は宇佐から東へ瀬戸内海へと進まず、逆に西へと進路を向けて遠賀に寄港したのでしょうか。

日本書紀の時代から歴史に登場する遠賀郡。是非船で尋ねてみたかった。
遠賀(オンガ)という音色からして心地よい。

高倉宮を尋ねる:
昼食をとって直ぐ出かける。バスを探し、JRの遠賀川駅まで行き、一駅先の海老津駅で降りる。
バスは1時間程待つ必用が有り、タクシーに乗る。1000円かからず着く。
いかにも古社の趣がある境内と社殿である。
境内に水が流れ、社殿は山を背に高い位置にある。さわやかな空気に満ちる。
高倉宮の起こりは、仲哀8年に倭国うだい人伊賀彦をこの地で祝(はふり、神官)としたことが「日本書紀」に記載されている。
さらに「続日本紀」は740年の藤原広嗣の乱に際して、広嗣が遠賀郡家を本陣としたと記している。
遠賀郡家は、高倉宮の神領地の吉本にあった。
参拝後、御朱印を依頼するとたまたま宮司が対応してくれる。
いろいろ話を聞く。
久間宮司が30年ほど前に高倉宮に来た時は荒れ果てた状況であたのを今のように修復してきたのだ。
私が遥か昔からのたたずまいと見た姿は実は長年の綿密な積み重ねの成果であったのだ。
後世、中興の祖と呼ばれるであろう。

岡湊神社を訪ねる:
高倉宮から戻り、遠賀川駅からバスに乗り、岡湊神社の近いバス停で降りる。
岡湊神社は遠賀川の河口近くに鎮座する古社である。
日本書紀の十四台仲哀天皇条(199年)に神社創設が記されている。
岡湊神社の御朱印を作成してくれた若い人は宮司の息子さんらしい。
神武天皇が来て約1年間滞在した場所は今自衛隊の基地となっている所と言われているそうだ。
かってはそこに湧き水が出るとこがあり神武天皇者という社が立てられたいたが、
自衛隊基地設置に伴い、移動したそうだ。
今は芦屋小学校の近くにたっているとのことであった。

高倉宮、岡湊神社とも1800年記祭の告知が出ていた。

写真:
・高倉宮参道
・高倉宮拝殿
・高倉宮拝殿、本殿
・高倉宮拝殿本殿
・神功皇后が三韓征伐の際、自ら植えたと伝えられる綾杉。
・高倉宮解説

・岡湊神社鳥居
・鳥居額
・参道
・拝殿
・本殿
・岡湊神社社殿
・岡湊神社参道

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