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2009.6.13(土)
浜田は通過地点ぐらいに考えていたが、実は大きな都市で豊かな歴史を持った町らしいとわかる。
滞在して浜田の町を探索する予定。
私は島根県に来るのは初めてではないのかなー。
朝から霧雨や小雨が降っている。午後から晴れる予報なので次第に雨は上がるだろう。
食事も後片付けもおわり、ゆっくりしているところ。7時半。

いろいろ解ってきた。
浜田は江戸の初めより幕末まで浜田藩が治めていた。
つまり城下町なのだ。ただし5万石と小藩だ。
今の浜田港から20分ぐらいの小山の上に城があった。城跡は石垣を残すのみで公園になっている。
明治になり明治三年に浜田県が出来た。つまり石見の最大の都は浜田だったのだ。後、島根県と合体し浜田県の名は無くなり島根県となった。

町の中にかっての北前船で賑わった片鱗でも見られ無いかと浜田港の周囲を散策したが、都市があるのみで歴史を感じさせるものは無い。ただ、狭い地域に古いお寺が非常に多いのが目に付く。
城跡に登って、その説明板を見て驚いた。
眼下に見下ろせる静かな砂浜と奥深い入り江が北前船で賑わった松原浦と外ノ浦と説明されている。
いったいこの光景はどの場所なのだ。
プリントアウトしてきた地図で確認すると今の浜田港の北東の入り江なのだ。
広い砂浜に沿ってきれいに家が並んでいる。
早速、城山を下ってかっての繁栄の地へと向かう。
そこにはつげ義春の猫町では無いが何か超然とした清潔な家々が静かに並んでいる。人っけが無い。
きちんとした瓦屋根の家が多く、白壁が一部残っているような家もある。
漁師町といった感じは無い。
北前船の時代を残すものは無いがやはり通商で栄えた町の後の姿なのだろうと感じた。
城跡にある説明によればこの広い砂浜、松原浦に先ず北前船が入る。
その船を静かな入り江、外ノ浦まで今度は小さな船で引張って移動させたとある。
緑の小山に囲まれ深緑の深そうな入り江の一番奥まで行って見る。振り返ると正面に城があった亀山がなだらかな姿で目に入る。

柿本人麻呂については浜田が終焉の地でそれに関する説明が城跡にあった。
雪舟については何も解らず。
かっては浜田と人麻呂、雪舟の関係は誰でも知っている常識だったのだろう。

午後から晴れることは無かった。今にも振り出しそうな厚い雲と霧が立ち込めた様な景色だ。霧雨が降ったりする。

写真:
・石垣のみ残る浜田藩の浜田城
・かって北前船がそこで船を休めた静かな入り江外浦。その正面に見える浜田城のあった亀山。
・濱田護国神社拝殿
・本殿
・額
・金刀比羅神社参道
・本殿
・厳島神社拝殿
・額
・説明

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