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福浦着

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2009.7.16(木)
7時金沢港の赤灯台を交し、11時過ぎ、福浦港着。
最初一番静かな南湾に入り一周しているとここはダメ、向こうの港に廻る様指示される。
北湾に移動し静かそうな場所を選んでアンカーを打って岸壁に向かったところで上の方からここはダメと叉言われる。指示された湾口に近い岸壁に横付け。アンカーを打つだけの距離が無い。
一応、舫い終わったがあまりにも波のうねりが大きく、俵フェンダー越しとは言え、船が壊れるのではないかと思われるほどの勢いで岸壁に当たる。船に乗っていてもゆれが物凄い。
なんとかしなきゃ。

テンダーをおろしてケッチアンカーを打ちに行く。
これで岸壁には当たらなくなった。

福浦を散歩。
実は、この福浦を是非ヨットで訪問したかったのだ。
今は小さな漁村に過ぎないが福浦は千年以上の歴史ある港なのだ。
北前船で栄えた港は多い。福浦もその一つだ。
北前船は江戸時代から明治中期まで活躍した。
一方、福浦は昔歴史の授業で習った渤海使節が何度も入った港なのだ。
883年に福浦の巨木を勝手に切ってはならないと勅令が出た。渤海使節団が帰る時に使う船の材料として確保する為である。ということは1200年以上の歴史ある港ということだ。
どんなところか見て見たい。ヨットで尋ねてみたいと思うよね。
天然の良港として有名だった。
実際に来てみるとごく小さな港で、すぐ奥に行き当たる。
際立った天然の良港と言えるほど穏やかなのかなーと感じた。
今日は南西の風で波がやや高かった。
福浦の入口は狭く、暗岩もあり白波が左右で砕けている。
狭い航路は波で船が持って行かれ、針路を保つ為に最新の注意が必要だ。

写真:
・福浦北湾入口に舫うECHO POINT
・南湾の情景
・日本で一番古い木造の灯台
・猿田彦神社
・旧福浦燈台のそばにある金刀比羅神社
・港近くの祠
・碑

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秋に渤海使節団105人を乗せた本船はポシェット湾を出港し、7〜10日後に越前〜能登に入港した。

その内20人位だけが都に上り、残った人たちは福良津 (現在の福浦港) で船を陸揚げして点検・修理し、冬を越してから帰国した。(推測)

福良は次の理由から渤海交流の中心となった。
・ 良港であり、海流の関係から渤海から来易い
・ 白山、高爪山など目印になる山がある。
・ 船を修理する大木が背後に多くあった

ポシェットと福良はどちらも袋に通じ、自然の良港はどの国も同じイメージなんでしょうね。

交易品
渤→日;毛皮、蜂蜜、薬用人参、三彩陶器、シルクロードを通じた品々など

日→渤;絹、綿、黄金、水銀、扇など

毛皮は朝廷の儀式に使われた。虎とヒョウの毛皮は武官の用品として使用された。

2018/7/19(木) 午後 9:16 [ 食品汚染がカネカ油症を生じた ] 返信する

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