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むかし、歴史で延喜式という言葉を教わった記憶は皆様お持ちだと思います。
延喜式は平安時代に編纂された法律です。延喜五年(905)八月に編纂を開始、延長五年(927)に
に完成しました。
延喜式巻一から巻十のうち、巻九・十が神名帳です。国が認めた神社で神社数は,2861社で国郡別に記載されています。これがいわゆる「式内社」です。905年にはすでに存在しており、それよりはるか以前から鎮座していた神社も多いと思われます。少なくとも1,100年の歴史がある神社ということになります。
この式内社を1,000年前、当時の人はどの様な道を辿ってお参りしたのでしょう。
今の私たちには道路と宿泊施設が当然のものとの前提で、どの道を辿ったかに思いをめぐらしてしまいます。
しかし、私は当時の人は船で移動し海から参拝したのでは無いかと思っています。
そのような神社が大きな割合いを占めていると考えます。
山頂にある式内社も多いですが、海辺に鎮座する式内社、小さな島に鎮座する式内社は実に多数なのです。
1,000年前、陸の道は追剥や盗賊も多く、道も整備されていません。無論、宿屋などありません。その様な道を、食事を持参し、雨露をしのぎ旅することは大変な困難を伴います。
土佐日記をみれば解るように安全なのは船旅です。
土佐日記は934年、土佐の国の国司だった貫之が、任期を終えて土佐から京へ戻るまでの55日間の紀行文です。当時の中央から派遣される最高の官吏だった国司は陸を移動せず、船で移動しています。
今で言えば飛行機のビジネスクラスかファーストクラスの旅は船旅だったわけです。

そこで、北陸、太平洋岸での海沿いの式内社を見てみましょう。
当時の国は日本海側が出羽国、太平洋側が陸奥(むつ)国です。
陸奥国は現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県と、秋田県北東の鹿角市となります。
驚くことに、最北、青森には式内社はありません。

初めて太平洋岸に式内社が現れるのは岩手県の南、大船渡に入ってからです。
大船渡の式内社は
理訓許段(リクコタノ)神社
登奈孝志(トナカシ)神社
衣太手(エタテノ)神社
の三社です。
三社とも岩手県陸前高田市の氷上山頂にある氷上神社がその後の形と言われています。
なお、理訓許段(リクコタノ)神社の論社として大船渡市の尾崎神社があげられます。

次に太平洋岸に現れる式内社の所在が気仙沼なのです。
気仙沼の式内社
計仙麻(ケセマノ)神社
石神(イハカミノ)神社
計仙麻大嶋(ケセマオホシマ)神社
の三社です。

計仙麻(ケセマノ)神社は五社の論社があり、はっきりしていない。
五社の内の二社が気仙沼にある。
ひとつは気仙沼市港町龍神社。もひとつは気仙沼村字後九条の羽黒神社である。
ただ、私が観光案内所や気仙沼で有名な五十鈴神社で尋ねたところ龍神社がどこにあるかは解らないとのことであった。五十鈴神社内にある龍神社は神主の話では違うそうだ。

石神(イハカミノ)神社と言われる神社は多数ある。宮城県桃生郡雄勝町の石神神社が式内社として有力である。気仙沼の本吉郡本吉町の岩倉神社が論社の一つである。

計仙麻大嶋(ケセマオホシマ)神社
は気仙沼の大島、亀山山頂近くにある大島神社であろうと言われている。
みなさん、気仙沼に来た時はぜひ、大島の大島神社にお参り下さい。
唐桑半島先端の御崎神社と本吉郡歌津町の計仙麻大島神社が論社として挙げられる。

写真:

・計仙麻大嶋(ケセマオホシマ)神社として最も有力視されている大島の大島神社
・拝殿
・本殿
・1,000年前の人々も同じ景色を見たであろう境内からの景色1
・上に同じ、景色2

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