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2012.6.9(土)
番街編

私は村上春樹の本がでるとすぐ購入して読んできた。
それは昔、村田東治がストローベリーフィールズの事務所で我々の時代の小説がようやく現れたと私に村上春樹について話した頃、作家としてデビューして間もない頃、未だ一部の人にしか知られていない時代からだ。
出版された村上春樹の本は殆ど全て読んで来た私だが、同じ本を再読してない。ノルウェイの森が出版され、直ぐに息もつかづに読み通し、半年か1年の内に読み直したこと、ついこの間、目の前にあった羊をめぐる冒険を読み、この小説はこんなに面白かったっけ、読み直して驚いたぐらいだ。
ただ、ここに例外がただ一つ「午後の最後の芝生」。
この短編を私は何年かに一度、手にとり、読みふける。
短い、30分もあれば読めてしまう。しかし、何かが私を引きつけるのだ。長いこと何が私をこの様に引き付けるのかを不思議に思っている。
何年か前、アメリカのクノップ社から像の消滅(THE ELEPHANT VANISHES)の表題で村上春樹の短編集が出版された。
編集者、ゲイリー・L・フィスケットジョンによれば、「入手可能なハルキの短編を全て読み、その中から、最初の短編選集として、最大限に強い印象をもたらすような小説を吟味し、編纂する」とある。このアメリカでの春樹の最初の短編集に17編が収められた。
実はその17編に「午後の最後の芝生」が入っているのだ。
話しとして面白い「レーダーホーゼン」「納屋を焼く」が含まれるのは良く理解出来る。しかし、「午後の最後の芝生」が何故選ばれるのか。つまり、私を引きつける「午後の最後の芝生」の魅力はどうも国際的、普遍的な要素らしい。
面白くて、ドンドン読んでしまう。なんの力身もなく、無造作に簡潔に書かれている。普通に見れば劇的な場面も展開も皆無に見える。確かに一字を削ることも、追加することも許されない文章ではある。しかし、何年か一度、繰り返し読みたくなるのは何故なのか。

今また、翻訳「像の消滅」で「午後の最後の芝生」を沖の船の中で読み終って。

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