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日御碕神社参拝

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2014.7.5(土)
きのう、雨もあがったので、食器を洗った後、
デッキに出して、スライドハッチを締めたとたん、激しい雨。
その後、夜中に何度も激しい雨。
けさ、雨は降っていないので、顔を洗いに行き、戻ったところで、
また、激しい雨。天候が不安定だ。北の風やや強い。
台風は今のところこちらにまともに来そうだ。

午後は雨時々曇りの予報であったが、ズット雨。

12時過ぎのバスで出雲大社バス停へ。
バスを乗り換え、約25分。
日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)を初めて訪問。さきは石偏。
出雲国風土記、延喜式にも記載ある古社。
海を見下ろす狭い道を先へ先へと進む。
人里とは遥かに離れた所にある。
御朱印拝受時に神官(宮司?)にどうやって此処まできたのでしょうかと尋ねたところ。
参拝も宮を建てる材料を運んだのも海から。
確かに、日御碕神社は御崎の頂上に鎮座していると勝手に想像していたが、
鎮座している場所は海の直ぐそばだ。
1644年建造とは見えない。痛みが少なく、立派に保たれている。
ただ、石垣はそれほどぜいをこらした作りでは無い。
神官の話では材料も建てる人も皆、江戸からだったそうだ。

神社辞典より:
『出雲国風土記』記載の美佐岐社、『延喜式神名帳』の御碕神社が充てられる。
当社は上下二社に分かれ、上の宮を神の宮、下の宮を日沈宮と称す。
神の宮は素盞鳴尊を主祭神とし三柱の神を配祀する。
社伝によれば、素盞鳴尊は出雲の国造後熊成峯に登り、
鎮まる地を求め柏葉を風で占うと隠ケ丘に止まり、
そこで御子天葺根命は御魂をその地で奉斎したという。
隠ケ丘(古墳)は社殿の裏側にある。
日沈宮はもと文(経)島に鎮座した。天葺根命が文島にいた時、
天照大神が降臨し、「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」
との神勅によって奉斎したのが始まりという。
安寧天皇一三年勅命によって百枝松を神木として祀り、
開化天皇二年勅命により神殿を造営し(『出雲国風土記』記載の百枝の槐の社がこれか)、
天暦二年(九四八)現在地に遷座したという。
宝物は源頼朝寄進の白糸縅甲冑(国宝)他多数。

県の観光案内には
現在の建物は江戸幕府3代将軍徳川家光の命により、
松江藩主京極忠高が1634年(寛永11年)に着手し、
1644年に松平直政が完成させました。
壁や木の切り口は白色で、柱や横木が丹塗(にぬ)りされた社殿は
桃山時代の面影を残し、二つの本殿どちらも拝殿と本殿が続く権現造りです。
上の宮(本殿・幣殿・拝殿・玉垣・宝庫・鳥居2基)と、
下の宮(本殿・幣殿・拝殿・玉垣・禊所・廻廊・楼門・客人社2棟)からなり、
これら社殿の全てと境内の石造建造物も含め、
貴重な神社建築として全て国の重要文化財に指定されています。
両本殿内陣の内壁や天井には、狩野派や土佐派の絵師による密画が描かれ、
本殿【蛙股(かえるまた)】(上を支えるための蛙の股のような建築部材)
を中心とする彫刻は、竜虎をはじめ鶴亀や松竹梅、
そして日光東照宮のように「見ざる、言わざる、聞かざる」
の猿をかたどった見事な彫刻が施されています。

写真:
・神の宮、拝殿と本殿。海に向かって鎮座。
・日沈宮の拝殿と本殿。神の宮鎮座地から写真を撮る。
 つまり神の宮は日沈宮を見下ろす。
 山に向かって鎮座
・日沈宮がかって祀られていた経(ふみ)島。
 海岸のすぐ前に島。神官以外は入ってはいけない。

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