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2014.7.16(水)
隠岐島後には延喜式に記載された式内社が7社ある。
その内、名神大社が2社もある。
島後は古代の地域表記で、北部を穏地群といい、南部を周吉群と言った。
名神大社2社は北部の穏地群にある。
水若酢命神社と伊勢命神社である。
今回は水若酢命神社のみ参拝することが出来た。

水若酢命神社(みずわかすじんじゃ):
岐国一宮。神社本庁の別表神社。
西郷港からバスで隠岐病院経由、五箇線で水若酢神社前で降り、1分。
西郷港より乗り変えを入れて3〜40分である。

仁徳天皇の時代の創建とされる。
隠岐島後(どうご)北部、重栖(おもす)川上流に位置し、
旧穏地郡の郡家所在地とされる。
古くから隠岐北部の中心で、周囲には小規模な古墳もあった。
公式な記録では『続日本後紀』に、承和9年(842年)に
隠岐国の他の3社とともに官社に預かったとあるのが最初。
『延喜式神名帳』には「穏地郡 水若酢命神社 名神大」

本殿は檜皮葺きの庇を付した隠岐造で、棟に千木・鰹木を置く。
春日造と異なり、切妻屋根と正面の庇は一体化しない。
寛政7年(1795年)の竣工。国の重要文化財
隠岐では相撲が盛んであり、各地区に土俵があるが、
水若神社境内の土俵は格式が高い。
西郷から行くと山の中でどうやって参拝したのか不思議だが、
多分、海から、福浦から上陸して参拝したのではないかと思う。
でも、どうやってこれだけの神社を維持して来たのだろうと不思議に思い、
御朱印拝受の際、宮司らしき人に聞いたところ、
明治初期までは水若酢命神社に氏子はおらず、官から維持費を提供されていた、
とのこと。つまり朝廷、幕府、藩などから費用が支給されたのだろう。
田地も持っていただろう。

写真:
・全景
・本殿
・隠岐造の詳細。彫刻がある
・隠岐造の詳細

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