全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

2014.7.29(火)
今いる知夫里島は西ノ島と合わせて、古代の行政区分では知夫郡であった。
知夫群には式内社が六社ある。
その内、名神大社は由良比売神社
他の式内社は
海神社
大山神社
比奈麻治比売命神社
真気命神社
天佐志比古命神社


天佐志比古命神社(あまさしひこのみことじんじゃ):
天佐志比古命神社は知夫里島にある。
地元では一宮(いっくう)さんと言われている。
隠岐国の一宮は
島後にある水若酢神社と
島前西ノ島町にある由良比売神社である。
知夫里で一宮というのは非常に多くの神社を持つ知夫里島の中の一宮と言う意味。

艇を着けた所から5分ほどで神社階段前。
最初の鳥居に前にある側狛犬は子供を抱いている。
石段を何段か登ったところにある狛犬は良くみる、
背を反らして向き合った形。
階段を登り切った所に拝殿、本殿。
参拝。

階段途中の左側に舞台。
私はたまたま、行った日が年に一回のお祭りの日で、縁日の様な設定であった。
7月最後の土日がお祭りで、有名なのが子供にが演じる歌舞伎舞台だ。
ただ、色々な奉納出し物の最後、夜の11時からと遅い時間に演じられる。
私は一旦寝てから再度出掛け様と思っていたが、そのまま寝てしまい、
子供の歌舞伎は見ることができませんでした。

知夫里島 ジオツアーガイドマニュアルより
「一宮神社 主祭神=天佐志比古命
 縁起書によると、「人皇三十二代用明天皇の時、新府利南海中野島に示現し
 ここに坐す事59年、次いで人皇三十七代孝徳天皇白雉4年8月、
 新府利東浜詰岩石の上に揚り給う」とある。
 縁起書にもあるとおり、始めは仁夫里(新府利)の地に鎮座されていたが、
 万治2年に至って現在の地に奉移された。
 棟札にも「万治二癸亥10月吉日」とある

万治2年は1659年、江戸時代初期ですね。
他の寺社も多く北前船で賑わい豊かであったろう仁夫里から
何故、知夫港(群)に移されたのであろう、不思議だ。
後醍醐天皇が訪れた天佐志比古命神社は仁夫里にあった。
旧社地を訪れたかったが不明。

写真:
・拝殿
・本殿
・鳥居をくぐって石段を登る
・鳥居の額。一宮。天佐志比古命神社では無いですね。
 拝殿の額を探しましたありませんでした。

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事