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松島観光

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2015.8.20(木)
猛暑は止まる。仙台の最高気温は27度の予報。

松島は心静まる地だ。朝日が昇る頃、空を見上げ、静寂の中にたたずむ。

暑さも和らいだので、午後松島観光へ

先ずは松島と言えば瑞巌寺
本堂始め国宝や重文が多数ある。
現在、寺名瑞巌寺、宗派は臨済宗妙心寺派。
しかし、大昔からそうであったのでは無い。
江戸時代初め、寺名を瑞巌寺とし伊達政宗が大伽藍を築いた。

そもそもの平安時代初め(828年)慈覚大師円仁が開いた。
寺名、延福寺、宗派は天台宗。
次に鎌倉時代、寺名を圓福寺とし、宗派は建長寺派、つまり禅宗となった。
鎌倉時代に大いに栄えたが、戦国時代に衰え、宗派は同じ禅宗であるが妙心寺派となる。
その衰えた圓福寺を再建、大伽藍を作り、瑞巌寺となった。

瑞巌寺庫裡。
禅宗寺院の台所。
国宝。
規模、気宇壮大、みごとな建築。
屋根の構造体を下から見る事が出来る。
今は仙台藩歴代城主の位牌有り。大きな位牌ですねー。

陽徳院御霊屋 寶華殿
瑞巌寺に属し、東、小高いところにある。
伊達政宗の正室陽徳院愛姫の墓堂。
漆塗り仕上げ。全体は黒色であるが上部はきらびやかに輝いている。
政宗が築いた仙台の大崎八幡宮と酷似している。
国の重文。

円通院三慧殿
政宗の孫、光宗の霊屋。
文武に優れ、将来を期待されていたが、19才の若さで江戸城内で死亡。
死亡原因については種々の憶測があった。
外は普通の神社風、白木造り。
内部は賢覧豪華、支倉常長が持ち帰ったヨーロッパ文明も盛り込まれた装飾となっている。
350年間扉を閉じたまま内部を見る事ができなかった。
徳川幕府を牽制したものと思われる。
特筆すべきは、光宗の死に伴い、7人が殉死していることだ。
殉死した7人も光宗と共に霊屋の中に祀られている。

私は2度目の訪問だが、この殉死についてさらに詳しく知りたいと思っていた。
しかし、詳細の説明は無く、7人が殉死したとの記載のみであった。
殉死した人には妻も子供もあったろう。どの様に藩や殿様から沙汰があったのであろう。

三慧殿の直ぐ後の石の崖に掘られた洞窟がある。
政宗の七男、名君の誉れ高い武将であった宗高は疱瘡で死亡。
この洞窟に宗高の一段高い塔とその塔を囲むように殉死者10名の塔が立っている。
藩主は殉死禁止令をださなかったのか。
殉死の心情、世の中の受け取り方はどの様なものであったのか。
円通院はみごとな庭を持っている。
移築した小堀遠州の庭もある。

写真:
・5時6分の朝日
・国宝瑞巌寺庫裡
・庫裡の屋根構造。みごと。
・陽徳院御霊屋 寶華殿
・円通院三慧殿
・円通院の庭

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