全体表示

[ リスト ]

雄島

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

2015.8.28(金)
松島ヨットハーバーは松島の由緒ある歴史の地、雄島に抱かれて立地している。
この地が松島と呼ばれる様になったのは雄島からなのだ。
この雄島のことを各種情報元から拾い集めてご報告。

この島は遥か昔から修行の地であった。
見仏上人。
最も著名なのは長治元年(1104年)伯耆国(鳥取県)から雄島に渡った見仏上人。
見仏上人が12年間もの長きにわたって島から一歩も出ずに修行した偉業を讃えて、
ときの鳥羽上皇から千本の松を贈られたことにより「千松島」と呼ばれるようになり、
それが転じてこの地一帯が「松島」となったという地名発祥説のある島。

追記
この後鳥羽上皇が千本の松を送ったというには一体何処の何に書かれているのか。
後日、塩釜の図書館で解りました。
南北朝時代か室町時代初期の成立と思われる瑞巌寺に伝わる『天台記』に記載されています。

頼賢。
島の南端には国の重要文化財指定の「頼賢の碑」が六角形の鞘堂の中に納められている。
この碑は、見仏上人の再来といわれ、22年間雄島で修行をした僧侶・頼賢の徳を讃えたもので、
松島の昔の様子も刻まれている。
弘安8年(1285年)に入庵して以来、22年間、島を出ることなくひたすら法華経を読誦し、見仏上人の再来と仰がれた。
頼賢没後の徳治2年(1307年)、弟子の匡心や孤雲ら30名が、師の供養と頌徳のため、
中国・元の使者として在日した鎌倉建長寺住持一山一寧(寧一山)に撰文を請い、雄島の南端に「頼賢の碑」を建立した。
碑の大きさは、高さ約3m、幅約1〜1.3m(上部が狭い)、厚さ約0.2mで、2つの龍の彫り物で上下に仕切られている。
上部は、真ん中に梵字があって、右に「奥州雄島妙覚菴」、左に「頼賢菴主行實銘 並序」の文字を刻み、
下部に、「巨福山建長禅寺住山唐僧一山一寧撰」の文字と撰文が刻まれている。
(国の重要文化財)

雄島は松島ヨットハーバーとは地続きと言って良い島。
ハーバーを訪れた際は是非、雄島を体験してください。
静かな、千年の昔からの霊地である事が体に浸みこんでくる所です。

写真:
・赤い橋を渡ると雄島
島に建っている説明に俊成の新古今の歌が載っている。俊成がこの地に来たのかなー。信じられないが。
 「立ちかへり又もきてみん松島や をじまのとまや 波にあらすな」
・雄島の歴史を語る頼賢の碑。(国の重要文化財)碑を六角形の建築部で囲っている。
・雄島から見る遠望
・芭蕉の句碑。寛政元年(1789)のもの。
 芭蕉は元禄二年(1689)に曽良と雄島を訪れている。
・島全体が霊地でこの様な祠が至る所にある
・妙覚庵跡
・雄島から松島ヨットハーバーを望む

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事