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潮御崎神社参拝

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2016.6.18(土)
潮御崎神社(しおのみさきじんじゃ)
潮岬の燈台へ行ってみる人は多い。
しかし、潮御崎神社を知る人は先ずいないと言って良い。
燈台のすぐ脇の細い道を入ってください。
入り口に和歌の碑が二つ並んでいます。

花山法王御製 平安時代
ココニマス
神ニ手向(タムケ)ノ幣帛(ミテグラ)ナレヤ
潮ノ御崎(ミサキ)ニ寄(ヨ)スル白波(シラナミ)
潮御崎神社伝承

白河天皇御製 平安時代
アナウレシ
難波(ナニワ)ノ宮ノコト問(ト)ハン
潮ノ御崎ノ御綱柏(ミツナカシワ)ニ
潮御崎神社伝承

潮御崎神社伝承によれば二人の天皇が潮御崎神社を訪れ詠んだ歌

歴史も由緒もあり、立地も素晴らしいこの神社を是非訪れるのをお勧めします。
色々な伝承があります。

伝承とは別に高塚の森と呼ばれる潮御崎神社の所有地があります。
ここは遥か昔の太陽神祭祀場ではないかと言われています。
なにしろ、本州最南端串本のまた、最南端がこの地です。
興味ある方は「高塚の森」で検索してみたください。色々出てきます
参考の本としては
北岡賢二著 『謎の巨石遺跡「高塚の森」 =太陽祭祀遺跡研究序論=

神社本庁の説明
「「記紀」にいう当地御崎は、少彦名命、熊野御崎より常世国に渡り給うたという聖地で、
 景行天皇28(98)年、御崎の「静之窟」内に少彦名命を勧請したのに始り、その後、潮崎安磨「静之峯」に遷座した。
 しかし貞観12(871)年5月に、潮崎安守はさらに「潮見の端」へ遷座したと伝えられる。
 また、当社は貞観17(875)年10月の『三代実録』にみえる三前神で、神位従五位下に敍せられたという。
 江戸時代は、御崎大明神社とか御崎明神といわれ、また周参見より下田原に至る18ヵ浦の総産土神として崇敬されていた。
 さらに当社には、既に寛永14(1637)年の古文書にも見られる、18ヵ浦の鰹漁の船主・船頭が
 毎年旧正月・5月・9月の18日に潮御崎神社に集り、神官の立会で鰹漁に関する規約を確め、
 海上安全豊漁祈願を重ねる岬会合「鰹漁に関する約束ごと」を戦前まで行ってきた。
 当社の両部神道による本地仏が観音であったことから、潮御崎大明神とか御崎観音ともいわれ、西国巡礼者からも敬われた。
 明治初(1868)年、社名を潮御崎神社に改称、同2年、
 境内地を灯台建設のために日本政府より求められて旧社地といわれる現在の地、静之峰に遷宮した。」

写真:
・潮御崎神社遠謀。如何にも物語がありそうな立地でしょう。遠目にも立派ですね。
・拝殿
・本殿
・慶応元年と見えます
・燈台の脇の道、入り口の碑
・御朱印。 人が居らず、自分で日付を入れる

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