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2016.9.3(土)
多度津駅から8時11分、琴平行きに乗車、15分弱で琴平に到着。
これは以前来た時に乗った電車。
その時は人気も無く、金比羅さんに向かう人も見えなかった。
ところが、今回はお参りする人も多く、外人もたくさん見る。
降りてくる人さえいる。
と、気づく今日は土曜なんだ。人が多いわけだ。

一揆に登り、最後の急階段の横で、手水。
上の拝殿のある所には手水はありません。
最後の急階段左にあう手水で身を清めてから参拝しましょういj。

石の階段が続く時は斜めに登りましょう。
右に斜めに登り、右端に着いたら左斜めにと登って行くと負担は1/3程度に軽減します。

参拝。海上安全のお札、古いのを、古いお札納め箱に入れ、新しいのを入手。御朱印も拝受。

見晴らしできる所で写真を撮っていると「奥社」と書かれ、矢印が出ている。じ
片道30分と書いてある。往復1時間か、初めてなので行ってみることにする。
すでに長いこと階段を登ってきたので、かなりハードであったが、到着。
説明表示を見て、意外の感じを受ける。
奥社というと、神社がもともとあった場所と言ったイメージがある。
ところが、この奥社は金比羅宮では無く、厳魂神社。
戦国時代に荒廃していた金比羅宮の信仰を広め境内を整備した別当、象頭山松尾寺の宥盛が神として祭られているのだ。
明治の神仏分離令で宥盛は厳魂彦命と名を改め、神社名も厳魂神社とした。
社殿も明治時代に作られたもの。神官に聞くと、もともとは修行の場であったとのこと。

下山の階段を下りたところにあるのが、「旭日社」:
旭社(重要文化財) - 天保8年(1837年)に建立された銅瓦葺の二層入母屋造の建物で、
全体に多くの美しい彫刻がなされている。神仏分離以前の松尾寺の金堂。
ウキィペディアを見ていたら、「森の石松は本堂と誤り、ここへの参拝のみで帰ってしまったと伝えられる」とある。
実は、私、若い頃、仕事で四国に来た時、金比羅さんに行きたくて、時間の無い中、
大急ぎで石段をのぼり、この巨大な建物をみてこれが金比羅さんと勘違いし、参拝して又急いで帰ったのです。
つまり、森の石松と全く同じ行動でした。
でも、この建築物は壮大、豪華、金比羅さんの建物を凌ぐものです。
看板に楼上の「降神観」の額は清朝の書家、王文冶の筆になるとある。

下りに、何時も寄る書院に入る。
入り口で聞くと表書院しかオープンしていない。
奥書院の若沖も田窪氏の作品も見ることが出来ないとわかり、
表書院の丸山応挙は何度も見てるしあまり興味を持てないので、今回はパス。
資生堂のカフェ神椿の陶板の壁面は田窪さんの作品ですと係りの人が教えてくれたので覗いてみる。

写真:
・拝殿
・拝殿内部
・本殿
・神木
・旭日社
・旭日社、清朝の書家、王文冶による「降神観」の額
・海上安全のお札。参拝した時に古いお札を納め、新しいのを入手します
・御朱印拝受

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