|
奈良市の「義肢装具士の滝谷昇氏」の事を読売新聞の”顔”で知りました。 少し奈良の同人として誇らしい人だと感動して載せて見ました。♡♡♡ 戦禍で傷ついたアフガニスタンの人たちに 義肢を贈り続ける「支援の会」を装具士仲間らと結成して5年。 日本看護協会などが、医療や、福祉での貢献をたたえる為に創設した。 ヘルシーソサエティ賞(ボランテア部門国際)を受賞されました。 滝谷さんは、小学生の頃、病気で足が不自由になった。補装具をつけ、 再び自力で歩けるようになった時の間隙から、大阪の障害者職業訓練学校を 卒業後、義肢制作会社に就職し、 「多くの人に、自分で歩く喜びを」と25歳の時 当時の国際協力事業団(JICA)から同国に派遣され、義肢つくりをしどうした。 しかし、現地では思うような物資調達が、出来ず、1年の任期を終えて帰国した。 「悔いが残った」。5年後、奈良市で自分の会社を設立。 アフガン内戦が、下火になった2001年5月、日本の市民団体とともに、 約26年ぶりに再訪を果たした。 当時12才の少女フローザンさんは砲撃で右足を失い、義足の接合部分が、 かみ合わない痛みで歩けなかった。そこで、日本から持参した速乾性樹脂で 型取りして義足を適合させてかつて覚えた現地語で話しかけると 「痛くない。ありがとう。」 その笑顔と歩く姿は、今日まで180人分の義肢を贈り続けてきた活動の原動力になった。 現在の目標は、義肢装具士の養成学校の設立だ。(読売新聞奈良支局白石の記事のからです。)http://blog.gisoku.com/index.php アフガニスタンの色はこちらのサイト↑です。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用






地道な活動頭が下がりますよね。以前、テレビで日本人が負傷した人々に義足を作っている様子が、放映されましたが同じ方でしょうか?
2007/2/27(火) 午後 8:56
花さん。同じ人の中の一人かもしれませんネェ〜自分が経験したことが基になっているからこそ人の痛みが分かるんでしょうねぇ〜そうして自分が感激したことが、人にも感動を与えてあげたいと始終思っていらしたんでしょうねぇ〜一人の力では出来ないことも大勢の力が、一つになって出来ていくんですねぇ〜先ずやってみる。!が一番ですね。
2007/2/28(水) 午前 8:10
民間レベルでしてるけど・・・政府が外国に大きな援助しているけれど何に使われてるかがわからないから(私服を肥やしてる上層部がいたり)・・・こういった細々した援助(草の根援助)に政府も切り替えるといいのにね。
2007/2/28(水) 午後 5:11
自分の辛い体験を同じことで苦しんでいる人の為に…そういう優しい気持ちみんなが持ったらもって穏やかな暖かい世界になると思います。
2007/2/28(水) 午後 9:46
日本の工業技術からしたら、義足なんて、うんと向上するでしょうにね。もっと力を入れるべきですね。
2007/3/1(木) 午後 1:46
花さんの言う通りですねぇ〜援助で、かなりの費用を税金でまかなっているのに、詳細も分からずにネェ〜日本もそういうことばかりでは、どうなるのかしらねぇ〜こういうボランテアの人たちが、少しづついているのだそうです。だからほんの一握りの人にしか回らない。!(^_^;
2007/3/1(木) 午後 8:14
れいさん。除草剤を撒かれたベトナムや、地雷が散らばっているアフガニスタンや、他国では、子供達がかなりの犠牲になり苦しんでいますよネェ〜それをしてきたある国のたいようは、何故もう少し手を射し伸ばせないのかと思うよネェ〜地雷なんかも掘り出して、爆破しているボランテァも日本人ですよ各地にもいるらしいけどね。エライなぁ〜(*^ヮ^*)
2007/3/1(木) 午後 8:21
たけさん。こういう技術を持つた人の力を借りてでもやるべきですねぇ〜かなりの援助額は、何処でどうなっているのかしらネェ〜
2007/3/1(木) 午後 8:23
この方の活動をもっと多くの人たちに知って欲しいですね。そして将来は、その国の人々が、足を失った人たちの為に、新しい足を作ってあげれるように、技術や材料に関して、(東京の一等地に、必要以上の国民宿舎を建てる余裕があるのなら)日本政府にも頑張って欲しいものですね〜
2007/3/2(金) 午前 1:24 [ - ]
けいこさん。この人の事を前に聞いたことがありましたがこの様に活動されてきたのは、知りませんでした。上の人もやっと分かってきたんだけれど、お役所仕事という物は、のらりくらりの縦社会横のつながりでの自分の都合のいいことしかやらないものですね。だから日本は、駄目なんですよ。政治家が官僚よりも力が、無いのですねぇ〜(; _ ;)
2007/3/2(金) 午前 8:02