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今日で、1月17日に発生した阪神淡路大震災が、20年経ってしまいました。
神戸の東灘区の高速道路の倒壊の写真を見るたびに
思い出され心が痛む。
あの日朝6時の少し前にかなりの横揺れを感じてびっくりして起きた。!((≧m≦))
洋服ダンスが倒れかかって来るから必死で片手で押え
ベッドの手すりをつかみ自分もどうしてよいか分からない状態だった。奈良で震度5強だったので、
古家の我が家が倒れるかもしれないと考えないでその場で悲鳴をあげていた。
数分だったけれどそれが長い間を感じた。
そしてテレビをつけストーブを点けまた揺り戻しが何度も来て点けたり消したり・・テレビの様子は、阪神地区
神戸!エッ!叔父さんのお家が在る・・・
どうなっているのか?長田区のお家が次々と燃え広がったり倒壊の家やビルなども映し出され高速の部分が切れて端っこにバスや車などがひっかかっている様子も・・・阪神高速道路の倒壊の写真が・・・叔父さんのお家があの辺だ。!白いビルの左側の数十戸の家並
叔父さんの家はどうなっているかみんな無事なんだろうか。?電話が繋がらない。
かなり心配したなぁ〜
10日も経ってやっと電話が繋がりみんな無事でお家もひび割れ程度だとか?水や電気ガスが使えないので困っていると言う。そして食べ物なども公園で炊き出しや水などの確保に追われていると言う。
よし!叔父さんの好きないもの煮っ転がしや菜の煮物
海老やいろんなフライ物や茹で玉子・卵焼き・生野菜・ポテトサラダハム・ポロニアソーセージ・米と(ご飯)子供の為のお菓子類・カセットボンベ・カセット・あらゆるものを車に詰め込みどのようにして行けるのだろうか?
だんだん大阪から神戸に向かう途中でもかなり壊れた二階建のお家が1階を押しつぶしマンションも1・2階部部も押しつぶされ横向きに家の壊滅がめだっていた。本道路は、車ではトラックが多く・単車がスイスイ行けるらしく多かった。細い道は、壊れたお家などで遠回りしながらむかう。途中で目にした凄い光景が目に・・・灘もかなりやられていた。
高速道路の辺りまではなかなかたどりつけず・・
道路も無い状態が続きやっと叔父さんのお家にたどりついて無事な声を聞く事が出来嬉しかったなぁ〜
水洗トイレの水が出ないけれど井戸が有ったのでそれを使い近所の人達にも分けていた。阪神高速道路の倒壊は、凄い音だったに違いない。あのむき出しの鉄骨の高速道路の折れ曲がったコンクリートの柱でもわかる
あれから数年後・数十年後に叔父さんのお家に行くと
東灘一帯は素晴らしい街によみがえっていた。それは亡くなったり怪我をされたり
お家や会社・店を失くした人々の上に成り立ち
心から喜べないで車を走らせていた事を思い出す。
あれから丸20年経つのねぇ〜しみじみ・・・
叔父さんも亡くなり子供さん(姪甥)たちも結婚し子供さんも出来。今は何事も無く生活されているけれど・・・
自然の恐ろしさを今も又思い出す。
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