のんびりいつもまでも休日

今年も終わりが近ずいています。有難うございました。新たな年もどうぞ宜しくね。

主人の、病気。入院生活。闘病記

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今日は、選挙の投票日。もう結果が出ているだろう。
第46回衆院選は、一部を除いて16日午前7時、全国各地で投票が始まった。総務省のまとめによると、午後6時現在の全国平均の投票率は41.77%で前回より6.63ポイント下回っているという。投票は午後8時に締め切られ即日開票される。あと数分で締め切られる。
まァ~自民党だろうけれど・・・昔の自民では国民が納得しないであろうし、政治不信になるだろう・・
 
20数年前に市立N病院で、N医科大奈良病院での手術の前の待機中のことでした。
循環器病棟は旧館6階の看護婦詰め所の近くに病室は有りました。4人部屋
同じ病気や重い患者が入っていましたね。
何度も入れ替わるんです。(あまりにも長く入院しているのは二人)
そしてある時に、毎日何か塩分の少ない・カロリーの少ないお菓子や果物や朝刊を持って見舞うんですが、
曲がりおかき”をみんなに配ろうとしたら一人の人が
かなりお腹が大きくなっている姿でしたね。(男ですよもちろん男子部屋ですから・・??
「食べれないから・・いらないです。!」と。・・・
その人がいない時に病気は何?と聞くと・・
「肝臓癌でそれも末期だとか。!可愛そうにまだ独身で若いのになぁ〜知らされてないから口にするなよ。!」
わぁ〜きつい!知らない振りは得意だけれど・・・涙は止められないからなぁ〜
病室に戻ってこられた時。!
その方が「おいしそうだから1枚食べてみたいなぁ〜」と。私は、\(@o@)/
「はい。!」と、2袋(2枚入り)手渡しました。
「これだったら食べれる・・うん!うん!味が有る美味しい。」とにっこりされました。嬉しかったなぁ〜その笑顔が忘れられません。そして今も主人と曲がりせんべい”を買って食べるときにあの笑顔を思いだしますねぇ〜(;_;)
せんべい”の後かなり悪くなり抗癌剤の影響で食べ物がのどを通らなくなりかなりやせ細り顔色も悪くなり
腹部の水を抜いて痛み止めが入っている点滴・・・を
別の一人部屋に入ることになり・・・主人が部屋をのぞき「どうや~しんどいかぁ~?」と聞くとニッコリ笑い
もう時期帰れるんやてぇ~」と。言ったそうです。
本当に、癌だと知らなかったのか??
どうかわからないけれど・・・可愛そうで涙・涙・涙
その後かなり痛くなりベッドから出れなくなり
あの時が最後に見た笑顔(作り?)だったそうですね。
同じ部屋にいた人の中に独り者で、主人より少し年上で、腕を見せて「凄い音がするやろう?」
「血管からシューって!」と。聞こえましたね。何処が悪いのかしら。?
「入退院の繰り返しで、5年もこんな状態や〜!」とも
そして外泊では、お酒を飲んで救急車で帰ってきました。かなり婦長さんや医師からも怒られていましたね。
それから主人がN医科大に移ると退院されたのか?
駅の地下で、何度も酒を飲んだくれて寝ていましたね。
近寄り難い状況でもありましたが、数年後見なくなりました。かなり生きているのが辛く誰も身内が親身になってくれる物がいなくて・・自分がそうしたのかも?
病気になると働けなく周りにも信用が無くなり
みじめな思いをして人生を自棄自暴になり気落ちしていたんだろうと察しましたね。人生何が起こるのかもしれないが健康が一番ですね。交通事故などにも合わないようにしたいものですね。少し辛いお話で済みませんでした。┏○ペコリ
明日は、奈良市の最後のイベント(15日から始まっているのですが、)おん祭りのお渡り式の大名行列ですね。
そして流鏑馬やいろんなお旅所の最後の奉納の儀がありますね。さぁ~選挙のその後はどうなったかな。?
 
 
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41歳で、心筋梗塞で国立(今は、市立N病院)に入院し、別の県立医科大N病院で、バイパスの手術をして
一旦やっと長い長い入院生活から帰宅し、ホットしてましたね。体力も無いし職も失ってリハビリ生活を強いられましたね。それは書いていますが、
バイパスの手術をなかなか受け入れてくれなかった(順番待ち)ので、市立N病院で、待機状態の時ストレスから胆嚢が痛みだしても心臓が持たない理由から痛み止めだけで我慢していたのに手術の期日が決まると不思議なことに痛まなくて、エコーにも異常無しと。・・
県立医科大N病院をやっとこさ退院(普通だと1カ月ですのに倍の期日がかかり来宅して、
リハリビ前のことです。
また胸の下辺りに鈍痛が、・・又また市立N病院で、診てもらうと胆嚢がボロボロで、使い物にならない状態だとレントゲンやエコで、わかりました。
結局手術前の痛みが治まっていたのではなく異常な状態だったのだと。(県立医科大N病院では何故異常が無かったのかなぁ〜)
早速入院して胆嚢全摘手術を受けました。それから前立腺が・・とかもありましたねぇ〜
それから1年数カ月リハビリで、毎日3時間かけて歩きを実行し体力も付きやっと
年齢が43〜44歳位だからあの時代は、
就職も出来て良かったです。(*^^*)
今の時代だったらどうかなぁ〜またストレスで病気に!
それから術後20年目に徐々に体を動かすのもつらそう。・・・病院で、診てもらいましたね。・・・
市立N病院では、内視鏡のステント術も新式の機械も無くそれの専門医もいなかったので、
天理のT病院に紹介状を書いてもらい、此処の循環器は奈良県で、1・2を競う技術も良いと評判。!
機械を持ち専門医も備わっているので、
入院4日間で、無事。!o(^-^)o
退院し仕事も即復職しましたね。
少し高いとは思いますが、もうここの病院で、診てもらおうと・・・市立(国立)は、今後県や市が力を入れて新式の機械や専門医を置くと宣言していますが、新館は建っているのだとか。?
20数年前は、病院もこんなものだったし
その病院が確かで、優れていると思っていたものでしたね。
今は、新式の器機を取り入れそれの専門医が必要な
時代になってきてますね。\(^O^)/
その後バイパスの手術から十年が経つと
突然お家に電話が・・・「ご主人は、その後の経過はどうですか。?普通に生活されていますか。?」と。院内感染の後後の経過調査だろうと思いましたね。
元気で働いておりますよ。と。!やはり皆さんは、60代で手術を行う病気だったから・・主人は40代で病気になったのだから30年は生きられると太鼓判押された教授でしたから・・院内感染は、起こそうとして起こったんじゃないからね。後後まで治してもらわないと・・・
もめごとは嫌でしたから・・・
それから自分の体力・寿命にも限界があると思ったのか?有休や連休などを利用して日本中を観光旅行しましたね。
今は、体力も少し不安で、遠い所は無理かなぁ~
観光旅行先での大入浴は、やはり人の目が気にするのか夜中か朝方4時に起きて入っていました。
胸から腹にかけ太いミミズ腫れ(体質でもあるのだが!?)が、線路の様に手術の傷跡が何本も有り脚にも長い線路(バイパスの為の血管を使用した跡が・・・今は、25年位経つと傷跡もやや薄くなっていますが、
かなり気にしていたなぁ~今でもかな。?
主人の仕事も63歳で辞めてお家にいて好きな事をしながら2カ月に1回検査と診察薬を飲み続け
まぁまぁの状態ですが、
ふと!寝顔を見ているとたまに息していないのと違う!?
か。とか、夜中に見ると死んでるのか!?とか
不安にかられ見てしまいますね。
少しでも楽しく糖尿や血圧やコレステやダイエットなども
考慮して料理とか甘い物カロリーの制限など口やかましく言いますが、スーパーの買い物で目につくのが甘い好きそうなものですねぇ〜
検査前1カ月間は、必ず糖尿に効く刀豆茶や黒豆酢やラッキョウ豆乳・嫌いなブロッコリー(術後集中室で無理やり味の無いのを食べさせられたトラウマらしい?)なども食してもらって検査結果がいいと聞くとホッとしますね。
本人は「寿命が来た時には、すっと逝かせてくれ!」と。
「お前の事だから即人工呼吸で、生き返らせるんじゃないか。!」と。・・・慌てふためいて勿論人工呼吸すると思いますよ。
「救急車など呼ぶなよな。!」もちろん呼びますよ当たり前ですよねぇ〜(∋_∈)
年がいくとこんな会話ばかりになりますね。
次回は入院での出来事などなども・・・・
主人が無理して食べさせられている。・・小さいものなんですけれど数個に分けてね。
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    主人の、退院後の生活は、体力づくりです。あっちこつち。1時間、2時間、3時間。

    と、ゆっくり、歩きました。時には、私も、同行して、柳生街道。や、途中から

    春日奥山ドライブウェイを、左に曲がり若草山・二月堂・東大寺まで、3〜4時間かけて、

    おにぎりと、お茶を、持って、ハイキングです。かなり、ハードでした。主人は、だいたい

    毎日続けました。約1年間ゆっくり、体力づくりと、彫刻を、彫り、心も、リフレシュ。

    しました。

    高畑(破石)まで、バスで行く、ここから、柳生街道を、行きます。志賀直哉の住まい跡。

    新薬師事を通って、能登川の、渓流に、そつて、石畳の、滝坂道を、行きます。

    少し,じめっとして、薄暗い道です。途中。寝仏・夕日観音・朝日観音が、次々に、現れます

    三差路に、着きます。休憩所です。ムササビが、飛びかいます。(たま〜にしか観れませんが

    主人は、観たそうな。)そこに、剣豪。荒木又右之門が、試し切りをした。(伝説)

    首切り地蔵が、立つています。そこから、石切峠を越えて、峠の茶屋に、着きます、そこの、

    草餅は、とっても、美味しいです。もう。歩けません。引き返しました。

    春日奥山ドライブウェイを右に、若草山に、出ます。奈良市内が展望できます。二月堂

    三月堂・東大寺に着きます。そこからは、バスで、我家に、帰ります。あぁ。しんど〜





  滝坂道













  寝仏石













  夕日観音






   
  朝日観音








  首切り地蔵









 峠の茶屋










   東大寺

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    病室に行くと、みんな。しい〜んと、していました。?  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄; )ありゃ?

    ナンだ。この雰囲気は、(どうしたん。?)主人が、「中に、菌。が入っていたんやて。」

    (なんで。?)・・主人は、涙目。・・隣のベッドの方が、「教授。えらい大きな声で、

    研修医や、手術をした、医師たちに、「誰が、縫合した者は。!!」ってなぁ。怒鳴ってた。

    教授回診の時のことらしい。?・・・・・( ̄ヘ ̄)ウーン

    主人が、「そう。言って、すぐ、はさみで、糸を、バチンバチン。と、切ってん」。

    え〜ぇ。!(今どうなってるのん。(; _ ;) 何でやのん。?)・・?

   「菌が、入っててんやてぇ。!痛かつたわ。」・院内感染やんか(≧∇≦)

    (それで、どうなるの。?)・・「そのまま、開けたまま置いとくんやてぇ。ほんで、

    ヨウドチンキで、中も、あらうんやてぇ。」(又、涙。目。)・・。。。(●`ε´●)

    「そうしなければ、菌。が、深く入っていて、心臓近くまで、達してたら、死ぬところ

     やねんてぇ」。エ〜〜エェ!!死ぬ。?どうしょう。!!

     (痛いでぇ。ヨウド。いつまで。?)「解らんけど、菌が、無くなるまでやろう。?」

     主人は、私が、来るまで、たいへん、落ち込んでいたのでしょう。(-_\)

     (しやないやん。菌。無くなるまで、頑張ってや。痛いけど。!)(σ^▽^)σゲッツ!!

     心の中で、かわいそうにぃなぁ。せやけど、ここで、一緒に、落ち込んだら、あかん。

     と、思って、(お饅頭たべる。?皆さんの分も有るでぇ。美味しいでぇ。)笑う。

     皆も、「せや。せや。しゃないがな。我慢しいや。痛いけど。」って、少し、部屋も、

     明るく戻りました。・・本人は、とても、不安で、嫌だろうと、思われました。

     それからが、毎日。毎日、痛み止めを、飲んだり、ときには、注射をしながら、

    中まで、ヨウドで、殺菌。ゴシゴシ。(痛そう。!!)泣きもって、してました。

    縫合するには、そこの、皮膚を、削り取り、側の。筋肉を、引っ張って、縫うしかない

    そうです。・・聞くだけでも、いやや。かなんなぁ。

    担当医の先生に、相談したり、お聞きしたり、していました。主人が、かなり、痩せたので

    先生が、「何でも、食べさせてもいいよ、筋肉を、盛り上げな、あかんから。」って

    (じゃ。ステーキでも、いいの。?)「いいですょ。」

    そうしたら、隣のベッドの方が、「俺。とこ。肉屋やさかい、持って来させるわ。」って!

    早速。貰った。なんと、(1キロもあるやんか。!そうだ。)ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ~_~)┘

    調理室へ、夕食もうすぐなので、お肉を、焼いた。モクモク煙。!美味しい臭い!

    (超やばい。!!)・・・案の定。婦長さんが、飛んで来た。・・・う〜ん。・・・

    私。すかさず、(先生が、お肉たべさせて、早く、筋肉が、盛り上がるようにって)言われてん
  
    と。言いました。・・・・・・婦長さん。口ごもって、・・・・・帰って行かれました。?

    病院側の、落ち度やさかいなにも、言えなかったんだと、思いました。

    だけど、こんなことは、(今だけに、自己ちゅ。やなぁ。別病室の、皆さん方に、美味しそうな

   臭い、ばらまいて、喉。ゴックンもんやった。)・・いそいで、病室に、持っていつた。

   (6人部屋。)一人一人に、大根おろし、ポン酢かけを、配った。皆。ニコニコ顔でした。

   2週間ほどして、胸の縫合手術をしました。・・・3時間位かかりました。

   また、集中治療室へ、3日ほど、逆もどりです。(味無いブロッコリーが出ます。)(≧∇≦)

   次に、向かい側のベッドの方に、院内感染です。今度は、足の、縫合の中に、菌が。!

   左隣の病室の方も、感染です。・・・、主人の、(まえにいた、方が、最初。でした。3ヶ月も

   治らなかった。)腹立つけど、最後まで、診てもらわなあかんので、みんな。我慢です。!

   教授とエレベーターで、お会いしたら、めったに、頭など下げないのに、むこうから、

  「申し訳なかった。」と、一礼されました。・・・複雑な気分でした。(-_\)

   それからのことは、又。書きます。・・・(o_ _)o

   

    

     

     




    

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    やっと、医大へ、入院できました。検査。検査。の日々が、つづきました。

    心臓第4外科の、六人部屋でした。(多いなぁ)窓側からニ列目で、真ん中です。(狭い)

    数日で、窓際に、ベッドが、変わりました。(そこの人は、半年もかかって退院され

    菌が、入って、遅れたんだとか。・・いやな予感。!(≧∇≦))

    中々。手術の順番がこないのでした。この、病室の、患者さんたちは、もう仲間として、

    受け入れて下さいました。\(^O^)/いろんな物が、飛び交いました。差し入れもしました。

    次々と、手術がおわって、主人の、番です。やっと。長かった。(12月になつていました。)

    毎日。朝仕事に行き、そのまま、40分もかけて、行きました。

    手術は、16時間もかかりました。その間泊まって、朝。八時ごろ集中治療室へ、

    無事。終わって、いました。

    お昼ごろ面会に、行きました。

    消毒して、マスク、帽子、白衣をつけて、中へ、入りました。3・4人呼吸器を付けた人

    が、いました。保育器のなかに、チュブだらけの、超小さな赤ちゃんもいました。

    主人が、青黒い顔(ジャガイモ色)で、口、鼻、手、足、胸に、チュブだらけでした。

    すご〜くかわいそうでした。(涙)まだ、目をつむっていました。(震えました。)

    呼びかける。と。目を開けて、「喉カラカラや。・・・水。」ッと、言いました。

    看護士さん。に言うと、氷。を1個。口の中へ入れて、くれました。

    数分いて、・・担当医が、説明して下さいました。
     {{{
    足のつけ根から足首までの血菅1本とり、胸の血管2本とり、心臓の血管につないだ。

    元の血管は、そのまま置いておく(微量ながれている。殆ど詰まっている。)

    その時は、心臓を止め。人工心臓に、代えて,行った。終わって、電気ショックで、
    元の心臓にもどしました。

    バイパス手術は、終わりました。
     }}}
    病室に、戻ったら。皆。「大丈夫か。?」「良かった。良かった。」「無事か。?」

    とか、口々に、心配していて下さいました。(涙。)・・(=^∇^=)。

    5日目仕事から、行くと。。。。大変なことに、なつていたのです。

    また。次に、書きます。・・・・il||li (il・ω・`;)!!il||li

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