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ドクター差別と選ばれし者たち

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 痴漢をまるで「重大犯罪」のように言う。「女性専用車」に乗る男性をまるで「極悪人」のように言う。その割には、「賛成派」は、無関心・無頓着なところがある。
 
痴漢が「重大犯罪」なら、痴漢被害に遭う女性はなぜ、早朝の(比較的)空いている車両に乗ろうとしないのか? 私も「任意確認乗車」でよく乗るが、早朝に乗るようにすれば、車内はガラガラである、女性専用車に乗らなくても、それだけで痴漢に遭うリスクはかなり低減するのに、なぜ、そうしないのか?

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6時前後だと、こういう感じ(東横線)
 
女性専用車の「ある路線」と「ない路線」があるのに、なぜ、女性専用車の「ない路線」の女性乗客から(大した)文句が出ないのか? 

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多摩川線、池上線、大井町線には「女性専用車」はない
痴漢は1人もいないのか?
 
東横線が(自社に都合で)夜の設定をなくした際も、混雑すればするほど痴漢が出没しやすいにもかかわらず、近郊の大きなイベント(=花火大会、Wカップサッカー等)設定を中止した際も、(大した)文句が出ないのはなぜか? 

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東横線の「夜の設定」がなくなったのは、痴漢がいなくなったからか?
 
 大多数の女性にしてみれば、所詮、「あったらいいな」程度の代物なんですかね? そうとしか考えられません。なら、痴漢を「重大犯罪」のように言う、私らを「極悪人」のように言う、大袈裟過ぎませんかね?
 
 そもそも、私らに食ってかかるような屈強なオバサンが「女性専用車」に乗る、そんな必要ありますかね? 40、50代でも「痴漢に(絶対に)遭わない」とは言いませんが、間違って痴漢をしたら、痴漢をした方がタジタジでしょう。示談金もガッポリいかれそうです(笑)
 
 てか、いつも思うんですが、なぜ、痴漢でない男性を乗せないようにする、(乗ってたら)降ろそうとするんですかね? 赤の他人に対して、まさか「痴漢かも知れないから」なんて失礼な話、ありませんよね? なら、「男だから」しかありませんが、それって、完全な「男性差別」ですよ。どっちにしても、「アウト」です。
 

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裏で蠢く連中の正体

 なぜ、頭の良い大学教授や弁護士に、男性差別容認派(以下、容認派)が結構いるのでしょうか? その他、政治家、役人、マスコミ関係者、警察官、大企業の社長や役員、飲食店やコンビニのオーナー・店長など、何らかの権力や権限を持った人物でも、容認派は結構います。こういう容認派に共通するのは、女性に甘いこと、女性の言い分を鵜呑みにすることです。
 
 たとえば、女性専用車。たとえ「女性専用車」という名前をつけたところで、憲法上、公共交通において、「女性専用(の)車両」になんぞつくれません。せいぜい、「任意の協力」として、「お願い」しかできません。
 
 にもかかわらず、最近、憲法を無視し、「男性を乗せないようにして」などと言う連中が出て来ました。、「法制化すべき」なんてことを言うのまでいます。以前の「女性専用車には(法的に)乗れるのだろうけど、マナー違反」なんて言っていた女性専用車賛成派(以下、賛成派)が可愛く思えます(苦笑)
 
 たとえば、梁英聖(リャン・ヨンソン)とかいうのは、「痴漢や女性専用車両に故意に乗り込む男性を見たら阻止する・・・やるべきことはたくさんある」などと、息巻いています。まるで、私らを痴漢扱いです。いや、完全に「同一視」しています。
 
 
 てか、そもそも、女性専用車自体、男性全員を痴漢と見なして排除しています(注:そうであるにせよ、そうでないにせよ、男性を排除しないと、女性専用車は成り立たない)。賛成派は、「痴漢と痴漢でない男性を見分けられない」なんて言い訳をしますが、痴漢かどうかを)見分けられないなら、本来、「誰も排除してはならない」のです。それが、法治国家の「決まり(=大原則)」です。
 
 憲法を無視してまで、法治国家の「大原則」を無視してまで、男性排除をするなんて、尋常ではありません。痴漢被害が減らない「女性専用車」ごときで、こんなに大騒ぎするなんて異常です。他に何か意図があるのか? 勘ぐらないではいられません。

●日本人男性蔑視・敵視で喜ぶのは「反日勢力」
 
 そのキーワードは、「反日」です。導入時も、今回の(千代田線・京浜東北線の)騒動後も、目立つのは「反日勢力」の影です(注:「反日勢力」とは、特定の人種・民族・国家を指すものではない)。
 
反日団体に焚きつけられた鉄道会社は、しつこい声掛け・アナウンス等で、「痴漢のほとんどは男性だから、男性が排除されて当然、積極的に協力して(乗らないのは)当然である」との間違った考え方を利用者に植え付ける。
 
同時に、反日思想に染まった連中は、ネット上で、女性専用車の必要性を誇張し、「日本人男性が全員、痴漢である」かのようなイメージを日本中、世界中に発信する。
 
それによって、(一般男性の)日本人としての自覚、日本男児としての誇りを失せさせる。
 
日本人女性は、「痴漢予備軍」の日本人男性を軽蔑し、日本人男性は、ワガママ女の男性蔑視・男性敵視に閉口する、結果、日本人男女の間に不協和音が生じる。
 
イメージ 1
私ら日本人男性を「痴漢」呼ばわりするなんて

 これらに加え、国や自治体が推進する女性優遇策(=女性へのえこひいき)により、日本は弱体化します。さて、これで喜ぶのは誰か? 「反日勢力」です。
 
 大学教授や弁護士、政治家や役人、マスコミ関係者、警察官、大企業の社長や役員、飲食店・コンビニ等のオーナーや店長、一見、バラバラのようですが、これらが、裏で「反日勢力」として繋がっているとしたら・・・、これほどまでに「女性専用車」に固執する、男性差別にこだわる、その理由が見えてきます。もちろん、「反日勢力」の構成員だけではなく、「シンパ」もいるでしょうし、なかには、その意図もなく、手を貸してしまっている場合もあるかも知れません。
 
 私ら「選ばれし者たち」は、実は、とんでもない相手と戦っているのです。鉄道会社だけでも大変なのに、裏には、「反日勢力」が控えているのです。それ相当の覚悟がないと、戦える相手ではありません。もちろん、ドクター差別には、これまでの経験・経緯からして、その覚悟は十分過ぎるほどございますが。


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 「gami」というHNの人が、「トラブルや電車遅延は、私らにも責任がある」と力説しています。幾ら説明しても納得しません。
 
迷惑を被ってるのは、こっちだ!
 
私があなた方と同じ活動をするとすれば、遅延しないように配慮いたします。
 
 活動(=任意確認乗車)をしないから、そう言えるのです。てか、私らが乗車する意味がわかってないから、そう言うのです。
 
遅延しそうになったら降車するか移動するかして簡単に回避できますので。
 
 移動したら、女性乗客は「私らが正しい。やましいから逃げた」と思うだけです。それでは、いつまで経っても、男性は「自分の乗りたい車両に乗れない」という異常な状態が続くだけです。
 
そういう配慮をしないということは遅延に加担することになるとも言えるわけです。
 
 「乗れるけど降りて」などという無理難題を言われてるのに「それに配慮をしない」と攻め立てる、無茶苦茶ですね。

 そもそも、電車が遅延するのは、鉄道係員が、勝手に、発車させないからです。いつまで、同じことを言わせるのでしょう?
 
つまり責任がある。
 
 鉄道係員は、女性乗客に「男性も乗れる」と言うか、あるいは、自分らも同乗すればいいのです。そうすれば、遅延なんぞしません。わざとそうしないのですから、私らの知ったことではありません。
 
 この人、「反対派」の可能性もあります。と言うか、「自称・反対派」ではありますが。「女性専用車には反対だが、ドクターのやり方は良くない」というわけです。
 
 いいえ、どんな理由をつけたところで、「女性専用車に乗らない方がいい、あるいは、降りた方がいい」と言うのは、反対派としては「アウト」です。鉄道係員や女性乗客に何か言われて降りる、これ、一般男性なら仕方のない面もありますが、反対派なら絶対やってはいけないことです。そんなことなら、乗らない方がマシです。
 
 これまで何度か申し上げていますが、「反対派」と「賛成派」の境界線は、「女性専用車に男性が乗ることを肯定するか、否定するか」です。「男性恐怖症」の女性がいる、女性乗客が「迷惑」「不快」と言っている、他の乗客が迷惑する、どんな理由にせよ、男性の乗車を否定すれば、「賛成派」です。「自分が自分をどう思っているかどうか」は関係ない、「自分が自分を反対派と思えば反対派」ではありません。


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 常連さんからの情報です。「女性の言い分」を尊重する傾向はあるものの、文章全体の論調としては、公平な部類に属するでしょう。
 
そもそも痴漢が多すぎる! その背景にあるのは女性蔑視? 女性専用車両騒動から浮かび上がる日本社会のいびつな現実 2018.4.15 文:奥松由利子 文責:岩上安身)
 
 ただし、以下の部分は、事実とは違う、重大な誤解を生じかねません。
 
団体のリーダー格の男性は、「女性専用車両反対デモのカウンターは在日朝鮮人だった」というコメントと共に、その時の動画をツイッターに投稿しており、これに対して、「なんだ、(女性専用車両反対派デモのグループは)レイシストだったのか」「男女差別は許せないけど人種差別はウェルカムって無茶苦茶だな」などのリプライが寄せられている。
 
 「女性専用車両反対デモのカウンターは在日朝鮮人だった」というコメントと共に、その時の動画をツイッターに投稿? いいえ、私・ドクター差別は、「女性専用車両反対デモのカウンターは在日朝鮮人だった」というタイトルの動画をツイッターで紹介しただけです。「女性専用車両反対デモのカウンターは在日朝鮮人だった」なんていうコメントは一切しておりませんし、その動画に「賛同」や「いいね」もしておりません。
 
 なお、その動画は現在、削除されていますが、参考のため、その削除画面を掲載します。


 ところが、勘違いした連中が、「ドクター差別はレイシストだった」などとデタラメを吹聴したわけです。もしかしたら、意図的に、そういうデタラメを流布したのかも知れません。
 
 そこで、私は、ドクター差別は、ツイッターで以下のように反論いたしました。
 
ドクター差別@sabetsukinshi
228
この動画を紹介したら、レイシスト? 批判的に紹介したのかも知れない。あるいは、単に「こういう動画がある」と紹介したのかも知れない。そういう可能性すら考えないんだから、話が通じない相手だね。実際、2番目の意味で紹介したんだし。
  
ドクター差別@sabetsukinshi
228
ドクター差別のスタンスは、「反日○○は、お互いのために、お国に帰った方がよろしいのでは?」と言っているだけ、民族差別なんぞしていない。「反日日本人(は、外国へどうぞ)」、「反日アメリカ人」、「反日中国人」、「反日朝鮮人」は、祖国に帰った方が精神衛生上、よろしいでしょう、と。
 
 ところが、こういう連中は、揚げ足をとったつもりで、

nos@unspiritualized
226
「ドクター差別」は差別主義者だったという、まあ最初から分かりきっていたオチがついた。ちなみに私は日本人男性でカウンター。
 
イケメン@djscharge
228
レイシストがガタガタ述べるなよ
 
九畳庵@otacky_taka
32
なんだ、レイシストだったのか、やっぱりな。
 
などと、寄って集って、言い続けたわけです。

 とにかく、こういう連中は、モアイ像前でもそうでしたが、理屈ではなく、「数」と「レッテル貼り」で圧倒しようとします。聞く耳を持ちません。理屈が通じません。レッテル貼りをし、トコトン、排斥しようとするのです。

 ちなみに、私・ドクター差別は、高校時代、在日の友だちがいましたし、留学先のNYでは、3人の韓国人の友人がいました。それ以外、中国系アメリカ人、黒人、イラン人、インド人、メキシコ人、ブラジル人、フランス人ら、大勢の友人がおりました。また、極真会館の大山倍達館長には、生前、懇意にさせていただきましたし、「親日的な朝鮮人」を少なくとも、10人以上知っています。この「ドクター差別」が、レイシスト? 「デタラメもいい加減にしろ!」です。

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私らが「変態」? 
ホントなら、とっくに捕まってますよ
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私ら「痴漢対策」には大賛成!
「男性対策」「男性差別」に反対しているのですよ
 
 だから、「女性専用車」による男性排除なんぞ、彼らにしてみれば「当たり前」なのです。事実(=男性も乗れる)なんぞ関係ない、法律(=任意だから憲法違反ではない)なんぞ関係ないのです。「演説妨害」を平気でするくらいですから、「(男性乗客への)乗車妨害」も平然と正当化できるのです。


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学問のそれぞれの意義

 学問は、その人によって学ぶ意義がそれぞれ違う。それはそれで良いけれど、「高尚な意義」と「俗的な意義」があることは、知っておくべきだろう。
 
高尚な意義
 
真理の探究のための学問

 どの学問も「真理の探究」を究極の目的とする。1つの山をいろんな方向から登ることに喩えられる。それに純粋に携わることができる学者は、非常に恵まれている。
 
社会貢献のための学問

 学問自体は、善いも、悪いもない。しかし、社会に貢献するような形で学問と向き合うべきなのは、論を待たない。頭脳は「善」として使われなければ何の意味もない、どころか、「マイナス」である。
 
俗的な意義
 
職業としての学問

 職業として学問に携わる者とて、「真理の探究」をを目指すのは言うまでもない。しかし、研究以外のことに忙殺される人は結構いる。
 
教養としての学問

 現在の大学の授業レベルは、決して、「専門」とは言えない。と言うか、大多数の学生にとっては、「教養」の意味しかない。
 
学歴としての学問

 (院生を含む)大多数の学生にとっては、学問は「学歴」を得るものである。より良い職業を得るための「パスポート」でしかない。
 
 別に、「俗的な意義」が悪いわけではない。しかし、「高尚な意義」は、それなりに高い評価が与えられるべきである。それこそが、「世のため、人のため」になるからである。
 
 「差別学」を学ぶ、これは「高尚な意義」がある。まあ、一部は「教養的」であってもいいが、「差別学」は実践的学問であり、実際に行動してこそ意義がある。それも「世のため、人のため」なのだから、その意味で、「高尚」なのである。
 
 だから、俗的な人間が、私ら「選ばれし者たち」の高尚な活動の意義がわからないのは当然だろう。まさか、金にもならない活動をしている、それも嫌な思いをしながら、「利他的な活動」をしてるなんて、(俗的な人間にしてみれば)思いもよらないのである。だから、「(女性専用車に乗るのは)大勢の女性に取り囲まれたいのだろう」とか、「(女性専用車に反対するのは)痴漢がしたいからだろう」なんて、下衆の勘ぐりをするのである。

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白人にしてみれば、あえて「白人優先席」から移動しない
黒人女性は「迷惑(な女)」だと思ったことだろう
 
 まさに、ブーメランである。人は、「自分のしたいことは、人もしたいだろう」と思う、自分の価値観で人の行動を推量するのである。自分が大勢の女性に囲まれたい、自分が(できるものなら、捕まらないなら)痴漢をしたい、のである。下衆い連中である。


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