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<写真は宮崎氏著本「まぼろしの邪馬台国」巻頭写真>
民謡といえどもその県の重要な文化財である。民謡は各地に伝播してその土地で歌い継がれ、曲や歌詞も変わっていくことは全国でもよくある話である。
しかしこうした民謡に著作権を与え、恰もそれが島原の歌であり、山梨の縁故節のほうが島原の子守唄を真似たものとの妄説も生まれるに至った。われらの先輩で民謡研究の大家でもある韮崎市の植松氏はその事実究明に九州にまでわたって、その盗作疑義を明らかにしていった。その間元NHK会長坂本氏や古関氏らの関与や書簡もあり、明らかに盗作であるのにかかわらず「著作権」の柵を越えることができなかった。
今回の美化された映画化で宮崎康平氏の盗作疑惑が、事実誤認のまま認識されることもあるので、ここで明記して後世に託したい。
「山梨の縁故節」それは宮崎康平氏手により「島原の子守唄」に生まれ変わった。
●幻の邪馬台国
まぼろしの邪馬台国 宮崎康平氏著
表装案内より
これは、在野の一篤学者が、いまだに学界がその所在を確定しえぬ古代史の謎、邪馬台国 を求めて、途中失明の非運にあいながら、盲目の身を凄の献身に支えられ、二十五年の幸苦の末に、ついに一つの結論に到達するという、まことに稀有な物語です。
その考察は、新鮮な驚きとスリルに満ちて推理小説も及ばぬ興昧津々の読物であり、またその長い道程は、一人の非凡な日本人の感動的な生活記録でもあります。そしてその研究と結論とは、わが国の史学、考古学、国文学、民俗学等に、大きな示唆と衝撃を与えるでありましょう。
著者はいっています。
「スウェン・ヘディンによって発見されるまで、タクラマカン砂漠の砂塵におおわれ、タリム盆地のロプノール湖畔に眠っていた楼蘭王国のように、邪馬台国は、きっと有明海沿岸のどこかに眠っている。
千七百年の風霜の中で、あるいは百余歩の女王卑弥呼の墓は消え去り、その残土すら今はとどめていないかもしれない。だが、かつてホメロスの詩をひたすら信じ、ヒッサリークの丘を発掘して、神話と伝説のトロヤを世界の人々に示し、現代考古学の扉を開いたハインリッヒ.シュリーマンを、邪馬台国が待っていないと、だれが断言できよう。…」
著者の白い杖とともに、邪馬台国への旅路をたどっていただければ幸いです。
宮崎康平
一九一七年長崎県島原の生まれ。本名は一彰。昭和十奉早稲田大学峯部卒業。学生時代森繁久弥らと学生演劇をやり、卒業後は東宝に入杜して三好十郎に師事。兄の死によリ、帰郷して家業の土建業に従う。戦後、病没の父に代わって島原鉄道に入り、その近代化につとめたが、極度の過労から眼底結膜炎が悪化してついに失明。
◎このとき妻出奔、置き去りされた乳呑み児を抱えてオロロンオロロンと作詞作曲したのが絶唱『島原の子守唄』。
だがこの失明は、かえって彼に闘志と活力を与えた。以後、事業に、地域の開発に、そして邪馬台国の探求にと、常人以上の精力的な活動がはじまる。
かって島原鉄道には快速のディーゼルカーが青、バス路線は伸び島原半島には乳牛が草をはみ、たわわなバナナが南国の陽に映えた。
新しい妻和子さん(映画で吉永小百合さん演じる)を眼とし、杖とし、ペンとして、記紀、倭人伝を五百回も精読し、日本各地の遺跡をさぐり、ついにこの『まぼろしの邪馬台国』が成った。
いま宮崎氏は島鉄霧の職を退き、年来あたためてきた島原女性をヒヒロインとする千五百枚の大ロマンの完成につとめている。そして黄金のバナナの夢、邪馬台国の夢etc----
宮崎氏の人生はつねに夢豊かである。
そうである。現在まで数多くの「邪馬台国本」がある研究書もある。しかしこれは永遠に解明できる問題ではなく、謎は深まるだけである。宮崎康平氏の本もその一つである。
手元にあるがまだ開いていない。
<参考資料>
●http://sky.geocities.jp/satoyamaai/index.html
●http://blogs.yahoo.co.jp/hakusyunetto/18905348.html
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