12月21日に実施した例幣使街道巡りドライブレポのその9です。趣旨は「その1」を参照。
2013年12月21日(土曜日) 梁田へ
栃木・群馬県道128号線にて例幣使道を辿っています。時間はもう午後1時半。1日で日光へ行くという当初の目標はどこかへ吹っ飛びました。今はどの辺りで区切りを付けるか思案しつつハンドルを握っています。それにしても疲れたなあ・・・。一晩寝たとは言え、前日の夜勤明けの疲れが残っている・・・。
「上渋垂町交差点」にて国道50号線と交差し、さらに県道128号線を進みます。
県道128号線は緩やかに東へカーブし、国道50号線と併走するような形で進みます。
「梁田町交差点」。梁田宿へ近づいて来ました。
沿道にちょっとだけ住宅や店舗が点在するだけ。田園地帯の一本道です。
ここで左折。「うなぎ金箱」と「セーブオン・足利梁田店」の間の道へ入ります。
梁田宿へ入って行きます。
この道の左側、長福寺の入口に梁田町自治会館があります。ここに梁田宿碑があります。
通行人も居ない、人の気配の無い、寒々しいくらいの静けさ。ここが宿場町だったとは。
説明板は画像加工しても判読困難。資料によれば本陣2軒、旅籠32軒、総戸数105軒だったそうです。
長福寺も寄ってみました。
戊辰以来、大東亜戦争までの戦死者の碑がありました。その中に梁田戦争の碑もあります。左側の石碑がそうです。
梁田戦争は戊辰戦争中にここ梁田で起きた戦いです。上渋垂方面から進撃して来た約200名の西軍(薩摩藩、大垣藩、長州藩)は慶応4年(1868年)3月9日早朝、深い霧を衝いて梁田に宿営中の約900名の東軍(幕府軍)を三方から攻撃しました。兵力に優る東軍ですが、奇襲された事と装備の違いから西軍に圧倒され、午前中で戦闘は終結しました。この長福寺には東軍の戦死者64名が埋葬されているそうです。時代背景を考えると東軍戦死者の碑は珍しいですね。戦死者を憐れんだ村民が埋葬したそうです。
「梁田戦争戦死塚」を見ようと思っていたのに、睡魔と疲労で頭がボーっとしていてこれを撮ったのみ。
梁田宿の道は渡良瀬川に向かって進んでいます。閉店した商店が並んでおり、宿場町の雰囲気をちょっとだけ偲びます。
栃木・群馬県道8号線(足利館林線)に突き当たります。堤防の向こうは渡良瀬川。
堤防に立つ。上流方向。
下流方向。
往時は渡船で渡良瀬川を渡っていました。今はとても立派な橋(川崎橋)が架かっています。
とても広い河川敷。ゴルフ場になっています。午後2時になろうとしている。眠い。疲れた。ちょっと風邪気味。今回はこの辺で止めようか。睡魔如何ともし難し。空地に車を停めて、そのまま眠ってしまいましたとさ・・・。
この記事で通過したコース。見事なまでの田園地帯の一本道。とても素晴らしいロケーションです。また行ってみたい。とても田舎だけど。こんな所で戦争をやったんですなあ・・・。

(Googleマップにて作成)
(つづく)
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こんばんは。
夜勤明けの身体で、街道巡りしながら日光まで行く予定なんっすか(@_@;)
街道巡り&史跡に立ち寄ってだと、途中で一泊しないと厳しいですよね。
河川敷から見る景色は広々としていて良いですよね。ここなら夕陽も綺麗なのかな?
2014/1/18(土) 午後 10:59 [ nao-s ]
nao-sさん、おはようございます。記事にも書きましたが、正確に言えば夜勤明けの翌日ですね。一晩寝ているわけですが、疲れは抜けていません(笑)
夕日いいかもしれませんね。梁田の田園地帯もいいですよ。地平線感覚を味わえます。
2014/1/20(月) 午前 8:47