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前回記事↓の続きです。 (http://blogs.yahoo.co.jp/sac_murakumo/56595544.html) 2014年11月22日旧東海道の川崎宿を歩いています。六郷橋から900mほど歩いて「砂子交差点」に達しました。交差点を渡ると旧東海道は市道砂子12号線に変わります。通称「いさご通り」。 本当にあちこちに史跡案内板がある。すごい。 商業ビルの立ち並ぶ道路からは、旧街道の風情は見受けられません。左側に見えるのが川崎信用金庫本店。シャッターには宿場の浮世絵が描かれており、気合が入っています。 この辺りに「佐藤本陣(通称「上の本陣」)」がありました。本陣の案内板は撮り忘れました。「佐藤惣之助生誕の地」の碑のみ撮っています。 詩人、作詞家として活躍した佐藤惣之助の碑です。 さらに砂子12号線を進みます。暑い!まるで夏。 「砂子二丁目交差点」。右折方向は市道砂子19号線、左折方向は砂子20号線。 ちょっと歩いて「小土呂橋交差点」に達します。 逆光が強烈。「旧東海道」アピールも強烈。 一般県道である県道101号(扇町川崎停車場線)と交差します。ここにかつて新川堀という用水路が流れており、小土呂橋という橋が架かっていたそうです。 橋の親柱が保存されています。すごい。 昭和6年撮影の「小土呂橋」。同じ場所とは思えない・・・。 交差点を渡ると川崎市川崎区砂子から川崎市川崎区小川町へ。旧東海道は市道小川町3号線に変わります。 この辺りは飲食店が多い。朝から何も食べていない。腹減った・・・。 次第に人通りが閑散となりました。 ひたすら歩きます。 「三井のリパーク・川崎小川町第4駐車場」 ここに「川崎宿京入口」がありました。川崎宿の京都側の出入口です。幕末には外国人警護のため、第一関門が設けられたそうです。 ここにはその日に宿場に泊る大名の関札が掲げられたそうです。今も複製品が掲げられています。 史跡案内板 人通りは少ないが、飲食店は多い。あちこちからいい匂いが・・・。 「川崎警察署東側入口交差点」 一般都県道である神奈川県道・東京都道140号(川崎町田線)と交差します。 左折方向へ200m進むと元木交差点で国道15号(第一京浜国道)に接続します。川崎町田線は同交差点が起点です。 右折方向。 交差点を渡ると川崎市川崎区小川町から川崎市川崎区日進町へ。旧東海道は市道日進町下並木線として進みます。 「川崎小学校交差点」 「馬嶋病院」 この病院の一角に「芭蕉ポケットパーク」という休憩所があります。 自販機 その裏側には芭蕉の門弟22人の句が書かれています。 川崎宿の絵地図も描かれています。 馬嶋病院の隣には川崎警察署があります。意外に閑散とした場所にあります。まあ、かつては国道だったわけですが。 川崎警察署を過ぎると、東海道は京浜急行の線路に分断されます。旧川崎宿の町並みはこの辺で終わったそうです。 線路に接する地点に「芭蕉の句碑」があります。 「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」。元禄7年(1694年)、伊賀上野へ旅立つ芭蕉は、ここで見送りの弟子達と別れを惜しみました。同年芭蕉は大阪で亡くなり、ここでの別れが今生の別れとなりました。 句碑の近くには京浜急行の八丁畷駅があります。線路で分断された旧東海道は、手前の踏切(「京急川崎第1踏切」)を渡って進みます。 踏切を渡ったところ。 列車通過中。 さらに市道日進町下並木線を進みます。 駅前マンションの敷地も東海道アピール。 八丁畷駅の跨線橋の階段脇に「慰霊塔」があります。 災害等で犠牲になった無数の身元不明者がここに埋葬されたそうで、たびたび数多くの人骨が発掘されるそうです。 合掌。 慰霊塔を過ぎると、「旧国道架道橋」の下を通ります。JR南武線が通っています。 マンションや住宅が並ぶ静かな町並みとなります。川崎市川崎区日進町から川崎市川崎区下並木へ。 個人宅にあった私設と思しき道標。気合が入っています。 あちこちに案内があって本当に助かる。 もうすぐ川崎市から出ます。 「市場上町交差点」。横浜市道市場38号線と交差します。この道路が川崎市と横浜市の境界です。 横浜市鶴見区市場上町に入りました。東海道は市道市場鶴見線7088号として進みます。川崎宿から旧市場村までは田畑の中を真っすぐ貫く一本道だったので、「八丁畷」と言われたそうです。 閑静な住宅街。撮影時は衆院選を控えていたので、選挙カーの轟音以外は本当に静かな町並みでした。 市場東中町に入ると右側に熊野神社があります。 弘仁年間(平安時代)頃の創祀と言われています。明治5年に東海道本線敷設に伴い、当地に遷されたそうです。この辺りは海産物や塩の収穫に恵まれ、戦国時代の天文年間には魚介の市が開かれました。こうした自然の恵みを人々は「熊野権現の加護」によるものとし、当社を厚く崇敬したと言われています。いつしか当地は市に因んで「市場村」と呼ばれるようになったそうです。 静かな商店街を進みます。 市場西中町へ入って行きます。 市場一里塚(左側)に到着。 「市場一里塚」。日本橋より5番目の一里塚。すなわち日本橋より五里というわけです。 昭和8年(1933年)に建てられた「武州橘樹郡市場村一里塚」の碑。 横浜市地域文化財だそうです。 おばあさんに「街道歩きですか。お疲れ様ですね」と声を掛けていただきました。嬉しいですねえ。 市場下町に入って行きます。 個人宅の一角にある庚申堂。 宝暦4年(1754年)建立の青面金剛像。道路マニアに転向して数多くの庚申塔を目にするようになりましたが、ちゃんとお祈りをする機会は少ないです。 庚申堂のすぐ近くには「下町稲荷」があります。 そしてさらに進むと「光明山金剛寺」があります。創建年代不明だそうで、かなり古そうです。 金剛寺を過ぎると鶴見川橋が見えて来ます。 「鶴見川橋」(1996年12月竣功)。昭和28年完成の旧橋に代わって架けられました。 鶴見川は「暴れ川」として知られ、水害を繰り返してきたそうです。耐震工事も進められています。 上流側を見る。東海道本線や横須賀線、京浜東北線が通っています。 ちょっとボロボロなのが残念な案内板。鶴見川は流域の形状が動物のバクに似ていることから、バクがマスコットに採用されているそうです。 車の通りも少なく、散歩をしている人が多い。海が近いせいか、どことなく潮の匂いが。 下流側には「鶴見ポンプ場汚水圧送管橋」が架かっています。向こうには京浜急行が通っています。 鶴見川橋を渡ると鶴見区鶴見中央に入ります。この時点で正午過ぎ。 本記事の経路。今回は地図2枚に分けます。 |
旧街道めぐり
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いやー、素晴らしいれ歩ですね。
一緒に歩いているような気分になれます。
それにしても、史跡案内の充実さには感心します。
SACさんの仰る通り、わが高崎も大いに学んでほしいところですね。
その3、楽しみにしてます。
2015/1/7(水) 午前 10:39 [ 迷道院高崎 ]
> 迷道院高崎さん
案内板の多さには本当に感心しました。旧街道という事に誇りを持っているんですね。高崎も見習って欲しいです。
2015/1/8(木) 午後 10:52