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あれから30年。乗客乗員520名が亡くなった日航機墜落事故から30年が経ったという。早いものである。私はあの事故の直接の関係者ではないし、単なる傍観者に過ぎなかったが、30年ということで雑感を記してみたいと思う。 1985年、昭和60年の夏、私は中学2年生であった。夏休みで勉強もせず、プラモ作りや釣りに熱中していた。墜落時刻は8月12日午後6時56分とされている。当時の我が家では父の帰宅を待って夕食となるので、その頃は食事中だったと記憶している。 第一報となるニュース速報が入ったのは7時半過ぎ。7時のニュースに続いて終戦記念日関連のNHK特集(当時)を見ている最中だった。「レーダーから消える」という表現で、まだ「墜落」という言葉は使っていなかった。終戦記念の番組はその後もちょっと続いたが、やがて中断しニューススタジオからの安否情報が始まった。民放も速報を報じ始め、9時頃には大半のTV局が日航機関連の報道番組に切り替わったと記憶している。 「自衛隊機が山中での火災を確認」などと報じられ、乗客名簿の読み上げが繰り返しなされたが、肝心の墜落現場は「長野県」とか「埼玉県」とか「群馬県」とか二転三転し、なかなか確定されなかった。やがて日航機の残燃料が無くなる時間となり、墜落は濃厚となったが、現場は特定されなかった。しかし長野県内での墜落を報じるものが、時間を追って多くなっていたように記憶している。 私は11時頃まではTVを見ていたが、子供なので就寝した。しかし母はほぼ一睡もせずTVを見ていたようだ。近親者が日航機に乗っていたわけではないが、このような重大事故であれば、今の私でも同じように一睡もせずニュースを見ていたと思う。 翌8月13日未明、私は複数のヘリコプターの轟音で目を覚ました。ヘリは高崎市の私の自宅(実家)上空を次々と南下していった。私が見たのは陸上自衛隊のV-107輸送ヘリコプターだった。当時は知らなかったが、相馬原駐屯地に前進待機していた第1ヘリコプター団のV-107が現場に向かって飛んで行ったようだった。 現場確認、遺体発見、生存者発見・・・。私の自宅は現場と相馬原を往復する陸自ヘリの飛行コース下にあったので、夏休みを通じて、そして9月入ってもヘリの轟音は続いた。 事故後1週間くらい経ってからだったと思う。当時は写真週刊誌全盛の時代だった。父が数誌を買って来た。そこには酸鼻を極める現場写真が載っていた。損傷の激しい遺体の写真は、中学生の私にとって衝撃的だった。 事故からしばらく経って、某週刊誌(特定出来ず)が「捜索現場に入った自衛隊員が犠牲者の遺品を盗んだ」と報じた。父の知人で当時新町駐屯地に勤務していて、困難な捜索活動に参加したある隊員は、この記事を見て声を上げて泣いたという。炎天下の急斜面で損傷の激しい遺体を捜索し、久しぶりに帰宅してどんなに風呂で体を洗っても死臭が消えないという壮絶な体験をしつつも、それでも遺体を家族に返したいという一心で任務に打ち込んだにも関わらず泥棒扱いの報道。どれだけ悔しかったか筆舌に尽くしがたい。 近所に住む幼馴染(私より年長で当時高校生)は、遺体安置所となった藤岡市民体育館のアルバイトに行ったという。しかし死臭凄まじく、数日でギブアップしてしまったそうだ。同体育館はその後も死臭が消えず、数年後に解体され新築された。 この事故では1971年7月の雫石全日空機事故と違い、自衛隊は墜落原因の当事者ではなかった。しかし現在至るまで、いろいろな悪玉説が出ている。そのすべては空虚で荒唐無稽な妄言の域を出ないが、「護衛艦のミサイルや無人標的機が衝突した」とか「現場特定を妨害し、その間に第1空挺団が現場に入って生存者を殺害した」など自衛隊の名誉と自衛官の尊厳を犯すものでまったく容認出来ない。何を言っても反論しない自衛隊ならば、何を言ってもいい、という一部の人間の行為は許されざるものだ。私も元自衛官の一人として今でも大いに憤慨している。 当時相模湾で公試運転中で、日航機の残骸発見に貢献したにも関わらず、一部の人間から日航機を撃墜した「下手人」として語られている護衛艦「まつゆき」。私は自衛官時代に同艦に艤装員(就役前なので乗員ではなく艤装員)として勤務していた先輩の話を聞いた事がある。前述の新町駐屯地の隊員と同じく、「妙な噂を立てられて悔しいの一言だ」と語った。自分もそう思う。艦対空ミサイルの実射は日本本土のはるか南方の訓練海面で行われる。航空機、船舶の往来が多い相模湾で行われる事はあり得ない。 事故調の報告書は「急減圧は本当にあったのか?」など疑問な点も多い。しかし何を言っても反論しない自衛隊なら、どんな罵詈雑言を浴びせてもいい、という一部の人間の行為は何度も書くが絶対に許せない。 ともあれ30年。犠牲者の冥福を祈り続けたい。
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ニュースを見てあれは墜落音を聞いた
お盆の関係で上野と藤岡の間の某ホテルに
泊まっており坂本九さん遺族とエレベーターや
朝食など一緒になったり
本当に群馬県は凄い事になっていたみたいですね。
2015/8/12(水) 午後 11:05
自衛隊に関する眉唾な報道は、誰が見ても荒唐無稽であり、論ずるに値しない虚言と感じます。
ほとんどの人は一連の報道を信じてないと思いますが、現地で御尽力された方々の心中を察するとやり切れない思いです。
もぎ
2015/8/13(木) 午前 9:36 [ kou*an_*y_g*ma ]
> たにたにさん
本当に大騒ぎでしたね。生存者が収容された高崎国立病院も凄い事になっていましたし。
2015/8/14(金) 午前 0:46
> もぎさん
いつも見ております。南牧村のお店の記事とか楽しませていただきました。
「とりあえず自衛隊を批判しとけ」みたいな論調は今でも続いてますね。事実なら仕方ないですが、事実無根は強い憤りを感じます。
2015/8/14(金) 午前 0:50
さすがに藤岡遺体安置所は取り壊されると思ったよ だって!死んだ人の臭いが凄かったんでしょう!
2019/8/14(水) 午前 2:41 [ とものり ]
遺体安置所があった体育館は現在は市民ホールになりました
2019/8/14(水) 午前 2:42 [ かも ]