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前回紹介した「日向義民地蔵」に続いて「享保三義人の墓」へ行きました。 (前回参照http://blogs.yahoo.co.jp/sac_murakumo/56953223.html) 2015年9月3日木曜日邑楽郡明和町の県道368号(上中森川俣停車場線)を走っています。あと数百メートル直進すると東武伊勢崎線・川俣駅に達しますが、その手前で右折し・・・。明和町中谷にある阿妻山教学院へ。 場所はここ。ZENRINさん、県道318号は太田市にある治良門橋停車場線じゃないか。本当は県道368号なのだが、一向に訂正する気配なし・・・。 (Yahoo地図で作成) この教学院の一角に「享保三義人の墓」があります。 墓誌。地名は現代のものに変えられてあります。下に改行、句読点等を加えたものを載せます。 墓誌 碑は享保の三義人、明和村中谷の恩田佐吉、邑楽町中野の竹岸武兵衛、館林市田谷の小池藤左衛門の供養碑である。 三人はいずれも江戸時代の名主で、享保3年(1718年)12月、館林領内42ヶ村の農民の代表として、時の領主松平清武公の江戸屋敷へ年貢減免を陳情された。 だが、徒党を組んで強訴に及んだ罪を問われて、翌享保4年(1719年)4月で斬首されたのである。その上、三人の名主の田畑山林家財は没収され、相続人は領外追放、婦女子は親類預かりの身となったのである。 農民達は三人の死を嘆き悲しみ、館林小桑原の密蔵寺に供養碑を建てたが、城下に近く目障りとあって破壊された。その後農民がひそかに中谷教学院の境内に再建されたのがこの碑である。 時は流れ、世も人も移り変わりまた変わりつつあるが、己が身を捨て世のため、人のために尽くされた犠牲的精神に吾等は深く感謝の誠を捧げると共に、永くその徳を称えて後世に伝えなければならない。義人の霊よ、安らかに眠らんことを祈る。 阿妻山教学院 |
歴史探訪
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