SACの部屋

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歴史探訪

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かつて国難とも言うべき時代がありました。そして自然災害は、その国難の時代も日本を襲い続けました。

日華事変とそれに続く大東亜戦争、戦時体制は我が国の国民生活をギリギリまで圧迫しました。困苦欠乏、明日をも知れぬ命。しかし地震はそんな日本民族に対しても容赦しませんでした。

昭和18年9月10日、鳥取地震。マグニチュード7.2の直下型地震が鳥取を襲いました。死者1083人。戦時中のため犠牲者の過半は「銃後の護り」たる女性達でした。ちなみに鳥取市は震災復興が成りつつあった昭和27年4月17日に原因不明の火災(鳥取大火)により再び灰燼に帰します。

昭和19年12月7日、昭和東南海地震。南海トラフの一部が嘉永7年11月4日(1854年12月23日)の安政東海地震に続いて90年ぶりに動きました。マグニチュード7.9の巨大地震が東海地方を襲い、地震の直後には大津波も発生、中京地区の軍需工場地帯が大被害を被り、我が国の戦時体制に決定的な打撃を与えました。死者・行方不明者1223人。戦時中のため地震被害は詳細に報道されず、被災地は自力での復旧を余儀なくされました。しかし地震やその被害はアメリカ側に察知され、中京の被災地は「破壊の総仕上げ」として4度の空襲に遭いました。

東南海地震の被災地である伊勢湾沿岸や三重県南部は戦後復興が成りつつあった昭和34年9月に伊勢湾台風で大被害を受けており、さらに三重県南部はその翌年(昭和35年)5月にチリ地震津波でも被害を受けています。何と無情な事でありましょうか。

約1ヶ月後の昭和20年1月13日、東南海地震の余震とも誘発地震とも言われる三河地震が発生。マグニチュード6.8の直下型地震が三河地方を襲いました。死者・行方不明者2306人。この地震も被害の詳細は伏せられ、被災地は自力復旧を余儀なくされました。

昭和20年8月15日、敗戦。戦いの日々は終わりました。しかし自然災害は容赦しませんでした。

昭和20年9月12日〜23日、枕崎台風(昭和20年台風第16号)が襲来。終戦により気象管制(戦時中は気象情報は軍事情報であるとして天気予報の公表が禁じられていた)は解除されたとはいえ気象情報は乏しく、戦災の痛手を受けていた各地を、台風はほぼ無警告で襲いました。死者2473人、行方不明者1283人。原子爆弾の被害を受けてまだ1ヶ月余りの広島県の被害は大きく、治療中の被爆者多数も犠牲となりました。

ちなみに1ヶ月後の10月4日〜14日には阿久根台風(昭和20年台風第20号)が枕崎台風とほぼ同じコースで襲来、死者377人、行方不明者74人の被害を出しています。

敗戦により世相は混乱の極に達していましたが、自然災害は容赦しません。

昭和21年12月21日、昭和東南海地震に続いて再び南海トラフが動きます。昭和南海地震です。マグニチュード8.0の巨大地震によって大津波が発生、四国および紀伊半島を襲いました。死者1330名、行方不明者113名。

昭和の南海トラフ地震の前の地震は安政の東海地震および南海地震です。前述の通り嘉永7年11月4日(1854年12月23日)に安政東海地震(マグニチュード8.4)が発生し、東海沖および東南海沖の震源域が動きました。そしてその32時間後の嘉永7年11月5日(1854年12月24日)に安政南海地震(マグニチュード8.4)が発生し、南海沖の震源域が動きました。さらにその前回の宝永4年10月4日(1707年10月28日)に発生した宝永地震(マグニチュード8.4〜9.3?)は東海、東南海、南海が同時に動いており、「我が国最大級の地震」とされています。昭和の南海トラフ地震においては東海沖は動いておらず、現在もエネルギーを溜め続けています。将来予想される南海トラフ地震では東海沖も動く可能性が高いとされており、宝永地震に匹敵し、2011年の東北地方太平洋沖地震に比肩する超巨大地震になる可能性が懸念されています。

さて、戦後の混乱期をさらに自然災害が襲います。

昭和22年9月8日〜17日、カスリーン台風(昭和22年台風第9号)が襲来。上陸はしなかったものの(上陸説もあり)秋雨前線を大いに刺激し、関東地方と東北地方に大水害をもたらしました。特に関東地方においては利根川水系を中心に各地で河川が氾濫、「関東に巨大な湖が出現した」と言われるほどの洪水被害を及ぼしました。死者1077名、行方不明者853名。

昭和23年6月28日、福井地震。マグニチュード7.1の直下型地震が戦災復興の途上にある福井県を襲いました。昭和20年7月19日の福井空襲によって壊滅的破壊を受けていた福井市は再び壊滅的な破壊を受けました。死者・行方不明者3769人。

この年の9月7日〜19日、前年のカスリーン台風に続いて再び台風が関東地方と東北地方を襲います。アイオン台風(昭和23年台風第21号)です。死者512名、行方不明者326名。岩手県の北上川流域において、特に大きな被害が発生しました。

以後、我が国における地震活動は少しずつ落ち着きますが(無くなったわけではない)、台風被害は続きます。

昭和24年6月15日〜23日、デラ台風(昭和24年台風第2号)。主に九州・四国地方に被害。死者252名、行方不明者216名。

昭和24年8月7日〜19日、ジュディス台風(昭和24年台風第9号)。主に九州・四国地方に被害。死者154名、行方不明25名。

昭和24年8月27日〜9月5日、キティ台風(昭和24年台風第10号)。主に関東地方に被害。死者135名、行方不明者25名。

昭和25年8月30日〜9月7日、ジェーン台風(昭和25年台風第28号)。主に近畿・四国地方に被害。死者398名、行方不明者141名。

昭和26年10月9日〜10月16日、ルース台風(昭和26年台風第15号)。主に九州・四国・中国地方に被害。死者572名、行方不明者371名。

昭和28年6月25〜29日。西日本水害。梅雨前線による豪雨が九州地方北部を襲い、死者759人、行方不明者242人 。

昭和28年7月17日〜18日、紀州大水害。梅雨前線による豪雨が和歌山県北部を襲い、死者行方不明者計1015人。

昭和28年9月18日〜9月28日、台風第13号。主に四国・近畿・東海・北陸・関東地方に被害。死者393名、行方不明者85名。

昭和29年9月21日〜9月28日、洞爺丸台風(昭和29年台風第15号)。主に北海道で被害。死者1361名、行方不明者400名。死者行方不明の大半(1155名)が青函連絡船「洞爺丸」沈没による。他に青函連絡船「第十一青函丸」「北見丸」「日高丸」「十勝丸」も沈没。

昭和31年7月、経済白書は生産水準が戦前レベルに回復した事を宣言、経済復興は成りました。復興期のような急激な経済成長は終わったかに見えましたが、さらに空前の高度経済成長が始まる事になります。その間もチリ地震津波、新潟地震、十勝沖地震、狩野川台風、伊勢湾台風、第2室戸台風、昭和38年1月豪雪など自然災害が次々と我が国を襲います。

繰り返し襲い掛かる自然災害、そしてそれを乗り越えて復興を成し遂げる日本民族。「地震雷火事親父」。今回の鳥取地震や先般の熊本地震を考えながら、ダラダラと書いてみました。

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