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夜勤明けで意識を失いそうなほど眠いですが、毎日「本日更新無し」では芸が無いし、いつまで経っても未公開ネタが終わらないので、短めながら書きます。 群馬県道33号(渋川松井田線)へ。九十九川(利根川水系・碓氷川支流)周辺もあちこちに桜が。 個人宅のヤエベニシダレやハナモモがとてもきれい。 土塩(ひじしお)住民センター近くのこのお宅のヤエベニシダレ。実に見事。ほぼ毎年楽しませてもらっている。 けっこう山奥に入って来た。増田川(利根川水系・九十九川支流)の砂防親水公園にも桜が植えられている。この辺りで人の住む地域は終わり。 人気の無い山道を進む。地蔵峠へ。交通量はきわめて少ない。自分だけで走っているような感じ。 高崎市倉渕町へ。地蔵峠越え。 地蔵峠から見た榛名山。 ここには幕末の幕府勘定奉行小栗上野介の家臣である塚本真彦の母ミツと娘チカの殉難碑がある。 塚本真彦は主君小栗上野介と共に西軍に斬首されたが、妻と母、そして男児1名と女児2名を七日市(現富岡市)へ脱出させた。女2名と子供3名の逃避行は困難を極め、二手に別れた。妻は男児1名と女児2名を連れていたが脱出は困難と判断し女児2名を川に沈め、家督を次ぐ男児のみを生かした。母は女児1名を伴ったが、やはり脱出困難と判断して、この地蔵峠で自害した。 (自害現場は県道沿いではなく、山中奥深くとの事) 写真を撮っていたら、突然轟音が。航空自衛隊のRF-4EまたはRF-4EJと思われる。 さて、峠道を下る。 養鶏会社の入口。ちょっと寄り道。 この入口に鶏供養塔がある。そしてその横に小さな、本当に小さな碑がある。 「阿字の子が 阿字のふるさと立ち出でて また立ち帰る阿字の故郷」。弘法大師が弟子の死を悼んで詠んだ歌である。横には「昭和五十七年 八月」とある。これだけでは何の碑が分からないが・・・。 裏面。反射で読みにくいが「茲 連合赤軍八名の若者眠る 合掌」とある。1971年から1972年にかけて群馬県内の「山岳ベース」でテロ訓練を行っていた極左暴力集団「連合赤軍」が、仲間内でリンチを行い12名を殺害した。その内の8名が地蔵峠付近の当地において埋められた。実際に埋められた現場は養鶏場敷地内になっているので、現在は鳥供養塔の隣に建てられている。 1971年に群馬県高崎市に生まれた自分としては、大久保事件と並んで地元で起きた凶悪事件として、一連の連合赤軍事件は忘れる事が出来ない。12名が殺された事は不幸ではあると思うが、自分としては合掌すらする気にはなれない。殺された12名も所詮は極左暴力集団の構成員であり、生き残ったとすればテロ行為に手を染めたはずである。運良く連合赤軍から離脱していたとしても、極左思想の持ち主として日本社会に害悪を及ぼしたはずである。極左は百害あって一利なし。一人残らずこの世から消え去って欲しい。愛すべき郷土の山々を汚した連合赤軍の連中を、自分は現在も憎む。この碑に唾棄したいくらいの気持ちをグッと抑えて、この場所を離れた。 山道を下ってようやく民家が見えて来た。なんとまだ梅が咲いている。 そして桜も咲いている。とてもきれい。極左の碑を見て苦々しくなっていた心が、晴れる。 烏川(利根川水系・利根川支流)に架かる「川田橋」(昭和47年2月竣工)。 烏川の上流方向を見る。 国道406号へ。 高崎市立倉渕小学校の桜が満開。 長井川(利根川水系・烏川支流)周辺も桜が満開。 見事なソメイヨシノ。 スイセンと双体道祖神がいい感じ。夫婦和合。 ここの桜はいい。大好きである。 |
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