大和レポ11回目です。
鮎焼きや牛串を食べ損ねたまま防衛館(史料館)へ。どこの駐屯地の史料館も隊員さんたちの努力でギリギリ維持されている感じの外観です。
かつて大和駐屯地に所在した第6対戦車隊の展示です。1962年(昭和37年)8月15日創隊、1999年(平成11年)3月29日廃止だそうです。歴代装備火器として75mm無反動砲、106mm無反動砲、64式対戦車誘導弾、79式対舟艇対戦車誘導弾、87式対戦車誘導弾が紹介されていました。
87式対戦車誘導弾は専ら普通科連隊隷下のナンバー中隊・対戦車小隊に装備されており、対戦車隊は79式対舟艇対戦車誘導弾を装備しているものと思っていましたが、第6対戦車隊は87式対戦車誘導弾も装備していたのでしょうか?よく分かりません。
追記
この記事を書いた後、手持ちの資料を読み返したのですが、80年代の資料を見ると1985年9月に策定された中期防衛力整備計画(1986年〜1990年)では陸上自衛隊の師団編成の近代化・多様化が謳われています。
これは従来の甲、乙、丙の3種の編成を基本としつつ、ソ連の脅威に対抗するためより一層の在道師団強化と本州以南師団の近代化を行なうというもので、第9師団を除く本州以南の師団は戦車中隊1個を削減し、対戦車隊は79MAT×16基、87MAT×16基の増強編成にする計画だったようです。
(当時87MATは制式化直前)
手持ちの資料が貧弱なのでこの計画がどこまで進んだのかは分かりません。少なくとも各師団戦車中隊1個削減は1991年(平成3年)の「北転事業」で実現し、第1、第3、第4、第6、第8、第10の各師団隷下の戦車大隊が縮小され、代わりに北部方面隊隷下に戦車中隊5個が新設されました。しかし本州以南師団の対戦車隊の増強がどこまで進んだのかはまったく分かりません。いずれにせよ1995年(平成7年)の07大綱策定に伴ない挫折しました。
ただこの防衛館の展示に見るように第6対戦車隊は79MATと87MATの双方を装備し、増強編成に取り掛かった事だけは事実のようです。増強編成が完結したのかどうかは分かりません・・・。
かつて駐屯地門柱に掛けられていた部隊表札(正式には何と言うのでしょう?)。涙を誘います・・・。
外にひっそり建てられていた第6対戦車隊の記念碑。

上級部隊である第6師団創隊は1962年(昭和37年)8月15日ですから、第6対戦車隊は師団創隊と共に編成されたわけです。
その第6師団は1954年(昭和29年)8月に創設された第6管区隊が前身であり、東北6県および新潟県の防衛・警備を担当していました。1962年の師団制導入に伴ない管区隊から師団へ改編され防衛・警備区域は東北4県(山形、宮城、秋田、福島)に変更されました。
当初は3個普通科連隊基幹(20普連、21普連、22普連)の乙編成師団でしたが、1970年(昭和45年)3月に44普連が新編されて甲編成師団に移行しました。その後何度かの隷下部隊改編を行いつつ1999年3月の東北方面隊改編に伴ない秋田県の防衛・警備が第9師団に移りました。その結果、秋田駐屯地の21普連は第9師団隷下部隊となり、第9師団隷下の38普連がコア部隊へ改編の上、八戸駐屯地から多賀城駐屯地へ移駐、第6師団隷下部隊となりました。この時、第6対戦車隊も廃止されました。
2006年(平成18年)3月、即応近代化師団への改編に伴ない38普連は新編された東北方面混成団隷下となり、第6師団は3個普通科連隊基幹となりました。
昨年度末の改編により第9師団隷下の第9対戦車隊も廃止されました。この結果東北方面隊からは79式対舟艇対戦車誘導弾が姿を消してしまいました。これで良いのでしょうか?
防衛館内に展示されていた第6戦車大隊の写真。何かの記念式典の際に撮影されたようです。キャプションには撮影日時が書いてありませんでした。米軍供与のM24チャフィーを装備していた時代ですから、相当昔の写真のようです。
これも何かの記念式典のようです。やはりM24を装備しています。ただし6両目以降はM41ウォーカーブルドックです。
演習場と思われる場所で観閲行進を行なう第6戦車大隊のM41。何らかの訓練検閲時の撮影と思われます。M41はM24に続いて開発された偵察部隊用の軽戦車で、1961年(昭和36年)に147両が有償供与(西ドイツ陸軍で使用されたもの)されました。主武装の60口径76.2mm砲は同クラスの戦車砲と比べても強力な砲でしたが、偵察戦車ゆえソ連軍の主力戦車と撃ち合うには力不足でした。とはいえ信頼性が高かったので61式戦車の配備が進むまでは1970年代を通じて使用されました。
このM41は私も子供の頃、相馬原駐屯地祭で第12戦車大隊のものを見た事があります。同じ供与戦車であるM24やM4は現在でも各駐屯地に展示されていますが、M41は自衛隊退役後も他国に供与されるため全車米軍に返還されました。というわけで現在は1両のM41も国内に残されていません。そう言えば最近のタイの政変で同国軍のM41が現役なのでビックリしました。
第6戦車大隊に新配備された61式戦車を関係者や報道関係者に公開したところ。撮影日時のキャプションが無いのがつくづく残念。おそらく昭和40年代のものと思われます。手前には第6対戦車隊の64式対戦車誘導弾が写っています。とても貴重な写真です。各車にしめ縄をして関係者も嬉しそうです。初めての国産戦車という事で大いに盛り上がったのでしょう。
言うまでもなく第6戦車大隊は現存しています。しかし数次の改編で第3中隊および第4中隊が廃止されています。その関連展示です。これまた貴重です。
第3中隊は即応近代化師団への改編に伴ない廃止されました。映像集らしいです。どんな内容なのか見てみたい・・・。
第4中隊の歴代中隊長の写真がズラリと並んでいます。第4中隊は1991年(平成3年)の「北転事業」で廃止されたと思っていましたが、建制上はコア部隊として2006年3月まで存在したようです。
現在第6戦車大隊はナンバー中隊2個編成です。別の場所で隊員さんに訊いたところ、連隊戦闘団編成時は戦車1個小隊(戦車4両)を派出するのがやっとだそうです。これまたこれで良いのでしょうか?
防衛館外の退役装備品です。
OH-6D観測ヘリコプター。最終部隊は第8飛行隊(熊本県・高遊原分屯地)だったようです。いつも思うのですが、こういった退役装備機は大抵展示駐屯地とはかけ離れた場所に配備されていた機体が多いですね。
61式戦車。かなり傷んでいます。
M24チャフィー。これも傷んでいます。
75式自走155mm榴弾砲。この砲も後継の99式自走155mm榴弾砲の配備に伴ない急速に退役が進んでいます。北部方面隊の記念行事はまだ一度も行った事がありませんが、第5旅団や第11旅団はまだ装備しているようなので退役前に見に行かないとイカンですなあ・・・。
105mm榴弾砲。米軍供与品かデッドコピー国産品かは不明。
(つづく)
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