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埼玉県道56号(さいたまふじみ野所沢線)「渡船橋」にてびん沼川を渡って大宮方面へ。「飯田新田(南)交差点」。 デイリーヤマザキとセブンイレブンが並んでいる。コンビニ業界は大変だねえ。 「飯田新田交差点」 「飯田新田歩道橋」。この傍らに「斎藤治水翁彰功碑」と「治水橋メモリアルモニュメント」がある。これは後で訪れる。 緩いS字カーブを描いて「治水橋」へアプローチする「びん沼川高架橋」。 荒川右岸堤防を越え「治水橋」へ。 クラシックな親柱。先代の「治水橋」をイメージしているとの事。 5個のランプ球は周辺の5自治体を表現しているという。この橋は平成5年6月竣工。当時の大宮市、川越市、与野市、富士見市、上福岡市を表していると思われる。 明治43年の大洪水を契機に荒川の屈曲河道を直線化する荒川大改修事業が開始され、当地においては大正15年5月に新河道へ通水が開始された。これにより旧河道はびん沼川となり、新河道の渡河交通が問題となった。そこで現在の治水橋が架かる辺りに「馬宮の渡し」が設置され、渡船による渡河交通が開始された。自ら「治水」を号し、荒川大改修等の当地の治水対策に生涯を捧げた北足立郡馬宮村飯田新田(現さいたま市西区飯田新田)出身の県議斉藤祐美は架橋にも全力を注ぎ、昭和9年3月に完成を見た。橋は斉藤祐美を顕彰し「治水橋」と名付けられた。先代橋である。現在の橋は二代目で、先代橋の老朽化に伴い平成5年6月に竣工し現在に至っている。先代橋架橋時は両岸共に北足立郡馬宮村(現在はさいたま市)だが、二代目橋のモニュメントの5個のランプ球が示すように大宮だけでなく周辺地域の交通に多大な貢献をしている橋である。 (明治43年の大洪水参照https://blogs.yahoo.co.jp/sac_murakumo/58088859.html) 照明灯にもモニュメントが設置されていた。 先代橋のトラス構造を模したモニュメント。 橋長833.1m。立派な橋である。 荒川本流。上流方向を見る。前述の荒川大改修によって開削された人工河道だ。 とても広い堤外地。とくに左岸側の堤外地が広い。水田や公園が広がる。 左岸側にもモニュメントがあった。 大宮のビル群を遠望する。 埼玉県警機動センター等の施設がある。 引き返して再び「治水橋」を渡る。 下流方向を見る。 「びん沼川高架橋」へ。 前述した「斎藤治水翁彰功碑」と「治水橋メモリアルモニュメント」へ。 「斎藤治水翁彰功碑」。自ら「治水」を号し当地の治水対策に生涯を捧げた斉藤祐美の顕彰碑。 先代橋時代は橋の西詰に設置されていたそうだが、二代目橋建設や堤防改修工事に伴い現在の場所に遷された。 「治水橋メモリアルモニュメント」 先代の「治水橋」。渡河部分のみトラス構造となっていた。 親柱の銘板と思われる。 下弦材の一部。 垂直材の一部。 老朽化した橋を保存する事は難しいけど、このように一部を残して記念するというのは素晴らしいと思う。 再び「治水橋」を渡る。 左岸から運動公園へ入る道路。 「馬宮第一横堤」。荒川大改修において洪水時の流量調整のために27本建設された「横提」のひとつ。昭和9年3月竣工。この先に先代の「治水橋」が架けられた。横提は現在25本現存し、橋の一部を構成しているものも多い。 馬宮第一横提(先代橋の一部)から見た二代目橋。 堤外地には運動公園や自動車教習所が設置されている。 下流側から見た「治水橋」。左岸方向を見る。戦前まで錦乃原桜草園が広がっていたが、戦中戦後の食糧難に際して開墾され消滅。現在再生事業が行われているという。 右岸方向を見る。 広大な左岸堤外地。水田が広がる。 長大な「治水橋」。 何やら白バイ訓練中。 埼玉県道56号(さいたまふじみ野所沢線)に戻る。 左岸堤防へ。 |
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2018年12月17日
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