SACの部屋

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前回記事の続きです。
(参照https://blogs.yahoo.co.jp/sac_murakumo/58358571.html)

2018年10月21日日曜日

神保原駅にて5時39分発の東海道本線直通の高崎線に乗り、8時43分に小田原駅到着。ここがこの列車の終点。休日おでかけパスの東海道本線エリア西端。というわけで小田原をブラブラします。
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小田原名物の提灯や干物やカマボコ。
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コンパクトながらカッコイイ駅舎。
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巨大な小田原提灯が迎える。
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「相州小田原停車場」。おそらく1920年(大正9年)10月に当時の熱海線(後に東海道本線)の駅として開業した当時の写真と思われる。屋根上の小塔は3年後の1923年9月1日に発生した大正関東地震(関東大震災)によって損傷し、撤去された。駅前に乗合自動車がズラリと並ぶカッコイイ写真。
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1833年(天保4年)頃に歌川広重が描いた「東海道五拾三次之内 小田原 酒匂川」。峻険な箱根山地を背景に徒渡で渡河する様子が描かれている。
(酒匂川渡河参照https://blogs.yahoo.co.jp/sac_murakumo/58358571.html)
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この画が描かれる120余年前の1707年12月16日(宝永4年11月23日)に発生した富士山宝永大噴火では降灰により酒匂川では土石流災害が頻発し、小田原藩の河道整理事業の成果も壊滅的被害を被った。この災害により酒匂川は東海道交通有数の難所と化している。宝永大噴火の49日前の1707年10月28日(宝永4年10月4日)には南海トラフの巨大地震(マグニチュード9クラスと想像される)である宝永地震が発生しており、小田原は震害と共にや津波の被害を受けている。土地柄、小田原は災害の多い場所である。

改札を通ってコンコースへ。
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東口駅ビル「小田原ラスカ」。小田原城の「総構え」という観点から見れば、ここはすでに小田原城址。
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自分にとっては久しぶりの小田原駅。前回はたしか38年前の1980年だったような気がする。旧駅舎だったはずだが、小学校低学年だったので全く覚えていない。記憶にあるのは小田原城と駅前のデパート(?)で買ってもらったプラモデルのみ。
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たしかこのビルがデパートみたいになっていて、玩具売り場でタミヤ1/48の雷電を買ってもらった記憶がある。
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小田原名産のカマボコや干物が売っている。帰る際に買おう。
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カマボコの老舗鈴廣。
(HP参照https://www.kamaboko.com/)
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「お城通り」を歩く。小田原市道2216号線。
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「日向屋敷」
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1614年(慶長19年)の大久保氏改易所縁の地。
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「お城通り交差点」。「おだわら市民交流センターUMECO」がある。
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この交差点は「幸田口通り」との交点。小田原市道0014号線。小田原城幸田口門はこの通りではなく、この先の「お堀端通り」沿いにあった。
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この交差点にある野村證券小田原支店。先ほどの酒匂川絵図等が掲示されている。こういうのはいいねえ。
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開業当時の小田原駅の写真。
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さらに「お城通り」を歩く。小田原城天守が見える。
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かつての弁財天曲輪の一角。
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「旭丘高校前交差点」に突き当たる。「弁財天通り」交点。
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「弁財天通り」。小田原市道0004号線。
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少し歩くと右側に・・・。
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「弁財天曲輪跡」
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上杉や武田の小田原攻めの主攻地点。もっとも信玄の小田原攻めは攻城ではなく示威行為だったらしいが・・・。
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「お堀端通り交差点」に出る。「お堀端通り」交点。小田原市道0003号線交点。
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左を見る。幸田口門はこの辺りにあったという。現在は飲食店がズラリ。観光ストリートと言ってもいいだろう。
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右を見る。場内へはこちらへ進む。
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「お堀端通り」を歩く。
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紅葉が始まった桜並木。桜の時期に来たらきれいだろうねえ。
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「二の丸東堀」が見えて来た。
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現存する小田原城の堀では最大のもの。
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東堀石垣は関東大震災で大被害を受けた。埋め立てが計画されたが、保存運動が起こり昭和初期に復旧された。
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小田原カープス。
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「学橋」。かつて二の丸にあった城内小学校への通学のため架せられた橋。
(参照サイトhttps://blogs.yahoo.co.jp/bazu55555/25209761.html)
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朱色できれいな橋。帰路に通る予定なので素通り。
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さらに「お堀端通り」を歩く。桜満開になったらきれいだろうなあ。
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「馬出門」が見えて来た。
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ここは土橋で渡る。
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この土橋が正規の登城ルートだったようだ。現在も観光協会等が「正規登城ルート」に指定している。
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向こうには小田原市立三の丸小学校が見える。
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土橋を渡る。
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土橋から学橋方向を見る。
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馬出門へ。
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馬出門から学橋を見る。
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天守はまだけっこう遠い。
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馬出門も抜けて・・・。
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馬屋曲輪へ。さらに城内へ進みます。
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(つづく)

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