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自衛隊法82条の3に基づき弾道ミサイル破壊措置命令が常時発令状態になって1年以上が過ぎました(2016年8月8日より常時発令)。警戒監視体制に当たるBMD統合任務部隊を初めとする関係者の皆様、お疲れ様です。 弾道ミサイルはボコボコ撃つし、核実験もやるしでやりたい放題の北朝鮮。 政府は毎回「許せない行為」「最大限の言葉で非難する」とかを言うばかりで実質的には容認してるも同然の状態。 経済制裁もロシアや中国が邪魔して煮え切らない。 軍事行動はどうなの???という状態。 しかし北朝鮮は実質的にミサイルを連射していて軍事行動の段階に入っています。 現在の状況は戦争状態のようであり、戦争状態ではないとも言えます。非常に微妙な状態です。 こうした中で「ミサイル発射は断固許さない」という日本の意志を何としても貫徹したい。 具体的には敵基地攻撃能力の保有が考えられるわけですが、これは保有に関する議論もまだ本格的に始まっておらず、実現には程遠い。 今すぐ出来る手段を初めよう。 というわけで、北朝鮮から発射されるすべての弾道ミサイルをすべて迎撃しよう。 我が国の領土領海に落下するかどうかは関係なく、すべて迎撃する。 いかなる弾道ミサイルの発射も許さない、というメッセージを伝えるのだ。 北朝鮮がどう反応するかは分からない。 すべて迎撃できるかどうかも分からない。 現在のMDシステムの実地検証にもなるだろう。 口先だけの抗議、効果的でない経済制裁を10年以上続けて北朝鮮を野放しにし続けて来た結果が現在の状況だ。 我が国がこれくらいやっても悪くないだろう。誰も日本を非難する権利は無いはずだ。 写真は懐かしの弾道弾迎撃ミサイル「ナイキ・ゼウス/スパルタン」。
(本文とは関係ありません) (Wikipediaより) |
自衛隊史・戦史
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8月15日という事で、本日は戦争の話です。 この話は1992年〜1993年頃(曖昧で恐縮です)、私が海上自衛官だった頃に聞いたものです。 雨降る横須賀中央駅。季節は秋頃だったような。横須賀で買い物を終えた私は、当時金沢八景駅付近にあったアパートへ帰るためにホームで電車を待っていた。 ホームのベンチにボロボロの衣服をまとったホームレス然とした老人が座っていた。普段なら関わり合いにならぬよう、一定の距離を保つはずだが、その時は違った。 どういうキッカケだったかはよく憶えていない。たしか「オレは戦艦大和を見た事があるぞ・・・」という老人の独語を聞いて、最初は半信半疑で話を聞き始めたと記憶している。 失礼ながら、最初はホームレス老人の世迷言と思いながら、少し小馬鹿にするように話を聞いていた。しかしやがて、その内容の壮絶さに驚き、聞き入ってしまった。史実に基づき自分が質問すると、老人はかなり正確な記憶で答えを返した。 この老人が通りすがりの自分に、何の得も無いのに作り話をするはずがない。この老人の話は事実に違いない。 やがて自分は待っていた列車を何本も見送り、駅のホームで老人の話を聞き入った。 「矢矧」水上特攻、「大和」と共に自分はこの老人から聞いた話を要約整理し、今から15年前の2002年に巨大掲示板「2ちゃんねる」の軍事板の「お前らのジーちゃんの戦争体験」というスレッドに投稿しました。(参照http://mimizun.com/log/2ch/army/1025000169/) 以下はそのスレッドより引用です。 216 :名無し三等兵:02/07/22 19:52 ID:jdMkodLG 私の親戚でもなんでもないジーちゃんの話で申し訳ないのですが・・・。 今から6〜7年前の話です。 その日も私は某横須賀中央駅のホームで京浜急行を待っていました。 ベンチにホームレス風のジーちゃんがおりました。 どんなキッカケだったか覚えていませんが、私はそのジーちゃんの昔話を聞きました。 なかなか興味深い話だったので乗る電車を数本遅らせて聞き入ってしまいました。 ジーちゃんは昭和19年初頭に召集(もしくは志願)され、横須賀海兵団に入隊したそうです。 教育期間を経て、呉警備戦隊の海防艦(第○×号と言っていたが、当方失念)に乗艦。 その海防艦は対馬・朝鮮海峡の警備に当たっていたそうですが、米潜に遭遇する機会はなく、ヒマな日々を過ごしたそうです。乗員も予備召集組が多く、家庭的な雰囲気で、海軍にありがちな陰湿な私的制裁などはほとんど無く、楽な勤務だったそうです。 「あ」号作戦や捷号作戦のウワサも聞こえてきたそうですが、とにかくヒマで楽だったそうです。 そんな戦局とは遊離したジーちゃんの海軍生活が一転したのは、昭和20年に入ってからです。 (つづく) 217 :216:02/07/22 20:26 ID:jdMkodLG >>216(つづき) 昭和20年の新春、ジーちゃんは軍艦「矢矧」乗組みを命ぜられました。 新鋭巡洋艦という事で、嬉しく、誇らしい気持ちだったそうです。 これまで乗っていた海防艦とは比べ物にならない大きなフネと感じたそうです。 配置は前部主砲の横辺りにある銃座の機銃員だったそうです。 海防艦とは打って変わって厳しい毎日だったそうですが、「これぞ海軍」と思ったそうです。 さてやがて4月を迎えます。沖縄に米軍が上陸します。みなさんご存知の通り 天一号作戦が発動されます。上官の話では「沖縄に来襲した米艦隊を撃滅する」という事なので、ジーちゃんも含め、みなヤル気満々だったそうです。 水上特攻という話はまったく無く、悲壮感は皆無だったそうです。 そうしてジーちゃんを乗せた「矢矧」は「大和」や2水戦駆逐艦と共に徳山を出撃しました。 「大和」はたしかに大きなフネでしたが、海防艦時代から見慣れていたので、「矢矧」ほどのインパクトは無かったそうです。 さて天一号作戦の経過はみなさんご存知なので詳述しません。一水兵の立場では作戦の流れを知る術はありませんでした。 ジーちゃんはとにかく戦闘配置下令により持ち場である銃座に就き、指揮官の命令通り雲霞のごとく群がる米艦載機に対して25ミリ機銃を撃ちまくったそうです。 いちばん恐ろしかったのは敵機の攻撃よりも間近で発砲する主砲の爆風だったそうです。 正規では主砲発砲時は警報ブザーが鳴るはずでしたが、その日はブザー無しで発砲する事が多かったそうです。機銃指揮官が真っ赤な顔で「艦橋は俺達を殺す気か!」と怒鳴っていたのが、印象的だったそうです。 ジーちゃんは戦闘中の「大和」やその他水上特攻隊諸艦の姿は覚えていないそうです。 とにかく機銃を撃つのに夢中だったそうです。機銃が過熱のためしばし作動不良になったそうです。撃てなくなると急に心細くなったそうです。 やがて「矢矧」は爆弾や魚雷を受け始めました。そのたびに爆風や衝撃に襲われ、 生きた心地がしなかったそうです。しかし興奮し、無我夢中だったので、あまり怖くはなかったそうです。 (つづく) 218 :216:02/07/22 20:47 ID:jdMkodLG >>217(つづき) 昼過ぎ「矢矧」は魚雷や爆弾の被弾によりフネの行き足が止まりました。 航行中は黒煙が風圧で流されましたが、航行不能になったため、甲板上は煙に包まれ、 息が出来ず死にそうになったそうです。多くの同僚が甲板に倒れ、ジーちゃんの周囲は修羅場と化していたそうです。 沈没しそうだというので、機銃指揮官の命令により海に飛び込んだそうです。何度も溺れそうになっている内に、「矢矧」は沈没していたそうです。ジーちゃんは「矢矧」沈没を見ていないそうです。やがて海中からも衝撃を感じる大爆発を目撃したそうです。 ジーちゃん曰く「あれが大和の沈没だったのかもしれない」だそうです。 ジーちゃんは「大和」の沈没も見ていませんでした。 一緒に海に飛び込んだ同僚が「駆逐艦が助けてくれる」と言っていましたが、周囲に味方駆逐艦は見えなかったそうです。 その後数時間、数人の同僚とまとまって海面を漂っていましたが、やがて味方の駆逐艦が近づいてきたそうです。しかし敵機が攻撃してきたので、すぐに駆逐艦は見えなくなってしまったそうです。 夕刻、米軍の飛行艇(カタリナか?)飛来し、機銃掃射を加えてきたそうです。銃弾は付近に着弾し肝を冷やしたそうですが、ジーちゃんも同僚も被害はありませんでした。 自分たちを見下ろす飛行艇の乗員の顔が今でも忘れられないとの事でした。 全員かなり衰弱していましたが、力尽きる者は居なかったそうです。そして日没直後、再び味方駆逐艦がやってきました。駆逐艦の乗員がジャコップを降ろしてくれたそうですが、手足に力が入らず登るのに苦労したそうです。 とにかく、ジーちゃんは救出されました。 (つづく) 222 :216:02/07/22 21:13 ID:jdMkodLG >>218(つづき) ジーちゃんを救出した駆逐艦は「冬月」でした。衰弱したジーちゃんたちを介抱してくれた「冬月」の乗員の言によれば「作戦中止、佐世保に帰投」だったそうです。ジーちゃんは「負け戦」を自覚したそうです。 翌日「冬月」は佐世保に帰投。ジーちゃんは負傷もしていたので佐世保の海軍病院に収容されたそうです。 その後、ジーちゃんは後遺症に悩まされ、軍務に復帰できませんでした。 やがて夏近くになり、症状も軽くなったジーちゃんは長崎の病院に転院しました。 そして8月9日を迎えます。 昼食近く、突然大きな爆風により病室の窓ガラスがすべて吹き飛びました。原爆投下です。 ジーちゃんは爆風の凄まじさは覚えていますが、閃光やキノコ雲を見た記憶は無いそうです。 爆心地から遠かったので、病院は窓ガラスが吹き飛ぶぐらいの被害で済んだそうです。 しかし夕刻から無残な被爆者がどんどん収容され始め、軍医の命令によりジーちゃんたち動ける患者も看護を手伝ったそうです。残酷な修羅場は「矢矧」でも経験していましたが、非戦闘員まで被害を受けている姿はむごくてたまらなかったそうです。 その後、ジーちゃんの後遺症の件はウヤムヤのまま、9月に復員するまで病院で看護を手伝ったそうです。 戦後は楽しい時期もあったそうですが、ほとんどはツイてない人生だったようで、やがてホームレス同然の生活になってしまったようです。 1時間ほど話を聞き、私はジーちゃんと別れました。 今思えば、もう少し詳しく話を聞けば良かったです。なかなか記憶のしっかりしているジーちゃんだったし・・・。 その後、ジーちゃんの姿は見ていません。 以上はジーちゃんの話を再構成したものです。この話の真偽は分かりません。 とにかくジーちゃんの話をそのまま書いています。もしウソだったらごめんなさい。 でも自分は信じます。あのジーちゃんには今でも元気でいて欲しいです。 長文スマソ。 上述したように、この話が事実なのかそれとも作り話なのかは、現在では確かめようもありません。しかし自分は実話だと信じています。あの老人の話し方に、人を騙そうとか言う意図は感じられなかった。第一、通りすがりの自分を騙して、何の得があるというのだろう。あれから20年以上を経た今日、自分は老人の話を事実だと確信している。 若き日、老人が青春を散らせた二等巡洋艦「矢矧」。この写真は昭和18年12月19日、竣工を目前に控えて佐世保で公試中の「矢矧」。 昭和20年4月6日、「矢矧」は「大和」を護衛する第2水雷戦隊の旗艦として駆逐艦8隻を率いて出撃。翌7日、水上特攻部隊は米軍に発見され激しい空襲に晒された。「大和」に次ぐ大型艦であった「矢矧」は集中的に攻撃された。写真は戦闘開始早々に敵機の魚雷を受けて航行不能となり、標的然の状態で猛烈なる雷爆撃に翻弄される「矢矧」。米軍機より撮影。当時は二十歳そこそこだった件の老人もこの修羅場の中に存在したという事になる。 勇戦奮闘敵わず魚雷6〜7本、爆弾10〜12発を被弾(wikiより)し沈没する「矢矧」。米軍機より撮影。同艦の沈没時刻は諸説あるが、「大和」よりも先に沈没した事は間違いないようだ。若き日の件の老人も海面を漂い駆逐艦の救助を待っていたはずだ。上空には米軍機が乱舞している。 (写真はいずれもWikipediaより) あの横須賀中央駅での束の間の出会いから約四半世紀。ホームレス同然の状況だった老人がその後どうなったのか知る術はない。おそらく御存命の可能性は低いだろう。あの偶然の出会いによって、貴重な戦争体験を話していただき本当に感謝しております。これも何かの運命のような気がする。戦後72年。水上特攻作戦はもちろんの事、すべての戦没者が安らかに眠られん事を祈ります。
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「森友」「加計」「日報」、野党のみならず大部分のマスメディアも加わって、「印象操作」「報道しない自由」「偏向報道」を駆使して倒閣運動の嵐が吹き荒れている。もはや日本のマスメディアはマスメディアの体を成しておらず、左傾化著しい実態は反日政治勢力と言っても過言ではない。 もちろん与党・政権側の対応にも問題はあるが、すでに半年以上も国会を空転させている。事実上容認状態にある北朝鮮の核・ミサイル問題、国家間合意を平然と覆すチンピラ国家同然の南朝鮮、尖閣だけでは飽き足らず津軽海峡までやって来る中共の侵略行為等々、我が国の安全を脅かす問題は事実上放置されている。異常な事態である。 国民も国民である。愚民化が甚だしい。6000億もの税金を投じて建設した豊洲市場への移転を中止した小池新党が都議選で圧勝してしまった。移転せずとも豊洲市場は毎日500万円もの維持管理費が空費されている。これも税金である。小池の移転中止の決定によりどれだけの損失が生じているか。東京五輪開催に開通が間に合わなくなってしまった環状2号線建設の損失は小池のポケットマネーで補填するとでも言うのか? 小池の無駄遣いぶりに比べれば、前都知事舛添の公私混同問題等々による無駄遣いなど本当に微々たるものである。無視しうる金額と言っても良い。これだけの悪政を行っている小池を勝たせてしまったのだ。東京都民は今後そのツケを負わされる事になるだろう。 愚民なのは東京都民だけではない。先日の仙台市市長選挙では反日左翼的性質を持つ人物が勝ってしまった。与党の不甲斐なさもあるが、マスメディアによる偏向報道の影響が大きいだろう。そしてそれを見抜けない有権者の責任も大きい。 与党・政権側にも問題が無いとは言わない。慢心があった事は否定出来ない。森友も加計も日報も場当たり的な対応によって問題を大きくしてしまった。景気回復を庶民が実感として感じていない現状も影響している。ブラック同然で働いているのに所得が上がらない。これを改善する施策を早急に実施しなければ安倍政権は存続出来ないだろう。 他に人がいないというのも残念だが、現状では安倍政権以外に日本を任せられない。裏切り者の石破には失望した。弱腰外務官僚に唯々諾々と従う岸田も総理の器ではない。野党は言うに及ばずである。野党が政権を握ったら共産党入閣の悪夢が実現する。恐るべき事態である。 第一次安倍政権が倒れ、福田、麻生と続き民主党政権。リーマンショック、そして東日本大震災。あの混沌陰鬱とした日々が、いやそれ以上にひどい世相が再来するのか。 そんな中、岡部俊哉陸将が陸幕長を辞した。日報問題の責任を陸上自衛隊の代表として引き受けたという事か。 空挺出身、第1空挺団の小隊長時代(当時2等陸尉、26歳)に起きた日航機墜落事故では初動の段階から現場へ降下し、地獄のような任務を遂行した。任務を終え習志野に戻った後も、しばらく凄惨な現場が頭から離れず苦悩したという。第28普通科連隊長、第1空挺団長、西方幕僚副長、第6師団長、防大幹事、統幕副長、北方総監等々要職を歴任し、空挺作戦から大規模火力戦闘まで精通した三十余年の経歴がこのようにして終わってしまうのは本当に残念である。 |
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忙しいので今日も手短に。 年末という事で「今年の10大ニュース」とかが出て来るとは思いますが、自分にとっての10大ニュースに入るのはこの事故です。 4月6日、航空自衛隊・飛行点検隊のU-125飛行点検機「49-3043」が鹿児島県鹿屋市の山中に墜落。乗員6名全員が亡くなりました。 直後に熊本地震が起きたため、世間からはすぐに忘れ去られてしまいました。 6名の乗員のご冥福をお祈りいたします。 さようなら「49-3043」。
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九州地方の一連の地震の被害に遭われた皆様お見舞い申し上げます。 今回の一連の地震は活発な前震活動から始まり、続いて本震(今のところ)が発生、さらに余震が続いています。今後さらに大きな地震が起きれば、そちらが新たな本震となるわけで、このような地震活動は地震国の我が国においても珍しい例ではないかと思われます。 群馬県高崎市に住む自分は現段階では地震の直接的な影響は受けてはいませんが、決して他人事ではありません。自分の職業においても、このような災害への対応は常に課題となっており、2年前の雪害では事実大きな影響を受けました。 (雪害参照http://blogs.yahoo.co.jp/sac_murakumo/56052612.html) さて、地震情報を聴きつつも本日は貴重な晴天の休日であったため、予定通り桜撮影に行って来ました。 その帰路、国道17号を走っていたら被災地に派遣されると思われる陸上自衛隊・第12旅団の車両に遭遇しました。統合任務部隊編成に伴い、全国規模で災害派遣が行われています。陸上自衛隊FBを見ると事実第12旅団各部隊が出動している様子が紹介されています。 関越自動車道・前橋IC付近で撮影した第12後方支援隊(新町駐屯地)の車両。 同じく国道17号で撮影した第12通信隊(相馬原駐屯地)の車両。この直前には撮影し損じましたが野外通信システム関連機材を載せた車両にも遭遇しました。 |






