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前回記事↓の続きです。 (http://blogs.yahoo.co.jp/sac_murakumo/56596126.html) 2014年11月22日旧東海道を川崎の六郷橋からテクテク歩いています。「鶴見川橋」にて鶴見川を渡って横浜市鶴見区鶴見中央に入りました。旧東海道は現在は横浜市道市場鶴見線7088号として進みます。通称「鶴見東口駅前通り」。 鶴見川橋を渡ってすぐ左側に「鶴見橋関門旧跡」があります。 「武州橘樹郡鶴見村三家」とあります。鶴見橋関門は横浜開港後、外国人警護のために次々に設けられた関門のひとつです。 幕府が外国人警護にいかに腐心したかが窺い知れます。そしてこれから、私も外国人殺傷事件の象徴的現場に向かう事になります。 小春日和(というか暑い)の旧街道を歩きます。人通りは多いものの、静かな通りです。しかし江戸時代末期、この界隈は横浜開港で急増する外国人と、それを苦々しく見つめる尊皇攘夷の志士たちで一触即発の緊迫感に漲っていたのでありましょう。 関門跡からちょっと歩いた右側に「鯉ヶ渕公園」がありますが、その傍らに「寺尾稲荷道道標」(複製)が建っています。 ここを右折して現在の市道下末吉356号線に入ると旧寺尾稲荷道となります。鶴見区馬場三丁目にある馬場稲荷社(旧寺尾稲荷社)への参詣道として賑わったそうです。また大山道など他街道へのアクセス道としても機能していたようです。 鯉ヶ渕公園の隣には「横浜市鶴見図書館」。ここにも史跡案内がありました。 川崎宿から神奈川宿辺りまでが描かれています。 「鶴見図書館前交差点」 この辺りで妻から「そろそろ用事が終わる」というメールが。先を急がねば。 「鶴見駅東口入口交差点」。主要地方道である神奈川県道14号(鶴見溝ノ口線)と交差します。 ここから旧東海道は市道東寺尾168号線に変わります。ここですぐに右折して市道東寺尾169号線に入ります。その先には・・・。 「鶴見神社」。創建は推古天皇の時代(7世紀初め)だそうです。何かお祭りをやっていました。時間の関係でこの1枚を撮って離脱したので撮影時は分かりませんでしたが、この日(11月22日)は「二の酉」に当たります。大鳥祭か23日に予定されていた新嘗祭だったかもしれません。 さて、市道東寺尾168号線に戻って旧東海道は大きく左ターン。 このカーブの左側にその名も「信楽茶屋」というラーメン屋さんがあります。 ここに「信楽茶屋」という鶴見村でもっとも大きな茶店がありました。 さらに進むと・・・。 旧東海道は京急鶴見駅と神奈川県道104号(鶴見停車場線)に分断されます。 右を見るとJR鶴見駅があります。 京急線の向こう側に向かいます。 京急線の向こう側に沿って旧東海道が復活。市道東寺尾241号線として進みます。 この通りはとても賑やか。空腹なのでいろいろ誘惑されます。腹減った!朝から何も食べていない! 本町通りと旧東海道の交差点辺りまで来たところで、妻から「用事が済んだので某所で待っている」とのメールが。生麦まで進んで、こっそり穴子丼でも食べようという企みは御破算、無念! で、ちょっと旧東海道から外れて鶴見の老舗の喫茶店「クリッパー」さんへ。ここで妻と合流。 暑いし疲れたのでアイスコーヒーを。美味しい!妻はツナサンドなどを食べて食事を済ませています。どうしよう。自分もここで何か食べようか。それとも・・・。まだ生麦に未練が残る私であります。 結局、アイスコーヒーだけ飲んで東海道歩きを再開。ここからは妻も同伴です。市道鶴見生麦線7087号として進みます。 商店街が終わって、静かな住宅街。海が近いので潮の香りがします。 しばらく歩くと旧東海道は国道15号(第一京浜国道)と交差します。「下野谷町入口交差点」です。 川崎方面。 横浜方面。この道は箱根駅伝が通過する道ですね。 市道鶴見生麦線7087号、すなわち旧東海道は斜めに国道を横切り、生麦の界隈に入って行きます(まだ鶴見区鶴見中央ですが)。 さらに静かな住宅街。 あちこちに「生麦旧東海道まつり」のポスターが。この日は11月22日。祭りは翌日なんだよねえ・・・。残念。 鶴見線のガードが見えて来ました。 鶴見線の「旧国道跨道橋」。その下には・・・。 昭和レトロの佇まいを残すJR国道駅。この駅については別記事でいろいろ書いています。 (国道駅参照http://blogs.yahoo.co.jp/sac_murakumo/56401957.html) 鶴見線を過ぎると鶴見区生麦へ。この辺で穴子丼とか海鮮系を食べようと思っていたのに・・・。 自分「この辺で食べない?」 妻「さっき食べたばっかり。食べられない。あなた一人で食べれば」 自分「・・・」 というわけで食事は断念。 この辺りは「魚河岸通り」とも呼ばれ、海産物を扱うお店が軒を連ねています。江戸時代、生麦は将軍に献上する魚介類を獲る「御菜八ヶ浦」のひとつとして優遇されました。 「浄土宗慶岸寺」。本能寺の変の前年に当たる天正9年に開山しました。戦災で灰燼に帰し、戦後再建されたそうです。 卸や小売の鮮魚店が並んでいます。すでに時間は午後1時過ぎ。どこも商売を終えて店仕舞いしています。 魚介類を詰めていたケースが山積みになっています。 テクテクひたすら歩きます。 何だか揚げ物が美味しそう。腹減った。 「真言宗正泉寺」。寛永元年(1624年)開創だそうです。 その向かいには「道念稲荷神社」。創建年代は不明だそうです。 当社に伝わる祭事「蛇も蚊も」。 鮮やかな参道。 鮮魚店も見られなくなり、ほぼ完全に住宅街となります。 生麦3丁目と4丁目の境に来ました。右側の個人宅の壁に案内板が設けられています。今日、一番来て見たかった場所に着きました! 「生麦事件発生現場」。幕末の重大事件がここで起きました。薩英戦争の原因となっただけでなく、その後の我が国の歴史にも計り知れない影響を及ぼした事件と言えます。文久2年(1862年)、卒兵上京を行って幕府に「文久の改革」を迫った島津久光の一行は京都へ向かうため8月21日に江戸を出発、生麦村の当地において騎馬にて遊行中の英国人4名と遭遇。行列を犯されたと判断した薩摩藩士は英国人を排除するため次々と一撃を浴びせました。 英国人4名の内3名が深手を負い、死に物狂いで来た道を引き返し、横浜方面へ逃走を図りました。薩摩藩士たちは駆け足で騎馬の英国人を追撃します。阿鼻叫喚騒然とした状況だったと想像されます。 事件現場からちょっと進むと主要地方道である東京都道・神奈川県道6号(東京大師横浜線)と交差します。通称「鶴見産業道路」。 右折方向。すぐに国道15号(第一京浜国道)と接続します。 交差点を越えてさらに旧東海道を進みます。 大規模な高速道路の工事が行われています。 「横浜環状北線」の工事現場です。 その傍らに建つ「生麦事件碑」。 明治16年に建てられた「遭難碑」。 説明板。 参考館の案内。時間が無かったので行けなかった・・・! 本来、英国人リチャードソンが落命した場所にこの碑は建っていましたが、横浜環状北線の工事に伴い現在地に一時的に移設(江戸寄り)されています。 150年余り前、薩摩藩士が英国人を追撃した道です。 そこでは現在、巨大な高速道路が建設されています。「隔世の感」とは、まさにこの事でしょう。 やがて旧東海道は再び国道15号と遭遇します。先ほどの遭難碑は、本来この辺りに建っていました。深手を負った英国人3名の内、致命傷を受けたチャールズ・リチャードソンはここでついに落馬、追撃して来た薩摩藩士に止めを刺されました。「もはや助からないであろう」という介錯のつもりでしたが、外国人には残虐行為と受け取られ、事態をさらに難しいものとしました。イギリス代理公使ジョン・ニール中佐の冷静な対応が無ければ、即時に全面戦争へとつながったでしょう。まあ、結局は翌年の1863年に薩英戦争が起きるわけですが・・・。 さて、歴史の現場に遭遇して感慨ひとしおの私でありますが、すでに時間は午後2時。旧神奈川宿まで行きたかったのですが、時間切れ。 JR新子安駅にて京浜東北線に乗り撤収しました。 本記事の経路。今回は地図3枚に分けます。 |
旧街道めぐり
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前回記事↓の続きです。 (http://blogs.yahoo.co.jp/sac_murakumo/56595544.html) 2014年11月22日旧東海道の川崎宿を歩いています。六郷橋から900mほど歩いて「砂子交差点」に達しました。交差点を渡ると旧東海道は市道砂子12号線に変わります。通称「いさご通り」。 本当にあちこちに史跡案内板がある。すごい。 商業ビルの立ち並ぶ道路からは、旧街道の風情は見受けられません。左側に見えるのが川崎信用金庫本店。シャッターには宿場の浮世絵が描かれており、気合が入っています。 この辺りに「佐藤本陣(通称「上の本陣」)」がありました。本陣の案内板は撮り忘れました。「佐藤惣之助生誕の地」の碑のみ撮っています。 詩人、作詞家として活躍した佐藤惣之助の碑です。 さらに砂子12号線を進みます。暑い!まるで夏。 「砂子二丁目交差点」。右折方向は市道砂子19号線、左折方向は砂子20号線。 ちょっと歩いて「小土呂橋交差点」に達します。 逆光が強烈。「旧東海道」アピールも強烈。 一般県道である県道101号(扇町川崎停車場線)と交差します。ここにかつて新川堀という用水路が流れており、小土呂橋という橋が架かっていたそうです。 橋の親柱が保存されています。すごい。 昭和6年撮影の「小土呂橋」。同じ場所とは思えない・・・。 交差点を渡ると川崎市川崎区砂子から川崎市川崎区小川町へ。旧東海道は市道小川町3号線に変わります。 この辺りは飲食店が多い。朝から何も食べていない。腹減った・・・。 次第に人通りが閑散となりました。 ひたすら歩きます。 「三井のリパーク・川崎小川町第4駐車場」 ここに「川崎宿京入口」がありました。川崎宿の京都側の出入口です。幕末には外国人警護のため、第一関門が設けられたそうです。 ここにはその日に宿場に泊る大名の関札が掲げられたそうです。今も複製品が掲げられています。 史跡案内板 人通りは少ないが、飲食店は多い。あちこちからいい匂いが・・・。 「川崎警察署東側入口交差点」 一般都県道である神奈川県道・東京都道140号(川崎町田線)と交差します。 左折方向へ200m進むと元木交差点で国道15号(第一京浜国道)に接続します。川崎町田線は同交差点が起点です。 右折方向。 交差点を渡ると川崎市川崎区小川町から川崎市川崎区日進町へ。旧東海道は市道日進町下並木線として進みます。 「川崎小学校交差点」 「馬嶋病院」 この病院の一角に「芭蕉ポケットパーク」という休憩所があります。 自販機 その裏側には芭蕉の門弟22人の句が書かれています。 川崎宿の絵地図も描かれています。 馬嶋病院の隣には川崎警察署があります。意外に閑散とした場所にあります。まあ、かつては国道だったわけですが。 川崎警察署を過ぎると、東海道は京浜急行の線路に分断されます。旧川崎宿の町並みはこの辺で終わったそうです。 線路に接する地点に「芭蕉の句碑」があります。 「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」。元禄7年(1694年)、伊賀上野へ旅立つ芭蕉は、ここで見送りの弟子達と別れを惜しみました。同年芭蕉は大阪で亡くなり、ここでの別れが今生の別れとなりました。 句碑の近くには京浜急行の八丁畷駅があります。線路で分断された旧東海道は、手前の踏切(「京急川崎第1踏切」)を渡って進みます。 踏切を渡ったところ。 列車通過中。 さらに市道日進町下並木線を進みます。 駅前マンションの敷地も東海道アピール。 八丁畷駅の跨線橋の階段脇に「慰霊塔」があります。 災害等で犠牲になった無数の身元不明者がここに埋葬されたそうで、たびたび数多くの人骨が発掘されるそうです。 合掌。 慰霊塔を過ぎると、「旧国道架道橋」の下を通ります。JR南武線が通っています。 マンションや住宅が並ぶ静かな町並みとなります。川崎市川崎区日進町から川崎市川崎区下並木へ。 個人宅にあった私設と思しき道標。気合が入っています。 あちこちに案内があって本当に助かる。 もうすぐ川崎市から出ます。 「市場上町交差点」。横浜市道市場38号線と交差します。この道路が川崎市と横浜市の境界です。 横浜市鶴見区市場上町に入りました。東海道は市道市場鶴見線7088号として進みます。川崎宿から旧市場村までは田畑の中を真っすぐ貫く一本道だったので、「八丁畷」と言われたそうです。 閑静な住宅街。撮影時は衆院選を控えていたので、選挙カーの轟音以外は本当に静かな町並みでした。 市場東中町に入ると右側に熊野神社があります。 弘仁年間(平安時代)頃の創祀と言われています。明治5年に東海道本線敷設に伴い、当地に遷されたそうです。この辺りは海産物や塩の収穫に恵まれ、戦国時代の天文年間には魚介の市が開かれました。こうした自然の恵みを人々は「熊野権現の加護」によるものとし、当社を厚く崇敬したと言われています。いつしか当地は市に因んで「市場村」と呼ばれるようになったそうです。 静かな商店街を進みます。 市場西中町へ入って行きます。 市場一里塚(左側)に到着。 「市場一里塚」。日本橋より5番目の一里塚。すなわち日本橋より五里というわけです。 昭和8年(1933年)に建てられた「武州橘樹郡市場村一里塚」の碑。 横浜市地域文化財だそうです。 おばあさんに「街道歩きですか。お疲れ様ですね」と声を掛けていただきました。嬉しいですねえ。 市場下町に入って行きます。 個人宅の一角にある庚申堂。 宝暦4年(1754年)建立の青面金剛像。道路マニアに転向して数多くの庚申塔を目にするようになりましたが、ちゃんとお祈りをする機会は少ないです。 庚申堂のすぐ近くには「下町稲荷」があります。 そしてさらに進むと「光明山金剛寺」があります。創建年代不明だそうで、かなり古そうです。 金剛寺を過ぎると鶴見川橋が見えて来ます。 「鶴見川橋」(1996年12月竣功)。昭和28年完成の旧橋に代わって架けられました。 鶴見川は「暴れ川」として知られ、水害を繰り返してきたそうです。耐震工事も進められています。 上流側を見る。東海道本線や横須賀線、京浜東北線が通っています。 ちょっとボロボロなのが残念な案内板。鶴見川は流域の形状が動物のバクに似ていることから、バクがマスコットに採用されているそうです。 車の通りも少なく、散歩をしている人が多い。海が近いせいか、どことなく潮の匂いが。 下流側には「鶴見ポンプ場汚水圧送管橋」が架かっています。向こうには京浜急行が通っています。 鶴見川橋を渡ると鶴見区鶴見中央に入ります。この時点で正午過ぎ。 本記事の経路。今回は地図2枚に分けます。 |
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