人々の群れを見たイエズスは、山に登ってお座りになり、 口を開いて、彼らにこうお教えになられた。。。 『霊の貧しさにある人は、幸いである。 天の国は、彼らのものだからである。 悲しむ人は、幸いである。 彼らは慰めを受けるからである。 柔和な人は、幸いである。 彼らは地を受け継ぐからである。 正義に飢え渇く人は、幸いである。 彼らは飽かされるからである。 憐れみ深い人は、幸いである。 彼らも憐れみを受けるからである。 心の清らかな人は、幸いである。 彼らは神を見るからである。 平和のために働く人は、幸いである。 彼らは神の子と呼ばれるからである。 正義のために迫害を耐え忍ぶ人は、幸いである。 天の国は、彼らのものだからである。 私のために、 人々があなたたちを罵倒し、 あるいは責め立て、 あるいは数々の讒言をする時、 あなたたちは幸いである。 その際には、大いに喜び踊りなさい。 天におけるあなたたちの報いは、大きくなるからである。 実に、あなたたちの前にあった預言者たちも、同じように迫害されたのである。 これは、山上の説教の至福八端(真福八端)と呼ばれる教えで、 地上における苦しみ等が、天上での報いと喜び、真の幸いにつながり、 永遠の至福をもたらす価値あるものであることを、私たちに啓示するものです。 人が、この世の苦しみを通って、天国の幸いに到達することを教えています。 この教えは、天国での栄光を与えるだけでなく、 この世の苦しみを乗り越える力をもたらし、 現世において、永遠の至福の前味わいとして、 心の平和と、内的充足をもたらします。 苦しみのうちにあっても、神に感謝を捧げるようになります。 Beati pauperes spiritu, quoniam ipsorum est regnum caelorum. 霊の貧しさにある人(心の貧しい人)は、 財産・金銭等への執着心を持たず、 財産を有する時には、それらを正しく用いて、 財産の少ない時には、過剰なまでに求めず、 財産を失った時には、それを耐え忍ぶことの出来る人のことです。 Beati, qui lugent, quoniam ipsi consolabuntur. 悲しむ人は、 自分に降りかかる苦難を耐え忍び、 この世における罪・悪・中傷等を見て、心を痛め、 天国への道は険しいことを知り、それを失うことを嘆き悲しむ人のことです。 Beati mites, quoniam ipsi possidebunt terram. 柔和な人は、 他者に優しく接して、 他者の欠点や侮辱を耐え忍び、 ののしりや侮辱で返さず、 不平をこぼさず、恨みを抱かず、復讐しない人のことです。 Beati, qui esuriunt et sitiunt iustitiam, quoniam ipsi saturabuntur. 正義に飢え渇く人は、 神の恵みをいつも望み、 善業・諸善徳の実践に、いつも成長することを心掛ける人のことです。 Beati misericordes, quia ipsi misericordiam consequentur. 憐れみ深い人は、 神を愛し、 神のために他者を愛し、 他者の悲しみを自分のことのように考え、 霊的欠乏、物質的困窮にある人々を憐れみ、 自分の能力、地位、財力に応じて、援助を惜しまない人のことです。 Beati mundo corde, quoniam ipsi Deum videbunt. 心の清らかな人は、 罪を、最大の悪として嫌悪し、 目や耳などの感覚、五官を慎み、 神の恵みのうちに清らかな生活を送り、 特に、貞潔に反する罪を、徹底して避ける人のことです。 Beati pacifici, quoniam filii Dei vocabuntur. 平和のために働く人は、 自身の心の平和を保ち、 他者との平和な関係を保ち、 敵対者同士を和解させるように努める人のことです。 Beati, qui persecutionem patiuntur propter iustitiam,quoniam ipsorum est regnum caelorum.
正義のために迫害を耐え忍ぶ人は、 信仰や、主イエズス・キリストの教えのゆえに、 侮辱や冒瀆、迫害等を、 神への愛と霊魂の救いのために、 主イエズスの御受難に心を合わせて、耐え忍ぶ人のことです。 |
新約書庫(◕‿◕✿)
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悪そのものは、善を望んでそうしているのではなく、あくまでも〜シャレではありませんが。。。〜悪を追求しています。
2007/3/30(金) 午前 0:26
しかしながら悪ですら、善に仕えるものとなっているのです。なぜなら悪は、善を一層際立たせるからです。
2007/3/30(金) 午前 0:27
これが、神が悪をお許しになる理由です。実際、善の起こりえない悪は、神が決してお許しにはなりません。
2007/3/30(金) 午前 0:28
これが神のいつくしみ深い配慮であり、私たちの知恵でこれを極め尽くすことは到底できません。人間には限界がありますが、神には限界がなく、全知全能だからです。
2007/3/30(金) 午前 0:28
この神が、私たちのお父さんであることほど、心強いことはありません。ですから何事においても、神に信頼することには、十分過ぎるほどの根拠があるのです(。ฺ◕‿◕ฺ。)ノ☆・゜:*
2007/3/30(金) 午前 0:29
ですから、ご安心ください。あなたの労苦は、いずれ報われます。『涙のうちに種を蒔く人は、喜びのうちに刈り取る』との、神の御言葉にあるとおりです✿ฺ♬ε(◕‿◕✿ฺ)з
2007/3/30(金) 午前 0:32
ないしょさん、ありがとうございます♪たとえ今そぅであろぅとも、あなたが心から望むなら、柔和な人になれます。
2007/4/1(日) 午後 10:51
そのためには、神の恩寵の助けが必要ですから、お祈りください。『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているかをわかっていないからです』と。
2007/4/1(日) 午後 10:52
自愛心をほふることで、あなたは新たな自分、心の寛大さを身にまとう自分を見出すでしょう。
2007/4/1(日) 午後 10:53
そのためには涙も出るでしょうが、あなたの愛は、それによって清められるのです。
2007/4/1(日) 午後 10:54
復讐を望むのではなく、赦しの愛で、それに打ち克ってください。裁きは神に委ねてください。神が適切に裁かれるからです。
2007/4/1(日) 午後 10:54
あなたが人を赦す度合いに応じて、あなたに報いがあります。ですから、赦してあげてください。あなたが人を赦せば赦すほど、あなたの受ける報いは、それに応じて大きく豊かになります。
2007/4/1(日) 午後 10:56
これは、あなたの愛が清められ、報いが豊かに得られるための大きな機会ですから、ぜひ、このようにしてください(。ฺ◕‿◕ฺ。)ノ☆・゜:*
2007/4/1(日) 午後 10:57
ないしょさん、ありがとうございます♪そぅですねっ。祈りをしてゆくことで、心の寛大さが与えられます。前向きなキモチを大切に、これからも歩んでいってくださいねっ(。ฺ◕‿◕ฺ。)ノ☆・゜:*
2007/4/2(月) 午後 2:12
俗に言う「山上の垂訓」ですね。私も好きな箇所です。
でも、一番好きなのは、「野の花をみよ}の所です。
2008/1/4(金) 午前 2:33
こちらに出会って、眠る前に言葉に耳を傾けています。
今日は、マタイ伝の「私が来たのは羊に命を得させ・・・」を思い
讃美歌の『慈しみ深きイエスは』を思い出しました。
罪は消すことは出来ませんが、信じることと祈りによって心が安らかになりますように。
2008/7/5(土) 午前 2:58
慈しみ深き友なるイエスは、罪徒が憂いを取り去り給う。
心の嘆きをつつまづ述べて罪徒が憂いを導き給う。
大好きな聖歌です。
心からやすらかになります。
2008/7/17(木) 午前 2:44
山上の垂訓ですね。。。
2008/10/13(月) 午後 8:40
今の私の状況を考えると、この聖書を読んで涙があふれてきました・・・
娘のことです。初孫は、洗礼を受けてるんですが、娘はバツ2と
なり、今3回目の結婚をし、妊娠8ヶ月です。
昨日、その孫、ミーちゃんを教会に連れて行って、神父様に相談
しました。娘は、2回の離婚によって、カトリックに対し、今、
貝のように心を閉ざしています。
ミーちゃんだけは、洗礼を受けています。
私は、この子に、ご聖体を受けさせてやりたいのです!!!
本人もそれを望んでいます。
でも、娘は貝のように心を閉ざし、私を拒否します・・・
だから、涙が出てくるのです・・・
この聖書、印刷させていただきました。
☆ポチです♪
2010/5/2(日) 午後 3:38 [ runrun ]
聖書を読んだだけでは、感動してもよく理解する
ことが難しい箇所だったので、詳しく解説して
くださってありがとうございます
ナイスは以前非公開で押していましたので、もう
押せません
コメント内で ナイス!☆
2013/1/16(水) 午前 1:20