私たちの主イエズス・キリストは、今日、天に昇られました。
私たちの心も、主と共に昇るようにしましょう。
使徒パウロの言葉を聞きましょう。
『あなたたちは、キリストと共に復活させていただいたのですから、
上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが神の右に座しておられます。
上にあるものに心を向けなさい。地上のものにとらわれてはなりません』(コロサイ3.1,2)
主が昇天されても、私たちから遠く離れてしまわれたわけではないように、
体についての私たちへの約束がいまだ実現していないにせよ、
私たちは既に、主と共に天にいるのです。
キリストは、既に天上に高められています。
しかしながら、私たちキリストの神秘体の肢体が耐え忍ぶ全ての事柄を、
キリストは地上で耐え忍んでおられます。
主はこのことを、天からの叫びをもって表明されました。
『サウル、サウルよ、なぜ私を迫害するのか?』(使徒行録9.4)
また主は仰せになりました。
『あなたたちは、私が飢えていた時、食べさせてくれたのだ』(マテオ25.35)
それ故私たちは、信仰、希望、愛徳に満ちて、主と共に結ばれ、
既に主と共に天上の憩いを味わいつつ、
地上の労苦を耐え忍ぼうではありませんか。
主は天上にありながらも、私たちと共におられ、
私たちはここにいながらにして、主と共にいるのです。
実に主は、その神性と力と愛によって、私たちと共におられます。
私たちは神性をもちあわせないので、それによって主と共に天上にいるわけではなく、
愛によってそこにいることができるのです。
ただ、それはキリストへの愛でなければなりません。
主は、私たちのところに降って来られた時、天を去ったわけではなく、
再び天に昇られた時も、私たちから遠く離れたわけではありません。
天におられたことについては、地上におられた時のご自身の証言があります。
『天から降ってきた者、すなわち天にいる人の子の他に、天に昇った者は誰もいない』
キリストが、私たちのために人の子となり、
私たちがキリストのゆえに神の子となったという理由で、
私たちはキリストと1つのものになっています。
憐れみのために天から降り、また昇られたのがキリストだけでありながらも、
私たちも、恩寵によって、キリストのうちに天に昇るのです。
こうして、キリストのほかに降ったものもなく、
キリストのほかに昇ったものもいないのです。
これは、頭と一体となった体が、頭から切り離されることがない、という意味です。
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<カトリック入門の本より:聖霊の大いなる、たまもの>
愛は寛容であり親切です、愛はねたまず誇らず、たかぶらず無礼な
振る舞いをしません。
自分の利益を求めず気短かではなく、人の悪を根に持たず不正を
喜ばず、真理と共に喜びます。
又、全てを覆い全てを信じ全てを望み全てを耐え忍びます。
愛は決して尽きることが、ありません*****
このうち最も大いなるものは愛です、神の愛を求めましょう。
私はお友達にルルドで買ってきてくれた十字架で祈りの友と言う
<女子パウロ会>で贈られてきたお祈りの本を1日2回祈ってます
又〜讃美の力と言う本なども、おすすめです**yuly**
2007/6/19(火) 午後 2:15 [ ショコラ ]