神は、人間をご自分にかたどって創造し、親しい交わりを結ばれました。
人間が、霊的被造物として、この親しい交わりを生きられるのは、
ただ、神に服従することによってであり、
これを表わすのが、善悪の知識の木からは決して食べてはならない、という禁止です。
創世記における『善悪の知識の木』は、
被造物としての人間が、信頼のうちに自由に認めるべき『限界』、
尊重しなければならない超えがたい『限界』を、象徴的に表わしています。
人間は、創造主に従属するものであり、
創造の法則と、自由意志の行使を規制する道徳的規範に従うべきものだからです。
神は、その子供が誤りに陥らないよう、あらかじめ注意を呼びかける親のようであり、
人間は、その注意に対して、自発的(自由)に信頼を込めて言いつけを守るか、
それとも、それを無視して自分の思うまま(自由)に突き進もうとする子供のようです。
悪魔に誘惑された人間は、
創造主への信頼を心の中で失い、自由意志を濫用して、
神のおきてに背きました。
これが、人間の最初の罪です。
その後の全ての罪は、
神への不従順、神のいつくしみへの信頼の欠如なのです。
この『罪』をもって、
人間は自分自身を神よりも優先させ、
まさにそのことによって、神を軽んじました。
つまり、人間は神に逆らい、被造物として要求されることに逆らい、
もって自分自身の善に反して、自我を優先させたのです。
聖性の状態に置かれた人間は、
神によって、栄光のうちに完全に、神化されるはずでした。
しかし人間は、神化を妬んだ悪魔の誘惑に従い、
神抜きで、神に先立ち、神に従わずに、「神のようになろう」としました。
聖書は、この最初の不従順の悲劇的な結末を示しています。
アダムとイヴは、直ちに原初の聖性の恩寵を失いました。
2人は、神がご自分の特権だけを守ることに執着しておられると誤解して、神を恐れます。
原初の義のおかげで維持されていた調和は破れ、
肉体に対する霊魂の制御力は弱められました。
男と女の緊密な交わりには摩擦が生じ、
両者の関係は、欲望と支配に左右されます。
被造界との調和も断ち切られ、
見える被造界は、人間にとってなじみのない、敵意あるものとなってしまいました。
人間の罪のゆえに、被造界は腐敗に隷属するようになります。
ついに、不従順の場合はこうなると明白に告げられた結末、
すなわち、人間はそこからとられた塵に返るということが、現実のものとなります。
つまり、『死』が人類の中に入ります。
この最初の罪以来、罪が世界中に蔓延します。
カインによるアベルの兄弟殺し、
罪に基づく全世界的な堕落などを挙げることができます。
イスラエルの歴史の中でも、罪は頻繁に、
特に契約の神への不忠実、モーゼの律法に対する違反として現れます。
キリストの贖いの業の後でも、
キリスト者の間で、数限りなく現れています。
全ての人は、アダムの罪に巻き込まれています。
人間を抑圧するはかりしれない悲惨と、人間の悪への傾き、死すべき運命の由来は、
アダムの罪及びアダムが私たち全てに伝えたという事実との関連なしには理解できません。
その罪とは、人が生まれながらに担っている罪、
すなわち『霊魂の死』です。
信仰に基づくこの確信によって、
教会は、自分で罪を犯したことのない幼児にさえ、
罪が赦されるために洗礼を授けます。(幼児洗礼)
人類全体は、
アダムのうちに『ただひとりの人間の1つのからだのように』存在しています。
故に全ての人間は、
この人類はただ1つであることにより、
キリストの義に結ばれているのと同様に、
アダムの罪に巻き込まれているのです。
原罪が子孫に伝わっていくということは、
私たちには十分に理解できない神秘です。
しかし私たちは、アダムが原初の義と聖性を、自分1人のためだけでなく、
全ての人間のために受けたことを、啓示によって知っています。
誘惑者に負けたアダムとイヴは、個人としての罪を犯しましたが、
この罪は、人間本性を傷つけ、その本性が堕罪の状態で子孫に伝わります。
この罪は、生殖によって全ての人間に伝達されますが、
それは原初の義と聖性を喪失した人間の本性が伝達されることに他なりません。
このため原罪は、類比的な意味で罪と呼ばれているのです。
原罪。。。
それはうつされた罪であって、犯した罪ではなく、
状態であって、行為ではありません。
原罪。。。
それは原初の義と聖性の欠如です。
原罪によって、人間本性が全面的に腐敗したわけではありません。
人間本性の、本来の固有な能力が傷つき、
無知と苦しみと死に支配されるようになり、
罪への傾き(情欲)を持つようになりました。
洗礼は、
キリストの超自然の恩寵の生命を与えて、
原罪を拭い去り、
人間を神に向けさせます。
しかしながら、原罪の影響〜人間本性を弱め、悪への傾きを持たせた〜は、
人間のうちに依然として存在し、霊的戦いを促します。
人間は自由を失ってはいませんが、人祖の罪の結果、
悪魔にある程度支配されるようになりました。
原罪は、人類に罪の束縛〜奴隷状態〜をもたらし、
『死の国』を所有する悪魔の権力下に人類を服させました。
それゆえ、人間本性が傷つき、悪に傾いている事実を無視することは、
教育、政治、社会活動、道徳の分野で、重大な過ちを生じさせます。
原罪と全ての人が犯す罪の結果は、
世界全体を罪の泥沼に陥れています。
これが、聖ヨハネのいう『世の罪』(ヨハネ1.29)です。
暗闇の権力に対する苦しい戦いは、人間の歴史全体に行き渡っています。
それは世の初めから開始されたものであり、
主が仰せになるとおり、最後の日まで続きます。
人間は、この戦い〜善と悪の道徳的戦い〜に巻き込まれているので、
悪への傾きを自己のうちに有している以上、
善の側につくためには、常に戦わなければならず、
神の恩寵の助けと、自己の大いなる努力なしには、
善における自己の統一を確立することはできません。
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