生きる信仰は、どのような印によって見分けられるだろうか。それは、善徳における堅忍によってであり、いかなることがあろうとも後ろを振り返らないことによってであり、いかなる理由であろうとも、聖なる祈りを放棄しないことによってである。
事実、悪魔はしばしば、霊魂が祈らない時よりもむしろ、祈りのために定められた時間を狙い、これを攻撃し、これを悩まし、聖なる祈りに対しての嫌悪感を抱かせようとする。
そしてしばしば、「この祈りなどお前には何の役にも立たない。それは、祈りの間、お前はお前が口にすること以外に、何も考えてはならないし、何も心に留めてはならないからだ」と囁きかける。
悪魔がこのような考えを起こさせるのは、霊魂に嫌気を起こさせ、その精神を混乱させ、祈りの聖務を放棄させるためである。
そのように仕向けるのは、祈りが武器だからである。また、霊魂が、これを愛の手と自由意思の腕で握り持ち、至聖なる信仰の光に導かれて立ち向かうならば、全ての敵を追い祓うことができるからである。
霊魂は、謙遜かつ忠実で絶え間ない祈りに兼任することによって、あらゆる善徳を獲得することができるのである。
それ故、堅忍しなければならない。悪魔の欺瞞によっても、自分自身の弱さによっても、すなわち自分の肉の中に起こる思いや衝動によっても、また、悪魔が霊魂に祈りをやめさせるために、しばしば被造物の口に語らせる言い掛かりによっても、決してこれをやめてはならない。
これら全てを、堅忍の徳によって克服しなければならない。
霊魂は、諸善徳の母であるこの祈りの実行を、勇気を奮い起こして励まなければならない。
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「霊魂は、諸善徳の母である」と理解して、よろしいのでしょうか。
2006/10/7(土) 午前 7:08
祈りの実行が、諸善徳の母です ☆[諸善徳の母であるこの祈りの実行]を、霊魂が「勇気を奮い起こして励まなければならない」という意味合いでご理解くださいませ o(^-'o)♪
2006/10/7(土) 午前 9:54
昔悪魔の夢を見たことがあります。とっても怖かったです。 本当にいるとしたら、怖い;;
2006/10/7(土) 午後 8:59 [ gxn*c*42 ]
天使もいるし悪魔もいるので、じゃぁ本当に怖いですねっ((((;´・ω・`)))弓花さん、とっても怖かったでしょうね・・でも夢ならまだ良い方ですよ☆実体験として味わえば、恐怖に加えて「死と闇」を感じます☆
2006/10/8(日) 午前 7:09