第1戒では、唯一の神を最高の主と認め、崇め、愛し、仕えるよう命じられています。 ここには、信仰、希望、愛の掟が含まれています。 第1戒は、その内容、尊厳さ、卓越性からいっても、第1の、そして最大のおきてです。 神が人間をお招きになって最初になさる要求というのは、 人間が神を受け入れて、礼拝することなのです。 礼拝。。。これは内的にも、外的にも果たされるべきものです。 内的礼拝とは、 精神の能力、つまり知性と意志をもって、神を崇めることです。 外的礼拝とは、 外的な行為や目に見える物を通じて、神を崇めることです。 心の中で神を礼拝するだけでは充分ではありません。 神は、私たちの霊魂と肉体の両方の創造主ですから、 心とからだで、外的にも神を礼拝しなければなりません。 『「ひざまづく」ことは、どこかの文化から由来したものではありません。 それは聖書と聖書が伝える神の認識からきたものです。 礼拝を単に霊的な範囲にとどめてしまうなら、 それを体をもって表明しないのであれば、 礼拝の行為は消滅してしまいます。 純粋に霊的なものは、人間としての本性に合致していないからです』 ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(名誉教皇ベネディクトゥス16世聖下) 倫理生活の源泉は、私たちにご自分の愛を啓示された神への信仰そのものの中にあります。 神に対する私たちの義務は、神を信じ、神をあかしすることです。 第1のおきては、私たちに、 賢明に警戒して信仰を養い、守り、 信仰に反するあらゆる事柄を退けるよう要求します。 そして、全能であり、寛容であり、いつも善を行われる神に、 希望をかけるよう要求します。 希望とは、神を信頼して、 愛のおきてに従って行動する能力が与えられるよう願い、 神の祝福と神の至福直観を期待することです。 そして、万事に超えて神を愛し、 全ての被造物を、神を通して、神のために愛することを命じています。 信仰・希望・愛の『対神徳』は、 倫理徳に魂を与え、これを生かします。 こうして愛は、私たちが被造物として当然負っているものを、 神にお返しするようにと、私たちを促します。 この態度をとらせてくれるのが『敬神徳』です。 礼拝は、敬神徳の第1の行為です。 神を礼拝するとは、 その御方を神、創造主、救い主、主、存在する全てものの支配者、 無限で慈悲深い愛そのものである御方と認めることです。 神を礼拝するとは、 神によらなければ存在することはない『被造物の虚無性』を、 尊敬と絶対的な服従の心をもって認めることです。 神への礼拝は、 人間を自分自身の殻から、 罪の奴隷状態から、 この世の偶像崇拝から、解放してくれます。 第1のおきてが命じる信仰・希望・愛の業は、 『祈り』の中で実行されます。 心を神に上げ、賛美や感謝、執り成しや懇願の祈りを捧げることは、 私たちの神への礼拝を表わします。 祈りは、神のおきてに従うことができるための必要不可欠な条件です。 礼拝、感謝、嘆願、一致のしるしとして、 神にいけにえを捧げることは正しいことです。 真のいけにえとなるためには、 外的いけにえが、内的いけにえの表れでなければなりません。 『神の求められるいけにえは、打ち砕かれた霊』(詩編51.19)とあるとおりです。 旧約の預言者たちは、心を伴わないいけにえや、 隣人への愛を伴わないいけにえを、何度も非難しました。 唯一の完全ないけにえは、 御父への愛のため、また私たちの救いのために、 イエズスが十字架上で余すところなくご自分を捧げられたあのいけにえです。 私たちはキリストのいけにえに結ばれることによって、 自分たちのいのちを、神へのいけにえとすることができるのです。 |
十戒(◕‿◕✿)
[ リスト ]





今日、悲しいことがありました。
自分をしっかり持って、周りの声に屈しない強い心が欲しいです。
『心を神に上げ、賛美や感謝、執り成しや懇願の祈りを捧げることは、私たちの神への礼拝を表わします。』
神様に向かって感謝し、現世の痛みを感謝で返せる強く優しい心を持ち続ける人でありたいと願います。
ここで学び、浄化される場所があることに心からありがとうございます。
2008/6/27(金) 午後 10:22
神である主があなたを、
特に悲しみにおいて、支えてくださいますように。
主はご自分に願うものの祈りを
いつも耳を傾けて聞いてくださいます。
そして、その人にとって、
一番善いものをはからってくださいます。
神に感謝を示すあなたに
必要な助けがあたえられますように。
2008/6/27(金) 午後 10:34