聖父からの天使に力づけられた後、
12使徒の1人ユダと、彼に続いて私を捕らえようとする人々が来た。
彼らは縄や棒、石をもって私を捕らえ縛りに来た。
私は立ち上がり、近づいて言った。
『誰を探しているのか?』と。
するとユダは手を私の肩にかけ、私を抱いた。。。
あぁ、ユダ、お前は何をするのか、なぜ接吻するのか?
〜何をするのか、なぜ接吻をもって裏切るのか〜と、私は幾多の霊魂に言わないだろうか?
私の愛する者、
私を受けに近づく者、
『愛しています』と幾度も唱えた者よ。
私を去るやいなや、敵に私を渡す。。。
お前を惹きつけるその集まりに私を傷つける石がある。
すなわち私を痛める会話が。。
私を今朝受け、また明朝受けるお前は、
そこで恩寵の最も貴重な純白さを失うことをよく知っている。
お前の手を汚すこの事業を続けるのか?
それが高い地位にあげ、安楽にさせ、財産を得させるのに、
正当な手段ではないことを、お前は知っているではないか?
お前はユダのまねをして私を抱きしめ、
すぐ後で、または少なくとも数時間後、敵に自ら指図をして、私を捕らえさせる!
ただ私を縛りつけ、お前をつなぐ友情によって石をうつのみならず、
他の人々から私が縛られ、石でうたれる原因をお前が作り出す。
なぜ私をそのように敵の手に渡すのか?
私を知っているお前。。敬虔、愛徳を誇りとした身ではないか。
それらの業は大いなる功徳となるはずであったのに、
実際は、お前の悪意を覆うヴェールに過ぎなかった。。
こんなにも愛されたお前は、情欲に身を任せるのか?。。。
友よ、何のために来たのか。。。ユダ!
人の子を接吻をもって渡すのか?お前の師を、お前の主を。
お前を愛し、再び赦そうとする私を。
12人の1人、私と食卓を共にし、その足を洗ってもらったお前。。。
幾度、私の最も愛する人々にこのように言わなければならないことか!
こんなにも愛されたお前は、情欲に身を任せるのか?
お前に『情欲より解放されよ』とは言わぬ。
お前にはその力がない。
しかし『戦え』と言う。
瞬間の楽しみがお前に握らせるのは、
ユダが私を売った30デナリオに過ぎない。
それは、彼の滅びにしか、役に立たなかったのだ。
どれほど多くの者が、私を売ったことだろう!
また今後も、瞬間の楽しみ、過ぎ去る享楽のつまらぬ価で売ることだろう。
あぁ、可哀想な霊魂よ、何を求めるのだ?
私か?
私はお前を知り、愛し、お前が永遠の婚約を結んだイエズスである。
ひと言いわせてもらいたい。
『目覚めて祈れ』
たゆみなく戦い、悪い傾きが習慣とならないようにせよ!
畑の雑草は、年中、四季それぞれの季節にたびたび刈り取らねばならぬ。
土地を耕し、たえず改良し、雑草を抜かねばならない。
そのように、霊魂は大いなる注意をもって励み、
勇気をもって短所である傾向を矯正してゆかねばならない。
私を売る者が、重大な過ちを犯して最悪の混乱状態に陥ると思ってはならない。
そういう場合もあるが、それは稀である。
小さな楽しみや瞬間の弱みに負ける。
正当ではあるかもしれないが、犠牲をせず、承諾したこと。
それ自身悪ではないが、現在の身にふさわしくない楽しみであることもあろう。
それらは全て気付かぬうちに増えてゆく。
霊魂は、次第に盲目となり、恩寵の助力がなくなり、
情欲が強まり、ついに負けてしまうのである。
大罪を犯す霊魂は、このようにして私を敵に引渡し、
死刑に処するのである。
否、むしろ彼らが私の敵となる。
そうして反逆に用いる武器は、罪である。
かくもおびただしい人々が、それと気付かぬままに滅びの淵に進んでゆくのを見ることは、
人々の霊魂を限りなく愛する神の聖心にとって、
どんな悲しみであるか、はかり知ることはできないだろう。
大きな過ちばかりが私を裏切るのではない。
選ばれた人々のうちにさえ、私を裏切る者がある。
習慣的になった欠点、克服しようとしない悪い傾き、
抑制しない本能的な欲求、愛徳に背く行いなどで、私を敵の手に渡す。。
無礼や忘恩をこの聖心が辛く感じるならば、
最も愛する者からそれを受ければ、どれほど辛いことか。
しかしながら他の者がそれを償い、 私を慰めることができる。
私が憩いの場所として、また妙なる庭として特に選んだ霊魂たちよ、
お前たちが他の者に越えて、一層細やかに優しく愛してくれることを、本当に期待している。
お前たちこそ、私の傷跡に塗られる膏油であり、
血の汗にまみれ、汚された私の顔を拭ってくれるはずである。
夜の闇に乗じて私を捕らえ、縛り、死に引いてゆく、盲目になった霊魂に、
光明を与えて気付かせる手伝いをしてくれるのも、お前たちである。
私を独りぽっちに置き去りにせず、目覚めて来ておくれ。
もう敵が近づいた。。
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