翌日になるやいなや、カイファは命じて私をピラトのもとに送った。 そのピラトは、私に死の宣告を与えるのである。 ピラトは、処刑のための何らかの理由を見出そうと鋭く詰問したが、 何も得られないので、 これから行われようとする不正義の重大さに、 良心はいたく咎められ、私をヘロデのもとに送った。 ピラトは、 聖寵の勧めを受けながらも、情欲の波に溺れる人々の例である。 自ら目を覆い、人をはばかって笑われるのを恐れ、 過度の自愛心にひかれ、 別に悪いこともなかろう。。 危険はない。。 こんなことは自分で決定できる。。 忠告を聞く必要はない。。と決め込んでしまう。 克己の力がなく、恩寵に協力しようともせず、 1つの罪から他の罪へと陥り、 ついにピラトのように、私をヘロデに渡してしまう。 修道者の場合には、 大きな罪で私に背くということではなく、 いざないを避けるためには、 辱めを忍ばねばならないとか、反対を受ける場合に、 心のささやきに従って、いざないがあることを正直に認めるどころか、 この危険は避ける必要がない。。 この満足を拒むためのなんらの理由はない。。 と、自らに言い聞かせ、間もなくさらに危ない機会へと陥る。 ピラトのように目を覆って、正しく行う勇気を失い、 すぐにではなくとも、徐々に私をヘロデに手渡すのである。 ピラトの数々の質問に対して、私は何も答えなかったが、 『お前はユダヤ人の王なのか?』との問いに対しては、 厳格な責任をもって口を開いた。 『あなたの言うとおり、私は王である。しかしながら、私の王国は、この世の者ではない』と。 人々も、避けようと思えば避けられる苦痛や辱めであろうとも、 勇気をもって受けるべきである。 『私の王国はこの世のものではない』 だから、人におもねる必要などないのだ。 真の故郷を目指して進む時、 世間の批判を気にすることなく、雄々しく義務を果たすべきである。 大切なことは、 人からよく思われることではなく、 たとえ、そのために苦しみや辱めに遭うとしても、 たじろがず、自然的傾向に反しても、恩寵の勧めに従うべきである。 もし、独りでこれを行うことができないのであれば、 助けを求め、あるいは、勧告を聞くがよい。 幾度、自己愛と情欲がおのれをめくらにして、 いつ、悪の道にいざなうかわからないからである。 そこでピラトは、人を恐れ、おのれの責任を逃れようとして、 私をヘロデのもとへ送ることを命じた。 ヘロデは、私が法廷に現れたので、 気ままな残忍性を満足させることができることを喜んだ。 彼は、私の言葉や奇跡をもてあそぼうとしたのである。 愛する人々よ、 この背徳者の前に引き出された際の、私の嫌悪を考えておくれ。 彼の尋問、非難、態度、挙動、 それらはみな、私に恥辱を与えるものばかりである。 心の清いおとめたちよ、 私のそばに来て、私を守っておくれ。。 偽証の数々を聞いておくれ。。 私を笑い種にしようと集った群衆の忌まわしい欲望を見ておくれ。。 ヘロデは、私が彼の辛辣な問いに答えることを期待していた。 しかし、私は口を閉じ、沈黙を守った。 この沈黙は、私の威厳を証明するものであった。 この邪悪な者の汚れた言葉は、 私の聖なる言葉とやりとりする価値すら全くないのである。。 この間、私の聖心は、天の御父と堅く結ばれていた。 私の血を最後の1滴までも、人々の救霊のために流し尽くす望みに燃えていた。 寛大な霊魂たち。。 私を鑑とし、聖心の仁慈に心惹かれて、自身を惜しみなく与える霊魂を思い、 私の愛はかきたてられていた。 この忌むべき詰問中、 私はこれに甘んじるばかりでなく、 十字架上の苦しみにも走りたいほどであった。 愚者のように扱われ、嘲弄の印としての白衣を着せられ、 群衆の罵倒の中を、ピラトのもとに送り返された。 ピラト。。 この臆病な者が、どんなに怖れ、悩まされていたか。 私をどう扱ってようかわからず、 群衆の憤激を鎮めるために、私を鞭打つことを命じたのである。 ピラトは、世間の要求や欲情を、きっぱりと拒絶する勇気のない人々の代表である。 その人々は、良心の声に従って、悪の根を断ち切るどころか、 それを助長させ、一寸した気ままから、ここは譲り、そこでは負ける。 小さな満足を求め、欲の幾分かを満たし、 恩寵の勧めを完全に拒んだのではないからと、心を安んじているのである。 悪霊から来るものであることを知りながら、 良心に従って誘惑を退けず、 わずかばかりの満足のために、これに、あれにと負ける。 もし、ある点でおのれに打ち勝っても、 努力を要する他の点では負ける。 もし、何か抑制しても、 恩寵や会則に忠実であるべき時に、わずかばかりの楽しみのために躊躇する。 自然的嗜好や、情欲の半分を満たしただけだから、などと安心している。 たとえば、真実なのか想像なのかわからないのに、 ある人の欠点を他人に言い表す場合、 博愛や一般的善のためにするのではなく、 単に、隠れた妬みの念に駆られてすることが挙げられる。 恩寵の勧めにより、 良心がどのような精神であるかを提示し、 その行いが不正であるとささやきを受ける。 この人の心のうちには、1瞬間争いがあることに疑いの余地はない。 しかし、情欲を制することをしないがために、 じきにこの悪い目的を退ける光や力を失ってしまう。 そうして、知っていることのある部分を話すことをやめるが、全部ではない。 『このようなことは知らせるべきである。。私は一寸暗示を与えるだけだ』と。 このような人に、私はこのように言おう。 『ピラトのように、私が鞭打たれるのに任せるのか? 今日はここで譲歩した。。だが明日はもう1歩進むであろう。 生来の悪い癖を、これで抑えられるとでも思うのか? こんな小さなことに負けるならば、 すぐさま、もっと要求が強くなってくるだろう。 さらに強い誘惑に遭ったらどうするのか? 私の愛する者たちよ、 私が小羊のように柔和に、 鞭打ちの恥ずかしく恐ろしい刑へと連れて行かれるのを見てごらん。 私のからだは、この時すでに乱暴な人々によって傷だらけとなり、 疲れ果てていたが、獄吏は残酷にも、鞭や網などでさんざんに打ち叩いた。 その荒々しさに骨は砕けんばかりとなり、無数の傷に引き裂かれた。 からだ中から血がほとばしり出て、ついに人とは思われない姿となった。 この苦痛の海にうごめく私を思って、お前たちは同情心に動かされずにいられようか。 執行人の慈悲は期待しないが、 選ばれたお前たちの憐れみは、どんなに望ましいか知れない。 私の傷を黙想して、 これ以上に愛を示そうと苦しんだ者があるか、考えてみるがよい』と。 この無残な姿の私を、いつも思い描いておくれ。 私の傷が、誘惑に打ち勝つ力をお前に与えないかどうか、言ってごらん。 私の意志に全く身を捧げ尽くす寛大さが得られないかどうか、言ってごらん。 ヨゼファよ、ほんとに私をよく眺め、恩寵に導かれて、 いけにえとなって、私を慰めたいと思うようになるのだよ。 怖れることはない。 お前の苦しみは、決して私の苦しみには比べものにはならない。 私がお前に望む苦しみは、みな耐えられるように助けてあげているのだから。 お前の目の前に、私の面影をはなさないように。 主が鞭打ちの刑を受けられた後の、そのままのご様子を見ました。 この御姿に心の底から同情する気持ちがいっぱいで、 この後は、死ぬまでどんな苦しみにも耐えられる勇気が出たように思われました。 この御苦しみに、少しでも比べられるものはどこにもありません。 一番深い印象を与えられたのは、主のまなざしで、 いつもは麗しく、心の中まで見通されるようなのに、 今日は、閉じたままで膨れ上がり、血にまみれて、 特に右の眼の方がひどいようでした。 髪は乱れて、顔、眼、口の辺りまで垂れ下がっていました。 立っていらっしゃいましたが、かがみ、何かに縛られていらっしゃるようでした。 しかし、私は主のほかは、何も見えませんでした。 両手は腰に縛られ、血にまみれ、 御体には生傷が溝をつくり、紫色のあざになっていました。 御腕の血管は黒く腫れ上がり、 左の御肩からは、肉片がぶらさがって、今にも落ちそうになっていました。 御体のあちこちが、こんな有様でした。 御衣は御足元で、血に染まった状態で置かれていました。 腰の辺りに1片の布が、紐で堅く縛りつけてあり、 布の色は血だらけで、何の色だったのかわかりませんでした。 私が見た有様は、これ以上説明できません。。。 平和のうちにあって、自身の惨めさと皆無さをよく弁えなさい。 お前の心を動揺させることなど、たやすいことだ。 でも恐れる必要はない。 お前の惨めさよりも、私の仁慈と愛は無限に大きく、 お前の弱さが、私の力を超えることはないのだから。 危険にさらされている霊魂のために、 十字架を、尊敬と愛を込めて担いなさい。 永遠の御父に、私に加えられた拷問の際の苦しみを、 人々の改心のために捧げるよう、 私と共に、このように唱えなさい。。。 『御父よ、天の御父よ、御子の御傷をごらんください。 霊魂が改心へと開かれ、恩寵が注がれるよう、御傷をお受けください。 御子イエズス・キリストの御手足を貫いた釘が、頑なな人々の心をも貫き、 聖なる御血が、彼らを清めますように。 御子イエズスの御肩にかかる十字架の重みによって、 告解の法廷における罪人を、その罪の重荷から解放してください。 天の御父よ、愛しい御子の茨の冠をお捧げいたします。 その御苦しみによって、人々にまことの痛悔の恩寵をお与えください。 私は、御子の十字架上での遺棄、渇き、その全ての御苦しみを捧げ、 罪人がその罪を嘆き、平和と慰めを取り戻せるよう、願い求めます。 憐れみに満ち溢れる神よ、 十字架につけた者たちのために、御子が最後まで祈り続けた、 その御功徳によって、私たちに、神と隣人への愛を、 また、善を成し遂げる堅忍の徳を、 豊かにお与え下さるよう、つつしんで願い求めます。 こうして、御子の御苦しみが、永遠の至福に導き入れるものとなったように、 償いを果たして、苦しみを甘受する者が、その報いを受け、 あなたの栄光の永遠の冠をいただくことができますように』 さぁ、今から十字架を担いながら、私の苦しみに心を合わせ、 御子の御傷を、絶え間なく、御父に捧げなさい。 |

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