ヨゼファ、 愛の素晴らしい日。。 今日はその祝日(聖木曜日)だ。 今日は、私が人々のために身を委ねて、望むがままに何にでもなってあげる日なのだ。 もし父になってほしければ、父になろう。 天配として望むならば、天配となろう。 力を欲するならば、力となろう。 私を慰めたいと思うなら、慰めてもらおう。 この聖心が望む唯一のことは、 私自身を皆に与え、 皆のために用意してある恩寵を、溢れるばかりに与えることなのだ。 もうしまってはおけない。 そして、ヨゼファ、お前のためには何になろうか? 私の全てに。。 私は皆無ですから。 よく言ったヨゼファ、『イエズスはヨゼファの全て。。ヨゼファはイエズスの惨めさ。。』 お前が何者でもなく、全く惨めだから、 私はお前の心に火をともし、それを燃やし、焼き尽くしてしまわなければならないのだ。 惨めな者、力のない者は、決して反抗することはできないはずだ。 ただ、なされるがままに身を委ねなさい。 愛はおのれをその弟子たちに与える、と私は言った。。実際、それは真実である。 私の聖心に近寄って、溢れる心情を汲み取っておくれ! 愛は、おのれを弟子たちに食物として与え、この糧は生命となって彼らを養う。 愛は、弟子たちの前にへりくだるので、彼らは貴い位に引き上げられる。 愛は、何も余すところなく、惜しむことなく、おのれを全く与え尽くす。 愛は、愛する者のために己が身を、全きいけにえとして捧げ、熱愛におのれをまかせる。 あぁ、聖体とは、狂うばかりの愛である。 私を死に導くのも、その同じ愛である。 今日お前は愛によって支えられ、慰められ、力づけられている。 明日はカルヴァリオまで私の供をして、苦しんでおくれ。 さぁ、私と一緒にとどまり、獄に私を独りぽっちにしないでおくれ。 私がお前を探して見回す時、お前の目は、私をみつめていておくれ。 ひどい苦しみにある時、誰かが同情してくれているのを知ることほど、大きな慰めはないのだ。 私の聖心の繊細な愛を知っているお前だからこそ、 私が敵の只中に、弟子たちに捨てられた時の苦しみを、察することができるのだ。 さようならと言う必要はない。 お前はいつも私の傍にいるのだから。 |

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