ここで昨日話した人々のことに戻ろう。。
完徳に召された人々が、
恩寵の声に耳を貸さず、示された道の卑しさに後ずさりし、
世評を怖れ、自分の才能を過大視して、
何か他の道で奉仕する方が神の御旨にかなうと思い込むようになる。
そのような人々に答えよう。
私が貧しく卑しい親の元に生まれ、
故郷から遠く離れ、馬小屋の中に、しかも一年中で一番厳しい季節に、
凍るような真夜中に生まれることを躊躇したり、拒んだりしたであろうか?
30年間、荒い労働を、隠れた仕事場で、
身分の卑しい職人と思われている養父聖ヨゼフのもとに、
人々に認められることもなく過ごした。
また、母の手伝いをして、貧しい家庭の卑しい仕事をすることを、
身分不相応とは思わなかった。
私は大工としての労働に従事する以上の才能を持っていなかったであろうか?
12歳の時、博士たちを神殿で教えた私が?
しかしながら、それは御父の御旨であったから、
それによって最大の栄光を帰することができたのである。
確かに私は、
早くからナザレトを去って、公生活を始め、
直ちに神の子、救い主であることを示し、人々に尊敬の念を抱かせ、
私の教えに耳を傾けさせることもできたのである。
が、しかし、そうはしなかった。
私の唯一の願い。。
それは御父の御旨に従うこと、これであった。
また、苦難の時が来て、
ある者からは残酷に取り扱われ、
他の者からは辱められ、
友からは見捨てられ、
群衆からは忘恩の仕打ちを受け、
肉体には、言葉に尽くせぬ痛み、苦しみを忍び、
霊魂は、激しい嫌悪を感じながらも、
ますます愛をもって、天の御父の御旨を抱きしめたのである。
そのようにお前たちも、
本能的な反発や、家族の者の反対や、世の中の反対に打ち勝ち、
神の御旨に、雄々しく従うべきである。
そのようにしてこそ、
主である私と親密に結ばれて、
言葉では語り尽くせぬほどの、喜びの甘さを味わう瞬間が訪れるのである。
隠れた卑近な生活を厭う人々に言ったこと、それとは逆に、
孤独な隠れた仕事に憧れながら、世間に出て働かなければならない人々に向かって繰り返そう。
選ばれた者たちよ、
真の幸福、完徳は、おのれの趣味や好みに従うことによって得られるものではない。
また、人に知られるとか、知られないとか、
受けた才能を用いるとか、隠しておくとか、
人からよく思われるとか、
よい健康状態を保つとか、保たないとか、
そういうものでもない。
ただ、ひたすら、愛をもって神の御旨を抱き、
その栄光と自身の成聖の要求するところに、全く従うことなのだ。
私の望むことを、喜んで愛のうちに抱きしめなさい。
これこそ、全てにおいて愛の道を示すことなのだ。
さぁ、苦難のことに従事しよう。。
バラバの方が私より先にされ、人々からは卑しめられ、群衆からは死を要求された時、
切実な愛に満ち、感じやすい私の聖心が忍んだ苦悩を、
しばしの間、黙想しておくれ。
私はその時、
御母が、その汚れない御心に私を抱きしめてくださった愛情を、
また、養父が、私を養育するために精一杯働かれた際の苦労を、想い起こしていた。
私は、忘恩極まりない人々に惜しげもなく降り注いだ善業をかえりみた。
盲人の眼を開き、病人を癒し、不具者を健全にし、
荒れ野でパンを増やし与え、死人を蘇らせたことなどを。。
そうして今、私自身は。。
最も哀れな卑しむべき姿となりはてて、
どんな人間よりも一番嫌われ、
憎むべき盗賊として死刑に処せられる。。
群衆は私の死を要求するのだ。。
ピラトは死刑を宣告した。
愛する者たちよ、この聖心の苦しみをよく考えておくれ。
ユダは、ゲッセマニの園で私を裏切ってから、
最も恐ろしい瀆聖の罪による良心の呵責にたえかねて、当て所もなく彷徨っていたが、
私の死刑宣告のことを聞くや、絶望のあまり自ら首をくくった。
永遠の滅びへと飛び込む彼を見た時の、
この聖心の激しい苦悩を、誰が理解できようか。。。
長い間、私の愛の学びやで暮らし、
私の唇から教えを学び、
どんな大きな罪でも赦されることを、幾度も聞いたはずのユダ!
あぁ、ユダよ、
なぜお前は私の足元に身を投げなかったのか。
私はお前でさえ赦してあげたのに。。
もし私を取り囲む人々の憤怒を怖れて近づき得なかったならば、
せめて私に眼を向けてくれさえしたなら。。
お前をみつめている私の視線と合っただろうに。。
罪悪に染まり、長い間、当て所もなく彷徨い歩く者たちよ、
罪ゆえに、お前の心は頑なとなり、めくらとなった。。
もし何らかの情欲を満たしたがために、
淫らな生活に陥ったとしても、絶望してはならない。
罪を犯させるようになった共犯者がお前を打ち捨て、
お前は今更ながら自分の汚れた心を自覚し、思い悩んだとしても、
決して絶望してはならない。
命のある限り、
私の憐れみの愛にすがりつき、赦しを願うことができるのだ。
もしお前が、過去の若い身における醜い罪のために、
世間から見捨てられても、絶望してはならない。
お前が軽蔑され、罪人として辱められ、相手にされなくても、
神は、お前の霊魂が地獄の炎で焼かれることを望まれない。
赦しを与えることを望む神は、
お前が近づいてくれるのを、心待ちにしているのだ。
もしお前に、話を切り出す勇気すらないならば、
ただ、心からの嘆息を主に向かってもらしさえすれば、
優しい御父の御手が、お前を赦しの源に導き、
生命の泉に連れて行ってくださる。
もしお前が、生涯の大部分を不信心で過ごしたとしても、
神についてわざと無関心な態度で過ごしたとしても、
そして、突然、永遠が近づくことを察知して、絶望に捕らわれた時も、
欺かれてはいけない。
死の直前であろうとも、命のある限り、
それは『赦しの瞬間』であることを肝に銘じて、そのことを忘れてはいけない。
その最後の一瞬であろうとも、
永遠の生命を贖うことができる。
もしお前の一生涯が、克服し難い無知と誤謬のうちに過ぎ去ったとしても、
また、人々や社会や宗教にとって、大きな躓きとなったにしても、
あるいは、何かの折、ふと自身の罪を後悔し、
今まで自分が、諸悪の根源となり、多くの罪を犯した、との思いに押し潰されそうな時、
それに負けてはならない。
むしろ、深い痛悔の心をもって、信頼の淵に身を投じ、
お前を赦したいといつも待ち焦がれている私のもとに、走りよりなさい。
また、若い頃は私の掟を忠実に守ったが、段々と安逸な生活に流されて、
努力するようにとの神の勧めにもかかわらず、
習慣的になった過ちに対して盲目となり、生温くなった霊魂も同じである。
つんぼとなり、半分眠ったような良心は、後悔もせず、神の御声も聞こえなくなる。
ある日、強く揺すぶられ、目覚めてみると、
自分の一生が、永遠のために空しいものとなっていること、
無益で空虚であることに気が付く。
多くの恩寵を手の中に入れ損ね、
悪魔は、地獄の嫉妬をもって様々に誘惑する。
失望に陥れ、落胆させ、悲嘆に暮れさせ、
その過去を、あたかも取り返しのつかないものと思い込ませ、
ついに、絶望と恐怖の中に投げ込む。
私のものである霊魂よ、
残忍な敵に耳を貸してはならない。
むしろ、私の聖心に走りより、深い痛悔の心で赦しを願いなさい。
怖れてはならない。私が赦しを与えるのだ。
再び熱心な生活を取り戻せ。
そうすれば、失われた功徳も返し与えられるだろう。
私の恩寵がお前を助ける。
最後に、特に選ばれた人々よ、
長い間会則を忠実に遵守し、修道上の義務を果たしていた者よ、
私が特別な恩寵を与えて教え、長年私の声と聖霊の勧めに忠実に応えていた者よ、
お前は、ごく小さな情欲のため、罪の機会を避けなかった。。
自然的要求を満足させ、努力するのを怠り、段々と不熱心となり、
平凡な生活に陥り、ついに生温くなってしまった。。
お前が何らかのきっかけでそれに気付き、立ち上がろうとする時、
悪魔は、すでに掌握したと思っていた霊魂を逃すまいと、
様々な誘惑を展開する。
もぅ遅すぎる。。。
どんな努力も無駄だ。。。
悪魔は、お前が目上に打ち明ければ、光を得ることを知っているので、
自分の霊的状態を告白することに嫌気と恐れを感じさせ、
それを妨げ、のどを締め上げ、平和と信頼への道をふさぐのだ。
そのような時こそ、
私の声に耳を貸すべきであり、
どうすればよいかを、教わることができるのだ。
聖霊のささやきを聞いて、
戦いが始まる前に、私の聖心に走りより、こう祈りなさい。
『私の上に、あなたの御血を、1滴なりともお注ぎください』
私の前においで。
私がどこにいるか、わかっているね?
私は信仰のヴェールに包まれて、お前たちの上長たちのうちにいるのだ。
そのヴェールを取り除けて、お前の惨めな罪の有様を、
そのまま私に対するように、全き信頼をもって語りなさい。
つつしんで私の言うことを聞き、過去について何も恐れるな。
私の聖心は、すでに慈悲と愛の大海に、お前の全てを沈めてしまったからである。
お前の過失は、かえって謙遜のもととなり、功徳を増すことになる。
もし真の愛を示したいならば、
私の赦しを頼みとしなさい。
お前の罪がどんなに大きくとも、
私の憐れみの愛の方が、遥かに大きいことを信じなさい。
私の愛は、無限である。
ヨゼファよ、この愛の淵の中に沈みなさい。
人々が、この同じ愛に浸されていくように祈っておくれ。
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ユダでさえ許そうとなさったのに・・・
傑作━━━━\(o'(ェ)'o)/━━━━ッ!!!!
2008/3/23(日) 午前 8:54