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スペインの神秘家、アグレダの尊者イエズスのマリア修道女院長(1602〜1665.5.24)への私的啓示の書『神の神秘的都市(The Mystical City of God)』を少しずつ紹介していきます。 第5の御言葉 『私は渇く』 これは、悪魔たちに対する勝利を確認するものです。 主は、人間への御自分の愛に満足できず、 満たされないこの渇きは、人間の救いを求めて永遠に続きます。 『大水も愛を消し去ることはできず、大河も愛を押し流せない』(雅歌8.7) 主は、人々を悪魔たちの暴虐や支配から救い出せるなら、 また、人々が悪魔の悪意や傲慢に対して戦うのを助けられるなら、 より一層苦しみたいのです。 第6の御言葉 『成し遂げられた』 これにより、受肉と世の贖いの神秘が、 今、まさに成就されたことを、悪魔たちは嫌と言うほど思い知らされました。 私たちの救い主が、永遠の御父にどれほど忠実であったかということを、 旧約時代の太祖たちに示された約束と預言が、主によって成し遂げられたことを、 主の謙遜と従順が、悪魔たちの傲慢と反逆を粉砕したことを、 悪魔たちは思い知らされました。 主は、永遠の御父の御旨に従って、天使と人類の審判者として立てられました。 第7の御言葉 『父よ、私の霊を御手に委ねます』 この御言葉が発せられた時、 主がルチフェルとその手下たちを地獄の最も深い所、永遠の炎の中に投げ込む、 という裁きが執行されました。 それと同時に、聖母もその裁きの執行に協力したのです。 悪魔たちの地獄への落下は、雷雲を貫く稲光よりも遥かに速く、 まさに、あっと言う間の出来事でした。 かつて悪魔たちは、天上からの駆逐という屈辱を経験していましたが、 以前のそれを遥かに凌ぐ恐ろしさを経験することとなりました。 聖ヨブが呼ぶように、地獄は暗く、死の陰に覆われ、 陰気な無秩序、悲惨、拷問、混乱が充満していますが、 今や、混乱や無秩序を極め、その1000倍にもなっています。 地獄にいる人々は、 獰猛な悪魔たちが怒り狂いながら突然押し寄せてきたため、 新たな恐怖に見舞われ、責め苛まれました。 地獄に堕ちた人々は、 各人の罪の重大さに応じて、神の裁定により処罰の場が定められているので、 悪魔たちが自分たちの都合に合わせて、処罰の場を移すことはできません。 ルチフェルは、驚愕と混乱から気を取り戻すと、高座に座り、 地獄の陣営を整えるべく、悪魔たちを召集し、 自分の考案した傲慢な計画を発表しました。 『余の復讐の命に長い間従ってきた者は、余があの神人にしてやられたことは知っていよう。 あの神人は、33年間も余を騙し、計画を明らかにしなかった。 あの神人を殺したことにより、今や、われわれは敗北を喫した。 かつてあの神人が人間になる以前、 余は彼を憎み、決して優れた者としては認めなかった。 この反逆により、余は、お前たちと共に天上から駆逐され、 余の偉大さにそぐわないこの恥ずべき状態に追いやられ、 神人とその母親に服従させられている自分を見なければならない屈辱に、 さらなる苦しみを味わうはめになっている。 余は、人祖が創造された日から、この2人を探し出しては殺そうと、休む暇も与えなかった。 もし、この2人を探し出せなかったなら、 せめて全人類を滅ぼし、あるいは神を崇めさせず、 少なくとも神の恩寵を受け取れなくしようと望んでいた。 この意図をもって、余は尽力してきた。 しかし、何ということか! この神人は、謙遜と清貧によって余を屈服させ、 忍耐によって余を押し潰し、 最後には、その受難と死によって、この世の統治権を余から剥奪していったのだ。 仮に、余が神人を御父の右の座から引き摺り下ろしたとしても、 全人類をこの地獄に叩き落したとしても、 この無念さを決して晴らすことができない。 余より、遥かに劣る人間性が、あらゆる被造物の上に高められることなどできようか? 人間性が愛され、恩寵を注がれ、 永遠の御言葉のペルソナである創造主に一致するとは、何ということか! この御業の前に、神は余と戦われたが、 この後では、余を混乱させた! 神は余の天敵だ。余は神が憎くてたまらない。 あぁ、神から恩寵を注がれ、賜物を受ける人間どもめ! お前たちに幸いを、いかに邪魔してやろうか? 余の不幸を、いかにして分けてやろうか? おぉ、余の部下よ、さて、何から取り掛かろうか? いかにして、人間どもを再び支配下に置くことができるだろうか? 再びわれわれのもとに服従させるには、いかになすべきか? 人間どもが狂わない限り、忘恩にならない限り、救い主を軽んじない限り、 救い主に従ってしまうだろうし、われわれの欺瞞にも耳を貸さないだろう。 われわれが密かに差し出す名誉を嫌うならば、 軽蔑されることを愛情をもって甘受するならば、 肉に属するものへの節制を求めるならば、 肉欲の楽しみを警戒するならば、 安逸に潜む危険を認識するならば、 富や宝を嫌うならば、 彼らの先生が推奨する清貧を愛するならば、 貪欲をそそる全てのものを、救い主が忌み嫌ったように、忌み嫌うならば、 われわれの王国は力を失うだろう。 そうなってしまえば、誰もここには来なくなる。 われわれが喪失した幸いを、彼らは手に入れることになってしまう。 彼らは自分たちを塵芥のようにみなして遜り、忍耐強く苦しむに違いない。 そうなってしまえば、余の怒りも誇りも、何の役にも立たないではないか。 なんという災い! 余が神人を荒れ野で試みた時、 神人はその機会を用いて、いかにして余を克服すべきかの善良な模範を示してしまった。 余がユダに神人を裏切らせたことが、 ユダヤ人に神人を十字架上で殺させたことが、 余の計画の粉砕と人類の救いにつながってしまった。 神である者が、自分をそこまで遜らせることができるのか? 悪人どもからのあれほどの仕打ちを忍耐できるのか? 余が神人の計画を促進させるはめになったとは、なんたることか! あぁ、この女!神の御母は何ゆえこのように強いのか? 人間性を神の御言葉に与えた御母は、神から力を授けられたに違いない。 神はこの女を通して、余を四六時中責め苛んでくる。 お前たち、どうすればよいか、お前たちも意見を出し合ってくれ』 悪魔たちはみな、 主キリストをもはや傷つけられないこと、 主の御功徳を減らすことができないこと、 秘蹟の効果をなくすことができないこと、 教義を変えることができないことなどを認めた上で、 もっと大きな欺瞞と誘惑を試みることにしました。 抜け目ない悪魔たちは、これらの他、 聖母の強力な取次ぎや弁護を認めた上で、 人間の肉的性質も情欲も以前と同じであると主張し合いました。 そのため、新たな娯楽を与え、情欲をそそり、 その他、善徳や道徳のことを忘れさせるよう、 人間たちに巧妙に説いて回ろうと結論づけました。 |

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この本を読みたかったのですが、今では入手困難なので記事にしていただいて嬉しいです。
とても興味深い内容で、特に最後の3行に書かれている敵の策略に気をつけたいです。
2012/12/26(水) 午前 2:06