Ex operibus legis non iustificabitur omnis caro coram Deo, per legem enim cognitio peccati. Nunc autem sine lege iustitia Dei manifestata est, testificata a Lege et Prophetis, iustitia autem Dei per fidem Iesu Christi, in omnes, qui credunt. Non enim est distinctio: omnes enim peccaverunt et egent gloria Dei, iustificati gratis per gratiam ipsius per redemptionem, quae est in Christo Iesu; quem proposuit Deus propitiatorium per fidem in sanguine ipsius ad ostensionem iustitiae suae, cum praetermisisset praecedentia delicta in sustentatione Dei, ad ostensionem iustitiae eius in hoc tempore, ut sit ipse iustus et iustificans eum, qui ex fide est Iesu. Arbitramur enim iustificari hominem per fidem sine operibus legis. Legem ergo destruimus per fidem? Absit, sed legem statuimus. 神の御前には、肉をもつすべての人のうち、 誰も、律法を行なうことにより義とされるものはいない。 実際、律法によって、罪を深く知るだけである。 しかし今や、律法なしに、神の義が現れた。 これを証明するものは、律法であり、預言者である。 イエズス・キリストへの信仰による神の義は、 信じるすべての人々にもたらされる。 それについて人種の差別はない。 全ての人は、罪を犯して、神の栄光を奪い去られた。 しかし、キリスト・イエズスにおける贖いによって、 その恵みによって、無償で義とされうる。 神は、なだめの供え物と定められたが、 それは、神の義を示されるため、キリストの御血における信仰によるものである。 神は、忍耐をもって、キリスト以前の人類の罪を耐え忍ばれたが、 この時にあたり、その義を示された。 こうして、神そのものが義であり、イエズスを信じるものを義とされるのである。 私たちはこう考えている。 人は、律法の行ないによらず、 信仰によって、義とされる。 では、私たちは信仰によって、 律法をなきものにしようとしているのか? 決してそうではない。 むしろ、律法を擁立するのである。 ここでパウロは、 キリストへの信仰によって、 ユダヤ人も異邦人も差別なく義とされることを宣言しています。 キリストの御血のいけにえによる人類の贖罪、これを信じるもの、 過去の自分の過ちを悔い改めて、神の生命に生きることを望むものに、 信仰による義が、神の秘蹟によってもたらされます。 「なだめの供え物」に関して。。 「カポレット」と呼ばれる、契約の櫃の蓋となっていた黄金の板に、 毎年1度キップルの日に、大祭司が、 いけにえの血を、その板に注ぐ儀式がありました。 神はその昔、人々の罪を処罰されていましたが、 神の正義を満たすものではありませんでした。 ただ、キリストだけが、完全な贖罪となりました。 パウロは、信仰を理由に律法を排斥したのではなく、 信仰が律法を完成させるものであることを強調しました。 そのため、人々が誤解しないよう言葉を添えています。 恩寵が自然を破壊しないように、 信仰も律法を破壊するものではなく、 むしろ、完成させるものである、と宣言しているのです。 |
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内容濃い手紙ですね・・・
人類は自然を破壊しまくってます・・・
今や律法も危うい・・・
かんがえさせられますねぇ・・・ポチ☆
2008/7/4(金) 午前 1:11
本当に深いお話ですっ!!!(>_<)
凸♪
2008/7/4(金) 午前 5:21 [ - ]