大聖ベネディクトゥスへの祈り

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☆★☆★☆聖ベネディクトゥス★☆★☆★

聖ベネディクトゥスは、
西欧修道生活の太祖であり立法者、
西欧修道院制度の確立者、
西方隠修士の総大司教、
6世紀の光明、
奇跡を行なう神の人であり預言者、
霊的生活の教師、
驚嘆すべき父、
臨終の守護者、
キリスト教文明の光であり師父、
ヨーロッパの保護者と呼ばれています。

聖ベネディクトゥス St. Benedictus a Nursia

480年、聖ベネディクトゥスは、
ローマ帝国崩壊、蛮族が欧州を席捲した歴史の転換期に、
中部イタリアのウンブリア州のヌルシア(現在のノルチアNorcia)、
アペニン山脈中の田舎で、ローマ貴族の家に生まれました。
(父;エウプロピウス、母;アブンダンツィア、双子の妹;スコラスティカ)
497年、ローマの高等学校へ送られ、哲学、法律学、修辞学を研究しました。
しかし、青年たちの堕落や道徳的害毒を目の当たりにし、
500年、修徳生活をこころざして、ローマを去りました。

スビアコ(Subiaco)の聖なる洞窟(Sacro Speco)

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しばらくの間、小都エンフィーデ(Enfide)で、修道士たちと交流をもち、
「聖ペトロ教会の客人」として迎えられました。
ここで、乳母が、小麦用の篩(ふるい)を不注意で割り、泣いていたため、
聖人が割れた篩を手にして祈ったところ、篩は元通りになりました。

この最初の奇跡による人々の注目を避けるため、
そこを去り、隠修士として、アニオ谷のスビアコの洞窟に入り、
3年間、完全な孤独、祈り、観想、苦行の生活を送り続けました。

現在ここは、聖人を尊んで「サクロ・スペコ」(聖なる洞窟)と呼ばれています。
福者ピウス9世教皇は、この聖なる洞窟にラテン語で碑文を刻みました。

「この地こそ、西欧キリスト教国家の発祥の地である」

この付近の隠修士は、この熱心な若い隠修士を父のように慕いました。
そこで聖人は、これらの隠修士たちを共住生活に導きましたが、
彼らのうちのある者が、聖人の方針に強く反発し、
ぶどう酒に毒を盛り、聖人にその毒入りの杯を差し出しました。
しかし、聖人がその杯に十字架のしるしをすると、
その杯は2つに割れ、毒が盛られていた計画も判明しました。
この事件の後、聖人は自分の洞窟に戻りました。

ところが、またも周囲に弟子入りする人々が非常に増えたため、
今度は12の修道院に彼らを振り分け、各々に修道院長を立て、それに従わせました。

聖人はこの地で、岩山に泉を湧き出させたり、湖で失われた鎌の刃を戻したり、
溺れる弟子の救助のために、別の弟子に命じて、川の上を走らせて救助させたり、
その他にも、さまざまな奇跡や悪魔祓いを行ないました。

モンテ・カッシーノにおける修道院制度の確立と発展

スビアコでの修道院体制の飛躍的発展に対し、
嫉妬と敵意にかられた近隣の1司祭フロレンティウスは、
修道士を堕落させるべく、さまざまな妨害を執拗に繰り返しました。
529年、これに心を痛めた聖人は、数名の修道士と共にスビアコを後にしました。
追放成功に酔いしれたフロレンティウスは、その直後、建物の倒壊で圧死しました。

聖人は、みずから選抜した少数の弟子たちと共に、
ローマとナポリの中間にあるモンテ・カッシーノ(標高519M)にのぼり、
そのアポロン神殿跡地にモンテ・カッシーノ修道院を建てました。
これは、真の完全な共住生活へ向かうことを決定づけるものとなりました。

聖人は、聖マルティヌスと洗礼者聖ヨハネの誉れのために2つの礼拝堂を設け、
さらに、修道士の住居、来客用宿泊所、書庫、作業場、病室、井戸、
製粉所、庭園を有する広大な修道院を建設しました。

聖人の思想は明快で、その性質は率直であり、
優れた法律学上の知識を有し、言葉よりもむしろ実践で模範を示し、
聖書や教父の著作について偉大な知識を有していました。
聖人の活動は、修道院の壁を越えて、遠くにまで及びました。
各地の農民たちに福音を説き、困窮者たちは、聖人のもとに来て助けられ、
司教や国王との円満な関係を保ち、人々の尊敬の的となりました。

修道戒律の起草と、その文化的影響

539年、聖人によって著された修道戒律は、
透徹した天才的叡智の産物と言われ、
全西ヨーロッパの修道生活の法典となり、
教皇や諸国の王の布告により、驚くべき早さで広まり、
それまでの一切の古い修道戒律を駆逐して、
12世紀に至るまで、修道生活の唯一の規準となり、
ヨーロッパの精神生活全般に大きな影響を及ぼしました。

聖人のモットーは、「祈り、働け」(ora et labora)であり、
その修道会(Ordo Sancti Benedicti)は、福音宣教とヨーロッパ文化の中枢となり、
その深い影響力は、15世紀を経た今なお、5大陸に存続しています。

聖人の帰天日と祝日

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543年2月6日、聖人は、妹の聖女スコラスティカと最後の霊的談話をし、
2月10日に、妹の霊魂が鳩の形をして天国に昇る姿を幻視し、その死を知りました。

547年3月16日、死の6日前、聖人は自分の死の時を知らされ、
自分の墓穴を掘らせた後、激しい熱に襲われ、病状も悪化しました。

3月21日、聖人は、モンテ・カッシーノ修道院の聖堂で、
臨終の聖体と聖血を敬虔に拝領してから、
祭壇のもと、修道士に支えられて立ったまま、
祈りのうちに手を挙げつつ、息を引きとり、帰天し、67歳の生涯を閉じました。

その日、2人の修道士が、1人は修道院内で、
もう1人は修道院から遠く離れた場所で、同じ幻を目の当たりにしました。
彼らは、モンテ・カッシーノから天にまで届く光の垣の間を、
巨大な絨毯のようなものが伸びているのを目撃しました。
そして、神々しい光に包まれた天使が現れて、こう告げました。
「これこそ、聖なるもの、ベネディクトゥスが、天に昇る道である」

3月21日 TRANSITUS SANCTI PATRIS BENEDICTI, ABBATIS
この祝日は、聖人の天上の誕生日(Dies natalis)として、聖人の帰天を祝います。

7月11日 SOLEMNITAS SANCTI PATRIS BENEDICTI, ABBATIS
この祭日は、現在の聖人の祭日、一般的記念日とされていますが、
もとは、聖人の聖遺骨の移転(Transratio)の祝日でした。

聖遺骨は672年までモンテ・カッシーノにありましたが、
モンテ・カッシーノがロンゴバルド人によって破壊されたため、
673年、フランスのオルレアンのフルーリ(Fleury)の大修道院長ムンモルス(Mummolus)は、
修道士数人を派遣し、聖遺骨を自分の修道院へ届けさせました。
この移転を記念する日が、7月11日でした。
現在この修道院は、サン・ブノワ・スュル・ロワールと呼ばれています。
サン・ブノワ(Saint Benoit)は、聖ベネディクトゥスのフランス呼称です。


ヨーロッパの保護者

1964年12月24日
パウルス6世教皇は、聖人についてこう語り、
そして、聖ベネディクトゥスを「ヨーロッパの保護者」として宣言しました。

「聖ベネディクトゥスは、
 キリスト教文明の光となり、
 かつて暗闇を駆逐し、平和の賜物を輝かせましたが、
 今もなお彼は、ヨーロッパ生活に君臨しており、
 彼の取り次ぎによって、文化はさらなる発展を遂げ、
 ますます拡大してゆくことでしょう」

聖人が養成した修道士たちは、フランス、ドイツ、イギリス、
スカンディナヴィア、ハンガリーなど、各地に修道院を建設し、
その周囲に多数の街区を設け、福音を宣べ伝え、文明を促進し、
その地方の経済的中心として発展しました。
大地を耕し、豊かにし、あらゆる事業を計画的に発展管理させました。
また、学校、図書館、ギリシア・ローマの古典、薬学、芸術、
哲学や神学書の保存、バジリカからゴシック聖堂にまで至る中世教会建築、
教会音楽の傑作であるグレゴリオ聖歌(Gregorian Chant)、
シャンペン、有名なワイン造りなど、全文化を掌握していました。
各時代を通じて、聖人、福者を輩出し、聖性の宝庫となりました。


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閉じる コメント(16)

今日も休む前に礼拝にきました。

2008/7/8(火) 午前 1:25 [ yur**23y*ra ]

ん〜教会がなければ、文明の発達も得られなかった…
やっぱり、人の心には妬み嫉みを含めて、邪まな獣が
住んでいますね。。。いつの時代も・・・

ポチ☆

2008/7/8(火) 午前 2:14 白龍

とても勉強になりましたっ♪(*^-^*)
また読んで勉強をさせて頂きますっ。

凸♪

2008/7/8(火) 午前 2:24 [ - ]

今流れてる音楽大好きです!
ピアノで弾いてたのを思い出します♪
ポチポチ(^^

2008/7/8(火) 午前 2:34 [ ももこ ]

モモコさんのコメントに一票です♪
私もこの音楽好き〜〜〜(*^^*)
あぁ癒される♪
ポチポチっとな☆

2008/7/8(火) 午後 1:44 にん

就寝前のお祈りです。。今日も有意義な一日でした☆*.。☆**。神様、ありがとう。。おやすみなさい☆*.。☆**。

2008/7/8(火) 午後 9:18 もも(ナウシカ)

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今晩は。ゲスブがなくなったんですね。いつも訪問するたびに新しいお話が読めて今のボクには非常に心強い気持ちをを与えて頂いています。実はいつブログを閉じようかと3月頃からずっと考えていました。というのは同時期ころから睡眠障害になり強い睡眠導入剤を投与してもあまり効果がなく遂に心療内科(その後は精神科ということになるのでしょうけど)に通院という羽目になりました。要は躁鬱病なのだそうです。自分がまさかこのような病にかかるとは思ってもいませんでしたので益々気が滅入って本当に最近は死を考える自分がおり、神の意思に反しないよう必至になって生きている自分哀れでなりません。でも生かされていると思うと自分の意志の弱さと戦ってでも生きていかなければならないのでしょうね。また、お助言などありましたならお聞かせ願いたいと思います。暑い盛り、あなた様もお体くれぐれもご自愛下さい。
神に祈り一日も早く健康を回復することを祈って秋までは元気になりたいと願っております。ではまたブログにおじゃま致します。お元気で!

2008/7/9(水) 午前 1:07 Bon

なかなか寝付けず、なんとなくお邪魔しました。
勉強になります。
流れてる曲にも癒されました(^-^)
ポチ♪

2008/7/9(水) 午前 2:44 [ - ]

私もこの曲すきです♪なんだか癒されます〜^^
ぽちりん〜☆

2008/7/9(水) 午前 11:50 あび

曲を聴くだけで、穏やかな気持になります。。。
ぽちっ☆

2008/7/10(木) 午後 0:12 ひなぎく。o○o。.:゚

勉強になります。
ベネさんの名前はこの方からなのですか?
キリスト教ではたくさんある名前なのでしょうか?

2008/7/10(木) 午後 1:36 [ denden ]

今回の記事にある聖ベネディクトゥス
僕はこの方からクリスチャン・ネームをいただいてます。

カトリック教会では、洗礼を受ける際に、
自分の天上の保護者として、教会の聖人の中から、特別に選んで、自分を委ねます。
霊的には、神が、その人に、その保護者として任命されてから、
その人が、その保護下に委ねたい、というキモチを息吹かれます。

この聖人にあやかろうと、カトリック教会では多くのかたがこの霊名をいただいています。
そして、今世紀に至るまでに、この聖人の霊名をいただいた人々の中でも、
教会の聖人として認められた数名の方がいます。
同じ修道会に属するアニアネの聖ベネディクト、それと黒人の聖ベネディクトです。

2008/7/10(木) 午後 9:40 Benedictus

カトリック教会は、使徒聖ペトロの後継者として、
教皇が選ばれてきています。教皇職に就任する際、保護者を選定しますが、
その歴代教皇も、この聖ベネディクトを保護者に選定し、
現在の教皇ベネディクトゥス16世もその1人です。(聖ペトロから265代目の教皇)

なので、7月11日は、聖ベネディクトゥスの祭日であり、
現教皇のお祝い日でもあり、
僕の霊名(クリスチャン・ネーム)のお祝い日でもあります。

聖ベネディクトゥスは、全世界に広がるその修道会の父親として
ヨーロッパの保護者であり文明の父親として、
その名を冠する全てのカトリック信者の父親として、
尊敬を受け、この日祝われます。

なので、今夜から明日の夜にかけて、
僕の「天上の父の日」です。

2008/7/10(木) 午後 9:42 Benedictus

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足跡、ありがとぉございます☆
なんかすごい難しいケド…やっぱり勉強になりますね!!

2008/7/11(金) 午後 6:41 [ (*´∀`*) ]

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ベネさん、霊名の祝日おめでとうございます

暑いのでのプレゼント

2013/7/11(木) 午前 0:24 ニール

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今日の祭日のための聖歌を動画で聴けました

ありがとうございます

2016/7/11(月) 午後 11:10 ニール


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