Nihil enim est opertum, quod non revelabitur, et occultum, quod non scietur. (Mt 10, 26) 覆われているもので、明るみにされないものはなく、 隠されているもので、知られないものはない。(マテオ10,26)
1025番目の反使徒。。 この人物は、 1917年頃、ロシア人の両親から生まれ、 彼が路頭に迷っている3歳の時、 ポーランドの医師と、その妻の養子とされました。 敬虔なカトリック信者であった夫妻は、 子に恵まれず、彼を自分たちの子として愛情を注ぎました。 また、彼も、自分が夫妻の子であると考えていました。 しかし、彼が14歳の時、 自分が実の子でないことを知り、衝撃を受け、 彼の産みの親に対する激しい憎悪にかられ、 家を飛び出し、友人のもとに行きました。 このことは、彼の人生を大きく変えてゆきました。 神への憎悪は、無神論を広める団体に、 彼の心を開かせました。 その友人は、 彼にロシアの秘密警察の高官を紹介し、 彼は6年にわたる訓練を経て、秘密諜報員となりました。 彼は、彼に指示されたミッションに向けて動き始めました。 Marie Caree
ミサ典礼の奉献文の祈りは、最大限簡略化され、 奉納、聖変化、拝領の3つだけが許されるようになるだろう。 簡略化し、人間化された別の典礼書を持ち込むのに成功すれば、 次世代の教化のために、 ミサには「聖ピウス5世の祈り」と呼ばれるものが いくつかあったことを思い起こす程度でよいだろう。 これは中世の反啓蒙主義に 人類を閉じ込めるのに大いに貢献した祈りだ。 Offertoriumなど奉納の祈りはその種の典型だろう。 もっとよい祈りがあるのではないか。 私は、幾つかの奉納の祈りや、ミサの他の祈りも考案するよう、 全ての修道院に提案しよう。 Offertoriumはパンを奉納する祈りだから、 単にこう言ったほうが意味が通ると私は考えている。 「私たちは、人の食べ物として出されるべきものとして、 人が作ったパンをここにもってきました」 いずれにせよ、この儀式を、 聖なるものにみせる傾向のある言葉遣いは、 ことごとく排除してしまおう。 1つだけ例を出そう。 古いミサでは常にこう祈ったものだ。 「イエズスは聖なる崇めるべき(in sanctas ac venerabiles)御手に パンをおとりになり。。。」 我々の用語から 「聖なる」とか「崇めるべき」といった語を、 抹消する必要がある。 われわれは「聖なる崇めるべき御手」とは言わない。 代わりに、「彼はパンを取り、それを祝福した」と言うだけだ。 これは、この仕事を達成する精神の、 良い実例になるだろう。 今は時間がないが、 あとで自分用にミサを1つかそれ以上、試しに考案してみよう。 これは司祭の仕事だ。 ミサが3つの必須の祈りだけから構成されるようになれば、 各自の趣味趣向に従って、詩篇や賛美歌、講話や説教で、 残りを埋め合わせることが許されるようになるだろう。 このミサは会食に過ぎないのだから、使用するテーブルは、 12人が腰掛けるに十分な大きさでなくてはならない。 私は、信者たちが食べるのに不便を我慢したまま、 一斉に席から立ち上がるのをいつも滑稽に感じてきた。 拝領台でしばしば跪くこと、これも誤っている。 そもそも、ただの手すりをどうして「台」と呼ぶのか。 そのため、どの教会も、 12人が腰掛けられる食卓だらけにすべきである。 最後の晩餐では13人いたと信じられているが、 誰もがこの数を嫌がるだろう。 それで、パンを裂く前にユダが去ったという信仰を利用する。 これにはさらに多くの数の司祭が必要になる。 司祭を増やすのは簡単だ。 これにはある種の善意、ある種の善行だけが求められるのだ。 面倒な学問は一切必要ない。 無論、独身者である必要もない。 それでも、独身のもたらす力から益したいと思う者は、 修道者あるいは隠遁者になるだろうし、 学問を望む者は神学者になるだろう。 多くの種類の司祭が出てくるだろうが、 一般的な司祭は、家で食事毎にミサを行う既婚者の男だ。 ミサは「主の晩餐」に過ぎないのだから、 もはや、崇敬の行為ではなく晩餐会に過ぎなくなる。 想像に過ぎない「恵み」に対して感謝することはなくなる。 与えられもしない「赦免」を施すこともなくなる。 よくわからない「神秘」を願うこともなくなり、 人間の全てを願う儀礼に変わるのだ。 このように普遍教会は、 全くもって人間の栄光に向けられたものとなる。 それは人間の偉大さを、その力う、 そのたくましさを称賛する教会である。 人間の権利に対して香を焚き、 人間の勝利を謳歌する教会になるのだ。つづく。。 http://media.imeem.com/m/h3lfF3byQU/ |
||||||

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用





不思議ですね。
本当に優秀な頭脳を持つ人間によって
周到に練り上げられた考えだと思いますが、
ここまで来ると滑稽と言うか、
逆に嘘臭いとさえ感じます。
やはり、人間は「永遠」を意識して生きるように
創られているのですね…
2009/1/15(木) 午前 7:38 [ - ]