| 心の痛悔は、神への信頼と愛を減じることなく、これを深める |
霊的生活において、痛悔の精神は、
極めて危険な障害物である、意図的な、奔放な、心の散漫や、
習慣的な、軽薄な態度を、
駆逐してくれます。
また、痛悔の精神は、
私たちが、神との関係において陥りやすい、粗雑な振舞を、
容赦なく、排除してくれます。
神への野卑な、馴れ馴れしさほど、
霊魂にとって危険なものはありません。
霊性の大家フェーバー神父は、こぅ言っています。
「ココロの痛悔は、
秘蹟から、いっそう大きな利益を引き出してくれます。
それは、私たちを、いっそう激しい懺悔の精神、謙遜のうちに、
いっそう痛切に、自己の善徳における貧しさを自覚させつつ、
秘蹟に近づかせるからです。
この敬虔な悲しみが、ココロにたたえている限り、
神の恩寵は、無駄に霊魂の扉をノックしません。
冷淡と痛悔は、互いに共存できません。
この2つの心情は、同じ霊魂のうちには、
肩を並べて進むことができないからです」
ココロの痛悔はしばしば、
以前よりも、いっそう熱烈な、いっそう深みのある、
信心生活への「出発点」となります。
それはまた、
神への奉仕に捧げ尽くされた、
新たな人生の門出となることがあります。
大聖グレゴリオ教皇も、そぅ告げています。
「罪を犯さなくても、
それでいて平凡な生活を送ったであろう霊魂が、
罪を犯したがゆえに、
一念発起、いっそう熱烈な愛に燃えて、
以前よりも遥かに、
神の聖心にかなう者となることが、
しばしばあるものです」
ココロの痛悔は、
謙遜と熱心との源であるばかりではなく、
神の御旨を全く受け入れさせるよう、
霊魂に促します。
神のこの御旨が、
どんなカタチを取ってあらわれようと、
また、その中に、どんなにツライ試練を隠していようと。。
自分は、犯した罪によって、
神の無限の完徳と至上権を踏みにじったのだから、
それは当然の罰である、
と観念させます。
神の愛に背いたことを悲しむ想いが激しいので、
どんなに苦しいこと、どんなにツライことが起ころうとも、
それらを罪の償いとして、
ココロから喜んで甘受します。
そして、このことが、
彼にとって、永遠の功徳のもとになるのです。
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ベネさんこんばんわ!^^ご無沙汰しておりますm(__)m
もうすぐ黙想会があります^^説教が分かり易い神父様なら良いのですが・・・^^;(笑)今回の神父様はどんな説教をされるのか楽しみです^^(笑)
2009/3/5(木) 午前 2:27 [ - ]
今の自分自身のような感じです。。。
『出発点』私もそこにたどり着きたいです。
朝からすばらしいお話で今日も1日がんばれます☆
感謝のポチっ
2009/3/5(木) 午前 8:39 [ - ]
>冷淡と痛悔は、互いに共存できません。
>この2つの心情は、同じ霊魂のうちには、
>肩を並べて進むことができないからです
よかった。
ほんの少しだけど、出発点に近づけているような…
2009/3/5(木) 午前 8:46 [ じゃっき〜 ]
生きていると懺悔しないといけないことばかりです。
神に愛されるように悪いことは悪いと思って懺悔したいと思います。(*^-^*) ニッコリ☆
ダブルポチ☆
2009/3/5(木) 午前 10:50
すごく良い記事ですね!訪問が全然できていませんでしたが、ヤフーのおかげでこの記事にめぐりあうことができました。私のブログにこの記事をコピーさせていただきます。ありがとうございました。
2009/3/5(木) 午後 2:25
数年前にいろいろ精神的にまいったこともあって苦い経験でしたが それがあって新しく得られたこともあり『どんなに苦しいこと、どんなにツライことが起ころうとも、それらを罪の償いとして、ココロから喜んで甘受します』まさにその通りだと思いました。
私にも至らないところがたくさんあるので 懺悔しなくてはいけませんね。
ベネさん いつも良い記事ありがとうございます!ぽちっ!
2009/3/5(木) 午後 8:14 [ puffy0722 ]
ベネさん、こんばんは^^
辛いことがあっても頑張っていけそうな
気がします。有難うございます^^
ポチ☆
2009/3/5(木) 午後 8:51 [ - ]
こんばんは^^
苦しいこと 辛いことは 与えられた試練の一つですよね
なかなか 辛いことから逃げ出さずに頑張るのは
大変なことですが...><。
2009/3/5(木) 午後 9:05 [ ゆうちん ]